ノコサレタ、オモイ
「なんで、自殺がダメなのか、知ってる?」
その女は僕を真っ直ぐに見て、そう言った。
僕はその質問の答を、返そうとも思わなかったし、考えようとも思わなかった。
今この僕が、自殺しようとしているのだから。
そんな事はどうでもよかった。
そんな質問よりも、自殺しようとしてい僕に、この女は何故気軽に話しかけてくるのか?そっちの方が気になっていた。
古びたビルの屋上──
ここが、僕が決めた場所だった。
飛び下りて、この世からいなくなる。
家の引き出しの中に、メモを書いて残しておいた。
それで、自殺した事は伝わるだろう。
自分の意志で死んだ事を解ってもらえれば、それでいい。
もう、どうでもよくなった。
大きな事も、小さな事も、色々あるけど、一言で言うなら、どうでもよくなったのだ。
自分がいなくなっても、世の中なんて何も変わらない。
ビルの薄暗い階段を上り、屋上に出て、錆びた金網の前に立った時、後ろから声をかけられた。
女の声。
振り向くと、30過ぎぐらいの女が立っていた。
高校生の僕からしたら、十分におばさんだ。
「良い天気ね」
女が言った。
ゆっくり、女が近づいくる。
僕は反射的に、金網に掴まり、片足をかけた。
死ぬ事を止められたくなかった、邪魔されたくなかった。それは死ぬ事以上の恐怖に思えた。
その時、女が質問してきたのだ、
「なんで、自殺がダメなのか、知ってる?」
と───
「自殺がダメな理由はね、それが人殺しだから…、自分で自分を殺すから」
女は僕の答なんか待っていなかったのだろう…、淡々と喋り出した。
「人殺しはダメだって知ってるでしょ?自殺はね、殺人と同時に、犯人が死んでるから逮捕出来ないだけで、立派な人殺しなの」
女は軽く微笑んだ。
「人殺しに立派も何もないよね」
そして、すっと冷たい表情になる。
「もっとダメなのは、誰かに迷惑になるから、想像してごらん、例えば君の通学路に、猫の死体があったら良い気分はしないよね」
女は一度、金網の向こう側をちらっと見た。
「それが、人ひとりの死体が、道端に転がるんだよ、迷惑そのものだよね」
僕から目をそらし、女は金網に近づいた。
両手を金網にかけて、下を覗き込む。
僕はただ不思議だった。
何故この女は、僕に話しかけたのか?
何故この女は、こんな古びたビルの屋上に、いたのか?
「まっ、今言った事は、ただの受け売り、前に私が知らない人に言われたんだ、この屋上でね」
僕はただ黙っている。
「その知らない人は、さっきみたいな事を私に言った後に、こう言ったんだ」
女がこっちを見た。
「でも、自殺するのに、そんな事関係ないよねって」
女が、微笑んだ。
「死ぬのなんか簡単だって言い残して、その人は、私の目の前で、この金網を乗り越えて、落ちていった」
その瞬間、女は素早く金網を上り、そのまま、金網の向こうに消えた。
そして、小さく衝撃音が聞こえ、すぐに悲鳴のような声も聞こえた。
僕は動けなかった。
足が震えていた。
女が消えた金網の向こうを見続けていた。
重たいモノが、心にずしりと埋め込まれた気がした。
死んでいく人の想い。
僕は、その想いと共に、独り残された。
「ノコサレタ、オモイ」
終