新しい生活 〜イクス視点〜
慣れ親しんだ習慣というのは恐ろしいもので、用があろうとなかろうと、俺は必ず夜明けと共に目が覚める。
もちろん、前日の深夜に仕事が入っていてもそれは同じ。
今日も今日とて、目が覚めたのはまだ辺りが薄暗い頃。
なんかあったかいな、と思ったら、そういえば昨夜もリーアと一緒に寝たんだったと思いだした。
子供体温だからか、リーアはポカポカと暖かい。
しばらくその無垢な寝顔を見ていたが、今日やってしまいたいことを思い出して、頭の中で予定を確認した。
そっと、リーアが起きないようにベッドから出て、朝食の準備をし、自分の分だけ手早く食べてしまう。
リーア用の食事には保温魔法をかけてしまうと、そっと外へ出て森の中で朝の鍛錬をする。
毎朝の鍛錬は日課だ。やらないと、体が鈍る。
小鳥が鳴き始めたのを確認して、鍛錬を終える。
日はすっかりのぼっている。
清め魔法で汗と臭いを消して、濡れた衣服を着替えると、俺はもう一度ベッドに滑り込んだ。
(あー、こういう穏やかな朝もいいねぇ)
身体の筋肉を意識して解しながら、ぼんやり考える。
(うん。誰かと一緒の朝っていうのも、割と悪くない)
異性と朝を迎えたとは言っても、相手はまだ少女。
そこに色気など皆無だ。
(まあ、後5年もすれば、こうして一緒に寝るなんて出来なくなるんだろうけど)
今はガリガリの身体も、もう少ししたら肉付きがよくなるだろうし、リーアの身体も徐々に女性らしくなっていくだろう。
(ま、それ以前に深夜や夜明け頃の任務が入れば、一緒には眠れないから、それも慣れさせないとねぇ)
自分に抱きついてきた小さな体が可愛いが、そろそろ市場が開く時間だ。
ベッドから出ようとすると、雛鳥のように手を伸ばして縋ってくる。
(可愛いけど、おしまい)
「よしよし、いい子で寝ててね」
そっと額にキスを落とすと、うっすらとリーアが目を開けた。
「あー、起こしちゃったか。もう少し寝てていいんだよ?」
「だいじょうぶ。もう起きます」
ふらふらしながらも、リーアはベッドの上で体を起こした。
「テーブルの上に、朝飯置いてあるから、顔洗って歯を磨いたら食べてね」
言い聞かせて、買い物に行く準備を始める。
「イクスさんは?」
「俺はちょっと出かけてくる。
いい?俺がいない間は出来るだけ気配を殺して。
この小屋には認識阻害の魔法がかけてあるし、扉も俺以外出入り出来ないように魔法がかかってるけど、もしも誰か来ても、絶対に出ないで。
音を立てずに、じっとしてるんだ。
誰が来ても、だよ?出来る?」
誰かがここを突き止めるとは思わないが、万が一誰かが来るとしたら、それは「厄介者」だ。
瞳の色を変えてあるとはいえ、今はまだ、リーアの存在は知られないほうがいい。
リーアが頷くのをしっかり確認する。
「よし、いい子。じゃ、行ってくるね。
すぐ帰ってくるから」
リーアの頭をクシャッと撫でて、イクスは小屋を出ると、ローブのフードを深く被った。
とりあえず必要な物。
リーアの着替えと勉強道具だ。
食材はまだたくさんあるから今日は買う必要がない。
(このナリで女の子の下着買ってたら、犯罪者だと思われそう)
苦笑が漏れるが、仕方ない。
イクスは頭の中でリストアップした物を、順に買っていった。
買い物を終えて、小屋の近くで一旦立ち止まる。
小屋からは人の気配はしない。
仕掛けておいた魔法に異常はなし。
どうやら、リーアはうまく気配を消しているようだ。
小屋のドアを開けると、部屋の床にリーアがゴロンと転がっていた。
「うあ。びっくりしたー。ベッドで横になってればよかったのに」
言いながら、イクスは部屋の中に入って、テーブルの上を確認すると、テーブルの上はきれいに片付いていた。台所の奥の洗い桶には、使い終わった食器がきちんと水につけられている。
イクスは片手でポンポンとリーアの頭を軽く叩いた。
「ちゃんと全部食べられたみたいだね。食器も水につけてあるし、いい子」
イクスは片手で抱えていた大きな紙袋をテーブルに置いて、中から衣類を出した。
「リーアの着替えだよ。ワンピースと、下着ね。
何枚か買ってきたから、好きなのに着替えな」
買ってきたワンピースのほとんどは、プルオーバーのものか、前ボタンのもので、リーア一人で着替えられるタイプのものだ。
その中でリーアが選んだのは、紺色で白い襟のワンピース。
「ん?それ気に入った?じゃあ、今着てるのを脱いで、ちゃんと下着もつけてからそれを着るんだよ」
なんでもないように、イクスの前で素っ裸になって着替えるリーアの後ろに回って髪を紐で括った。
(うん。もうちょっと恥じらいを持とうか)
「ありがとうございます」
「どういたしまして。洋服の洗い方も教えてあげるから、せめて2日に一度は着替えようね」
次に取り出したのは、木で出来た、文字や数字の書いてある小さなブロックだ。
「これで、文字と数字を覚えるんだよ。覚えたら、単語も覚えようね。
あんまり時間がないんだ。結構ハイペースで教えるつもりだけど、ついてこれる?」
「はい」
(うん、いい返事。前向きなのはいいことだな)
「わかる文字はある?」
聞いてみると、リーアはいくつかの文字のブロックをひきよせた。
思った以上に、文字を知っているみたいだ。
残念ながら、数字は一つもわからないらしく、わかりやすく悄気げている。
「大丈夫。文字よりも数が少ないから、すぐに覚えられるよ」
それから、昼まで文字と数字を教えて、木板に書く練習もさせた。
砂地が水を吸い込むように、どんどん吸収していく。
これなら、教えるのも楽だ。
「飲み込みが早いなあ。いい子。
そろそろ、お昼ご飯にしようか。作るから少し待ってて」
「あの、わたしも、なにか、します」
「ん?手伝ってくれるの?そっか。じゃあ、俺が言う物を保冷庫から出すのを手伝ってくれる?」
リーアでも出来そうな手伝いを指示していく。
わからないことはその都度教える。
ここでも、リーアは次々に覚えていった。
刃物や火を使うのは危ないというと、そばで大人しく立って待っている。
「リーア、平たいお皿取って」
「はい!」
手伝えることがうれしいのか、飯の匂いに食欲が出てきたのか、ずいぶん嬉しそうだ。
「さ、出来た。ほら、膝の上に乗って」
昨日のように、膝の上に横抱きにすると、料理を指差しながらメニューの名前と材料を教えた。
「これがサラダ。玉ねぎとレタスが入ってる。
それから、この黄色いのがオムレツ。卵で作ってあるんだよ。あとは、朝も食べたベーコン。それから、茹でたジャガイモ。覚えた?」
「はい。サラダと、オムレツと、ベーコンと、ジャガイモ」
「そう。あとこれは朝も食べた黒パン。白パンの方が柔らかくて美味しいけど、平民はみんな黒パン。
フォークは使えた?スプーンは?あとは、ナイフの使い方も教えてあげようね」
カトラリーは実際に手にとって使いながら、使い方と食べ方を教える。
リーアは、イクスが差し出したものを食べながら、それらを覚えているようだ。
食後は、食器の洗い方と、洗濯の仕方を教えた。
どれも、すごく難しい、というものはない。
リーアも、すぐに覚えて出来るようになった。
「どうする?お昼寝する?それとも勉強を続ける?」
流石に疲れたかと、一応聞いてみる。
「お勉強します」
やる気満々な返事だ。
(それなら、遠慮せずにどんどんいくか)
「そう?じゃあ、約束通り単語のスペルを教えてあげるね。今日から3日で、日常生活に困らない程度の読み書きは覚えてもらう。あと、簡単な足し算もね」
イクスは、ハイペースで進めると言った通りに、日が暮れるまでに、文章の作り方など、今日教える予定だったことにプラスして、翌日教える予定だったことも前倒しで教えた。
リーアは、とても教え甲斐のある生徒のようだ。
予定していた3日は、あっという間に過ぎていった。
今、イクスは「確認テスト」の採点をしている。
不安そうな目がイクスを見つめいる。
「よし。全問正解。よく頑張ったね、いい子」
褒めてやると、喜ぶ。
どうやら、「いい子」と言われるのが好きみたいだ。
翌日は、簡単な生活魔法を教えた。
例えば。
小さな火を灯す魔法。
水を出す魔法。
ものを温める魔法。
冷やす魔法。
浄め魔法。
などなど。
魔法陣の書き方はいくら優秀でも時間がかかるので、後回しにした。
治癒魔法を使わせたときも思ったけど、リーアは、かなり魔力が強いらしく、最初は、魔法がかなり大きく発現してしまって、魔力コントロールを教える必要があったけど、それを含めても、1日足らずで習得した。
魔法の構築は、最終的にはセンスがものを言う。
たぶん、リーアはセンスがいいんだろう。
(いい事なんだけど、ちょっと優秀過ぎない?
いや、いい事なんだけどね?)
更にその翌日、リーアにローブを着せて、フードで金髪と整った顔を隠して、市場へ連れて行った。
買い物の仕方を一応教えてやるが、リーアが実際に一人で買い物をするようになるのは、まだ当分先になるだろう。
何しろ、今はまだ一人で小屋から出してやることはできない。
それでも、イクスに拾われてから、リーアの世界は明らかに広がっている。
(今夜からでも、次の段階に入るか)
イクスは、最後にもう一軒店によって、薬の材料などをいくつか買うと、リーアを連れて家に帰った。