1 好望〜少女の願い
静けさに包まれた一室に、轟音が響いた。
大きなバルコニーへ通じるガラス窓の向こうには大きな尖塔が見えていて、さらにその先に浮かぶ大きな丸い月が、外界を白銀に照らしている。
砦を兼ねた館の、最上階の一室から見える石造りの防壁になにかがぶつかり、大きく砕けた石が跳ねるのが見えた。
「姫殿下。ご心配は無用です」
銀の胸当てに黒い外套を纏い、長剣を履いた騎士が静かに言った。言われた年頃十五、六のドレスの女性は、表情を変えずに静かに頷いた。
もっとも、側に控える侍女は、シックなメイド用のドレスの裾を掴んだまま蒼白になっている。
「大丈夫です。みなさんを信じています」
その目線の先には防壁と、その向こう側へ直立する巨大な騎士の姿があった。
フルプレートの甲冑を装備した人のような姿から鉄騎兵と呼ばれるその騎士は、城壁越しに上半身が見えるくらいの巨体で、人間の五、六倍の大きさで、中に人間の騎士が乗って操縦する。
いわば機械式の騎士というわけだ。
アンバー侯爵領には五騎の鉄騎兵が配備され、この城を守っている。
数が少なく思えるが、大陸全土を見ても、大小五つの国とその他の都市国家や領国など十を超える勢力すべてを合わせて、稼働数は三百騎を超えるかというところだ。
少ないのは、この鉄騎兵の動作を制御する基幹部分と、魔力を動力とする魔力炉を製造する技術が失われてしまったからだ。
百五十年前の大乱で、新たに製造する術はなくなり、保守だけが辛うじてできているのが実情だ。そもそも、建造するためには莫大な資源がいる。
それに、その魔力炉に呼応して、鉄騎兵を操るには、ある種の適性が必要だった。
だから、鉄騎兵は少ないし、その保有数が、そのままその軍の戦力ともいえた。その観点からして、侯爵領軍の戦力は決して多くはない。北のヘンナ王国と南のシャモア皇国の緩衝地帯として、ヘンナ王国によって建てられた小国なので、有事の際には援軍は来るが、結局のところ持ちこたえる最低限の戦力しか保持していないのだ。
そして、まさに今、その有事が起きた。
侯爵領は北東の休火山以外は森と平野で、領地の真ん中に大きな河が流れている。
その河に沿って監視塔が建てられ、中央にあるのが唯一の首都であり、防衛の要となるティーガ城とその城下町だ。この町の厚い防壁を囲むように、シャモア皇国軍が布陣している。
南の森での会戦を引き分けたのが昨日のことで、すでにティーガは囲まれている。
「我々には鉄騎兵コーパルがついています。それに、援軍も来るでしょう」
姫は静かに言った。傍らの騎士は静かに首を振った。
「姫殿下。王国の援軍が間に合うかはわかりません。我々だけでどうにかするしかありません」
すでにヘンナ王国への援軍要請は向かっているが、現在、他国と交戦中の王国が間に合うかは微妙だ。
「……できるのですか?」
「やってみせます。いくつかの算段はしてあります。侯爵様の不在を狙ったかのようなタイミングは気になりますが……ヘンナ王都に滞在中の侯爵様へも早馬は飛ばしております」
「……わかりました。父上が不在の今、筆頭騎士のオグマさまにお任せします」
「承知いたしました」
少女が視線を外へ向けると、見慣れたコーパルの姿があった。城壁の内側に直立し、壁越しに皇国の鉄騎兵ベルンと睨み合っている。
重装で丸みを帯びたシルエットのベルンと、少しだけ細身で攻撃的な印象のコーパルは対照的だった。兵士たちの持つロングボウの射程でもまだ倍はあろうかという距離で、盾を構えたまま不動の姿は、まさに達人が間合いを読んでいるかのようだ。
「戦いが始まりますが、奥の間が一番安全です。開戦しましたら姫殿下はそちらへ」
少女は静かに頷く。侍女と護衛の騎士に目配せをすると、オグマは一礼して、そのまま退室した。