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国を救った男、高橋さん

作者: 雉白書屋

 誰もが一度は見たことがあるのではないだろうか。政府の秘密エージェントが、我々の知らない間に国家を救うというアクション映画を。心臓が縮むようなカーチェイスや銃撃戦。手に汗握るような敵地への潜入。そして、美女とのロマンス……。

 テロリストの毒ガス兵器や核ミサイル、サイバーテロや経済的危機――といった脅威に立ち向かい、人知れず国家を救った主人公は、カフェで新聞片手にコーヒーを飲み、街の一部として溶け込む。人々が彼の偉業を知ることはない。ひけらかすこともない。まさに真の英雄だ。

 その後、彼はどうなったか? 映画がヒットすれば再び危機に呼び出され、白熱したアクションを見せてくれるだろう。そうでなければ、まあ、平穏な余生を送ったと想像しよう。

 しかし、現実に現れた“彼”の場合はどうだろう。ある日、突然、英雄になった会社の同僚の彼は……。


 国を救った男、高橋さん。その名は全国民が知るところになったが、具体的に彼が何をしたのかは明かされていない。

 ある日、総理大臣がテレビの生放送で彼を表彰し、握手を交わす姿が映し出された。その場面をリビングで見たおれは、腰を抜かしながらテレビの音量を上げた。しかし、彼が何からどうやってこの国を救ったのかは「機密事項」として公表されなかった。

 当然、消化不良なのはおれだけでなく、大衆は彼が何をしたのか知りたがり、その放送があった夜から、マスコミが高橋さんの家に押し寄せた。

 そして翌朝、出勤する彼を生中継したせいで、会社の前まで野次馬が集まり、大騒ぎになった。警護の警察官が増員されたおかげで、どうにか収まったが、彼が『国を救った男』として知られるようになった最初の一週間は、本当に大変だった。

 政府が注意喚起したため、以前のような騒ぎはなくなったが、相変わらず高橋さんは周囲から好奇の視線を向けられている。

 昼休みになると、同僚たちが彼の周りに集まり始める。皆、彼が何をしたのか知りたくて仕方がないのだ。


「ねえねえ、高橋さん、そろそろ教えてくださいよ」

「おい、田中、聞いちゃいけないって話だったろ」

「お前も、あきらめが悪いよなあ。懸賞金目当てなんだろ」

「そうよ、やめなさいよ。でも、ヒントくらいは……」


 そんな彼らに高橋さんは、にっこりと笑っていつもこう答える。


「すみません。機密事項ですので」


 肩を落とす同僚たち。見飽きた光景だ。

 それにしても、高橋さんという男は、普通の中年男性にしか見えない。おれより少し年上で、ギラギラした感じがなく、穏やかで人畜無害といった雰囲気が常に漂っている。未婚だが、セクハラや女性を誘う姿が想像できない。いわゆる『枯れ男』というやつだろうか。

 国を救ったと公表されてから、彼は老若男女問わず人気者になったが、本人は以前と変わらない様子で、それがまた人々の興味をかき立てているようだ。


「でも、高橋さん、報酬とかはもらわなかったんですか?」


「すみません、それも話せないんです」


「もらってたら、会社なんてすぐ辞めるでしょ」

「でも、そうでなくても今なら引く手数多でしょ。どうして辞めないんですか?」

「あたしたちのことが好きだからでしょー?」

「いや、政府が言ってただろ? 会社が高橋さんを利用することを禁ずるってさ。破ったら、会社ごと消されるぞ」

「それは大げさだが、まあ、決まりを破れば世間のバッシングはすごいだろうな……」

「ただでさえ、高橋さんがこの国をどうやって救ったのかわからず、みんなイライラしているからな。あ、すみません。高橋さん、あ、高橋様のことを責めてるわけじゃなくて……」

「お前、謙りすぎだろ」

「はははははは!」


 実際、高橋さんには多くの大企業からオファーがあったはずだ。それなのに、彼はうちのようなそこそこの会社で働き続けている。遅刻などせず、仕事ぶりは前と変わらない。浮足立っているのはこちらだけで、彼だけが地に足をつけているのだ。

 政府が「彼が普通の生活を送れるよう協力してください。それが感謝の証です」と呼びかけたことで、取引先も露骨な便宜を図ることを控えているようだが、それでも業績は向上し、恩恵を受けていることは間違いない。社長も上機嫌だ。もっとも、社長も彼の秘密を知りたがっているらしく、こっそり「自分にだけ教えてほしい」と頼んでいるらしい。しかし、それが誰であろうとも、彼は決まってこう答えるのだ。「すみません、機密事項ですので」。


『僕はねー、宇宙人の侵略を阻止したんだと思うよ!』

『きっと国の重大な秘密が入ったUSBを拾って、交番に届けたんだよ』

『お忍びでこの国に来ていた外国の王族の命を救ったとか?』


 彼が何からどうやって国を救ったのか、想像を膨らませるしかなかったが、公表から数か月も経つと、さすがに世間の関心も少しずつ薄れ始めた。かつては胸やけがするほど放送されていた特集番組も減り、会社の最寄りの駅での街頭インタビューもすっかり見なくなった。しかし、『昨日の高橋さん、今日の高橋さん』『高橋さん物語』『タカハシイチバン』といった、朝や夕方のニュース番組のコーナーが存続しているあたり、彼への興味が完全に消えたわけではないようだ。

 かくいうおれもその一人だ。いや、もしかしたら、おれが一番彼の秘密を知りたがっているのかもしれない。強引に秘密を聞き出そうとして逮捕された連中ほどの熱量はまだ持っていないが、いずれおれもその仲間入りをしそうで毎日不安なのだ。

 これが会社の同僚ではなく、どこか遠くの話ならまだよかった。毎日近くにいながら触れられない。宝箱を目の前にして鍵を失ったような感覚に、気が狂いそうになる。ああ、大げさじゃない。ストレスで円形脱毛症になったくらいだ。

 だが、いくら考えてもどう聞き出すか、方法が思いつかない。そもそも、同僚であること以外に彼と接点がなく、この騒動前も後も、おれは彼に仕事以外のことで話しかけたことがないのだ。一緒にはしゃがないから、「あの人は斜に構えている」と同僚たちから陰口を言われているらしい。

 まあ、それは構わない。唯一普段通りに接してくる同僚として、彼の中でおれの評価が高まっている可能性は十分にあるし、期待もしている。でも、だからこそ聞きづらい。本当はこんなにも知りたいのに……。

 もはや、彼より、おれが普段通りの自分を演じているような気がする。彼の秘密に対するおれの密かな執着心は日に日に強まるばかりだった。


 だが、ある日のことだった。


「ああ、私が国を何からどうやって救ったか、ですか。それはですね……」


 ――まさか、話すつもりか!?


 驚きのあまり、足がもつれそうになった。

 終業後、会社の前で、高橋さんが一台のカメラの前に立ち止まり、そう言ったのだ。

 相手はいつものマスコミだろう。連中がいるのは見慣れた光景だから、まったく気にしていなかった。おそらく、性懲りもなく高橋さんにこう質問をしたのだろう。「どうやって国を救ったのか」と。

 しかし、その彼らも高橋さんのまさかの行動に動揺し、目を見開いていた。現場は一瞬のざわめきのあと、静まり返った。偶然居合わせた同僚や通行人、出待ちのファン、警備の警察官までもが息を呑み、耳をそばだてた。


「それはですね……ある朝、目を覚ましたら、ベッドの下に小さな宇宙人がいたんですよ。その宇宙人は、この国を丸ごと自分たちの星へ持ち帰ろうとしていたんです。でも、それだとみんな困るでしょう? だから私、手作りのカレーを振る舞うから考え直してくれってお願いしたんです。それで、カレーを作って食べてもらったら、気に入ってくれて――」


 高橋さんは周囲が呆気にとられる中、穏やかに話し続けた。そして語り終えると、カメラに一礼した。その瞬間、あたりは笑い声に包まれた。


「はははは! 高橋さん、そんな冗談も言うんですね!」

「あははは、ほんと、びっくりしたわ! 本気かと思った!」

「ははははは! 最高!」

「おもしろーい!」


 ――は? 


 高橋は、称賛の声に照れたように顔を掻くと、軽く頭を下げ、歩いていった。

 おれはどうしても許せなかった。はらわたが煮えくり返り、気づけばあの男の背中を追いかけていた。


「あの、高橋さん。少しいいですか?」


「はい?」


「話があるんです」


 駅前で呼び止めると、高橋は振り返り、微笑んでうなずいた。二人で近くの公園に移動し、ベンチに腰を下ろす。


「さっきのは、なんなんですか?」


 おれは高橋に訊ねた。怒りを抑えきれず、声が震える。拳を握り、すぐにでも殴ってやりたかった。


「何とは?」


「何って……ふざけないでくださいよ。あなたがこの国をどうやって救ったのか、みんなが知りたがっているんですよ。逮捕者まで出ているんだ! それは、もちろん、あなたに付きまとったり、暴力で聞き出そうとした彼らが悪いですが、でも、あなたが秘密を話しさえすれば、彼らだってきっとこれまでどおり、普通の人生を送れたはずだ!」


 おれは立ち上がった。声が震え、泣きそうだった。逮捕された彼らとは、おれだ。おれのような普通の人々だ。普通じゃない存在に憧れを抱き、英雄になりたくて、でもなれなくて、どこか諦めきれなくて、その威光を見ていたい、手が届かない存在に触れたいと願う人々だ。


「それを、それをあなたは、あんなふざけた冗談を言って……」


「言って、これからどうなると思いますか?」


「は……?」


「私がさっきの話をしたことで、これから何が起きると思います?」


「そんなの……どうにもならないですよ。嘘なんでしょ」


「……秘密、守れますか?」


 心臓が跳ね上がった。高橋さんの鋭い視線に頭を射貫かれたように、おれはすとんとベンチに腰を下ろした。


「守れますか? 誰にも言わないと誓えますか?」


 高橋さんは静かに問いかける。


「は、はい……」


 この瞬間、おれは自分が人形になったことを悟った。高橋さんに忠実な機械人形だ。秘密を守り、彼のためになんでもする所存だ。ケツの穴を差し出したっていい。望むなら死んでやる。

 その覚悟が伝わったのか、彼は微笑んだ。おれは勃起した。


「それで、話の続きですが、私の先ほどの発言で、次に何が起きると思いますか?」


「何が起きるとは……すみません、馬鹿なものですからわかりません」


「テレビで放送されるでしょうね。高橋がついに秘密を喋った! といったふうに。ネットでも大いに話題になるでしょう」


「あ、はい。思わせぶりに、CMをまたいで放送するかもしれませんね。CMのあと、高橋さんの秘密がついに明かされる! とか」


「ふふっ、ええ、そうなるでしょう」


「で、でも結局、さっきの話は嘘なんですよね? それなら、何も起きないのでは?」


「カレー、売れると思いませんか?」


「え? カレー……あー、確かに。高橋さんが着ているスーツやネクタイ、食べているものが注目されて、関連企業の売り上げや株が急上昇したとか、よくありますよね」


「そうです。私がカレーと言えば、カレーに関連する商品が売れるんです」


「すごいですけど、でも、それが……」


「私はまだこの国を救っていないんですよ」


「え?」


「救っている途中なんです。国家の広告塔として、経済を活性化させることによってね」


「なっ! そ、そんな! え、でも、いやしかし……」


「さっきの発言も、政府の指示なんです。私はこれからも冗談を混ぜながら、経済の起爆剤となる発言を続けていくでしょう」


「でも、結局、嘘ならそこまで経済効果があるとは……」


「確かに、信じられないでしょう。でも、『勢い』というのは侮れません。あなたも実感しているはずです。私の秘密を知りたがるの人たちの勢いをね」


「あ、その、すみません……」


「ふふふっ、人はみんなが求めているものを欲しがるものです。カレーだけでなく、他の業界にも影響が及ぶことでしょう。まあ、そのあたりは政府お抱えの学者たちが計算しているので、詳しくはわかりませんがね」


「なるほど……高橋さんが国家のプロジェクトそのものだったのか……でも、どうしておれに話してくれたんですか?」


「あなたが秘密を守れる人だとわかっているからです。だから、私があなたに話しても話さなくても結果は同じこと。そうでしょう?」


「あ、ああ、もちろんです! 誰にも言いません!」


「それに、私たちは友人じゃないですか」


「え、あ、あ、はい!」


 おれは思わず立ち上がった。興奮が抑えられず、涙が出てきた。正直、少しイッたかもしれない。高橋さんは立ち上がり、おれの肩にそっと手を置いて、優しく揉んだ。


「では、今日のところはここで別れましょう。二人で一緒にいると、私があなたに秘密を話したことが誰かに気づかれるかもしれません。私はもう少しここに残ります。あなたも、その笑顔は抑えてくださいね」


「ああ、はい! 失礼します!」


 おれは彼に一礼し、歩き出した。公園を出る前に一度振り返ると、高橋さんはベンチから手を振っていた。愛してる。そんな言葉が口からこぼれそうになり、おれは笑いながらスキップして駅まで向かった




「ふー……」


「おい、タカハシ。どういうつもりだ?」


「どうとは?」


「さっきの男に話したことだ。たとえ我が星とこの国の総理との間で作られた表向きの話でも、秘密は秘密だろう」


「彼なら大丈夫です。秘密は守りますよ」


「根拠がない。私はこのように君のスーツのポケットに入り、行動を共にしているが、あの男と君が仕事以外で話しているのを見たことがない。なぜ口が堅いとわかるのだ? 我々の秘密には懸賞金がかかっているというじゃないか」


「ええ、確かに、彼とは騒動前から仕事だけの関係でした。でも、これからは違います」


「どういうことなんだ。君が我が星の皇太子の命を救い、その礼として君自身とこの国と友好関係を結んだが、君という人間がわからないときがあるよ」


「ふふっ、ただ彼と仲良くなりたいだけですよ。秘密を共有することは、そのための有効な手段です。いずれ彼は、その重圧から誰かに話したくなるでしょう。でも我慢し、ちゃんと秘密を守っていることを私に褒めてほしくなるはずです。そうやって、少しずつ仲を深めていき、いずれ彼と、ふふふふふ……」


「人間は、まったく未知の生物だ……」

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