誤解と後悔と
目が覚めると、見覚えのある天井が目に入った。
(師匠の家だ)
人の気配に顔だけ動かして横を見ると、師匠がリーアの枕元に突っ伏すように眠っていた。
(私、死ねなかったんだ)
意識が途切れる寸前に見た、イクスの必死な表情を思い出す。
イクスには、どの毒薬にも効く解毒薬を渡してある。
きっと、それをリーアに飲ませたのだろう。
師匠に声をかけようとして、自分が喋れなくなっていることも思い出した。
少しだけ身動ぎすると、師匠が目を覚ました。
「おはよう、リーア。気分はどう?」
正直、頭も痛いし身体も重い。
体の節々も痛む。
師匠はそんなリーアを見て、察したように微笑んだ。
「そうね。解毒薬を飲んでも、体調の悪さは残るものね。もう少し寝てなさい」
師匠はそう言うけれど、イクスのことも気になる。
でも、イクスの口からあの少女のことを聞くのは嫌だ。
(もう一緒にいられないと言われたらどうしよう)
拒絶したのは自分のはずなのに、イクスに拒絶されるのは耐えられなかった。
「アイツのことが気になる?」
悩んだ末、リーアは小さく頷いた。
「あなたをここに連れてきたのはアイツよ。解毒薬をを飲んだとはいえ、あなたは毒を飲んでいて意識がなかったし、喋れなくなっていたからね。
アイツには、自宅待機を言い渡してあるわ。あなたが会いたいと言うまでは、会わせないから安心して」
リーアはまた小さく頷く。
「とりあえず、何か食べましょう。あなた、まる一日眠っていたのよ?ミルク粥を作ってあるけど、食べられそう?」
師匠の作るミルク粥はおいしい。
お腹はそんなに空いていなかったけれど、リーアは食べることにした。
これからどうなるにせよ、体力はつけなくてはいけない。
ああ、でも。
もうイクスと一緒にいられないのなら、生きていても仕方ない。
リーアの頬を、涙が伝った。
「泣かないの。あなたとはちゃんと話さないといけないこともあるし、食欲がなくても食べなさい」
ミルク粥を持ってくる、と師匠は部屋を出ていった。
そういえば、イクスはどうやって、リーアをここまで運んだのだろう。
リーアは一日眠っていたということだけど、いくらなんでも、クラインベリーから1日でここまで辿り着くのは無理だ。
部屋を見回して、机の上に本が乗っているのに気がついた。
あれは、旅の途中でリーアが買った、魔術大全だ。
(もしかして、転移?)
イクスの魔法のレベルなら、不可能ではない。
少しして、師匠が湯気の立つミルク粥を運んできた。
関節の痛むリーアに、一口ずつ食べさせてくれる。
久しぶりに食べた、師匠のミルク粥の味に、リーアはまた涙ぐんだ。
どうやら、情緒が不安定になっているみたいだ。
それでも、全部食べきったリーアの頭を、師匠は優しく撫でた。
「まだ話ができる状態じゃなさそうね。
でも、これだけは覚えていて。アイツは潔白よ。あなたを裏切ったりしてない」
イクスを拒絶した理由は、本人にも伝えてないのに、なぜ師匠はわかったんだろう。
「そんな不思議そうな顔して。私はあなたの師匠よ。あなたの考えることくらいわかるわ」
さすが師匠だ。
やっぱり、師匠はすごい。
レッド・アイとして有名になったけれど、まだまだ師匠には遠く及ばない。
「さ、この薬を飲んで。詳しい話は、あなたがもう少し元気になったらしましょう。今は眠りなさい」
師匠の薬湯は、滋養強壮薬の味がした。
それに、少しだけ、気分を安定させる薬草の味も混ざっている。
(イクスさんは潔白、か。師匠は私に嘘をつかないから、きっとそれは本当なんだろうな。
でも、それじゃあ、私が見たあれは何だったの?)
考えても堂々巡りになりそうで、リーアはまた目を閉じた。
夢の中で、イクスは泣きそうな顔をしていた。
イクスのそんな顔を見るのは初めてだった。
(泣かないで)
リーアが手を伸ばしても、イクスには届かない。
(イクスさんは、本当に潔白なの?)
イクスは答えない。
ただ、涙を流すだけだ。
もしかすると、自分は早まったのかもしれない。
もしそうだとしたら、生き残ってよかった。
(イクスさんに、悲しい思いをさせちゃった)
申し訳ないと思う気持ちと同時に、イクスが少女にキスをしていた光景がよみがえる。
はっ、と気がつくと、辺りはほんのり明るくなっていた。
どうやら、早朝らしい。
身体を起こすと、さっきより少し楽になっていた。
窓から外を見ると、師匠が薬草を摘んでいた。
ふ、と師匠がこちらを見る。
視線を感じたみたいだ。
師匠はリーアに向かって手を振ると、家の中に入ってきた。
トントン、と階段を上る音がして、師匠がリーアの部屋のドアを開けて入ってくる。
「おはよう。目が覚めたのね。体調が悪くなければ一緒に食事にしましょう」
リーアは頷いて、師匠と一緒にキッチンへと向かった。
一緒に暮らしていたときみたいに、向かい合って二人で食事をとる。
リーアが半分くらい食べたところで、師匠が口を開いた。
「そのまま、食べながら聞いてちょうだい」
リーアは目線だけ動かして、食事をしながら師匠の言葉の続きを待つ。
「あなたは知らないでしょうけど、最近、国外で、あなたのコードネームを名乗る偽物が、質の低い薬を売りさばいていたの」
初めて聞いた。
まさか、自分の偽物が現れるなんて。
「それだけ、あなたの名前が売れているということね。偽物が商売していたのは、クラインベリーよ。
あなたの偽物は、どういう偶然か、あなたとそんなに歳の違わない少女だったらしいわ」
その言葉に、リーアはあることに思い当たって食事の手が止まった。
「あなたの想像通り、アイツはその知らせを聞いて、自分だけで処理することにしたの。偽物をうまくおびき出して、死因がわからないように暗殺した」
師匠はまっすぐに、リーアの目を見る。
「あなた、アイツが他の女の子とベタベタしているところを見たんでしょう?」
答えはわかった。
それでも、リーアは頷いた。
「アイツも、普段はハニートラップなんてしないのに、なんで今回に限ってそんな手段を選んだんだか。まぁ、とにかく、アイツは偽物を抹殺することに成功した。その代償に、あなたの信頼を失ったわけだけれど」
違う。
悪いのは自分だ。
ちゃんとイクスを信じきれなかったリーアが悪い。
リーアは唇を噛んだ。
「傷がつくから、唇を噛むのはやめなさい。
でも、そうね。あなたはちゃんと、アイツから話を聞くべきだったわね。ショックでそこまで頭が回らなかった気持ちはわかるけれど。でもね、アイツも悪いのよ。現に、あなたはショックで話せなくなっていたのだし。あなたにちゃんと説明してから、消しに行くべきだったわね」
そうかもしれない。
でも、もしイクスから事前に説明を受けていたとしても、きっとリーアは嫌がった。
たとえ仕事でも、他の女性にイクスが触れるなんて許せなかったと思う。
イクスはリーアのことを思ってしてくれたのに。
うつむくリーアの頭を、師匠はまた撫でてくれた。
「嫌だと思うのは当たり前よ。誰だって、好きな人が他の女の子とベタベタするなんて、仕事だとわかっていても面白くないわ。でもね」
師匠は、一旦言葉を切った。
「これからもアイツといたいなら、どんなことでもちゃんと話し合いなさい。怖がらずに聞いて、嫌なことは嫌とはっきり言わなきゃダメ。できる?」
出来るだろうか。
でも、師匠の言うとおり、怖がっていないでちゃんと話して、嫌だと言わないと、また似たようなことが起こるかもしれない。
「ま、努力目標といったところかしらね。
それで、アイツとは会えそう?あなたが話せるようになるにはまだ時間がかかるとは思うけど、アイツの話を聞いてやることは出来そう?許せなければ許さなくていいの。怒って、泣いてやればいい。
それでも、話だけは聞いてあげたほうがいいわ。できる?」
リーアが頷くと、師匠はまた、頭を撫でてくれた。
強い子ね、と。
憔悴したイクスがリーアの前に現れたのは、その日の夕方だった。




