その温もりは嫌じゃない
イクス視点です
「死亡が確認されました」
「それでは、目立たぬ山奥にでも捨ててまいります。魔獣に食われるか、獣に食われるか、何にせよ、骨くらいしか残らぬでしょう」
宰相の言葉を受けて、俺はフィリアを麻袋に入れると肩に担いだ。
「ご苦労だった。10日ほど、休みを取るといい」
「ご配慮、痛み入ります」
陛下に目礼をして部屋を出ると、気配を消して、宮廷の庭の木の枝に飛び移った。
そのまま枝から枝へ移動しながら城の外壁まで来ると、弾みをつけて外壁を乗り越えた。
下町にある自宅ではなく、森の奥の隠れ家へと向かう。
そもそも、下町の家は目眩ましに過ぎず、普段はこういった森や山奥の隠れ家にいることが多い。
隠密騎士なんて、みんなそんなものだ。
陛下からの命令は、身につけている転移魔法陣で送られてくるから、特に不便はない。
現代の魔法技術では生き物は転移させられないので、移動に転移が使えないことは、少し残念に思う。
ともあれ、無事にフィリアを隠れ家に連れてこられて良かった。
フィリアをベッドに寝かせ、時間を確認する。
そろそろ解毒が始まるはずだ。
桶や水などを用意して青白い顔を見つめると、なぜだか不安になってきて、フィリアの細い首筋に指を当てた。
ゆっくりだが、確実に脈打っている。
一時的とはいえ、仮死状態にしたのだ。
まだ鼓動が戻らないようなら、救命措置を取らなくては、と思っていたが、指先の感覚に安堵した。
その後すぐ、フィリアは目を覚まし、口を手で押さえた。
「吐いて。我慢しなくていいよ」
桶を口元に持っていくと、フィリアは苦しそうに嘔吐し始めた。
全て吐いてしまえば、毒は身体から抜ける。
フィリアにあげた解毒剤は、身体に染み込んだ毒を強引に抜き取るものだ。
あとはそれを吐き出してしまうだけなのだが、これが本当に辛い。
経験者であるイクスは、その辛さを知っている。
甲斐甲斐しく看病した結果、夜明け頃にようやくフィリアの解毒が終わった。
「これで身体の毒は抜けたよ。よく耐えたね。いい子。少し眠るといいよ」
頭を撫でてやると、フィリアはまたすぐ眠りについた。
フィリアが再び目覚めたのは、昼近くになってからだった。
顔色の戻った頬に安心して少し頭を撫でたのだが、どうやら起こしてしまったらしい。
「イクス、さん……」
「お?目が覚めた?ここは、俺の隠れ家の一つだよ」
フィリアが身体を起こそうとしたので、慌てて横たえる。
「あー、残念だけど、起きる上がるのはまだ無理だ。トイレか?」
首を横に振る。違ったらしい。
イクスはまだぼんやりしているフィリアに、また頭を撫でた。
「ゆめを、見ていました」
「夢?」
「マーサと、最後に会ったゆめ。
マーサは、いつかわたしを助けだしてくれる人がいるかもしれないって、言ってました。それまでは、息を殺して生きろ、と。
マーサの言ったことは、本当だったんですね」
幼いフィリアの唯一の救いだったであろう使用人。
彼女の死後も、その言葉や思い出があったから、フィリアは生きてこれたのだろう。
「わたしは、本当に生きていてもいいの?」
フィリアは、困ったような顔でつぶやく。
フィリアが何をしたという。
ただ懸命に、己の命を守ってきただけだ。
「……生きろ。君にはその権利がある」
「けんり……」
幼い彼女には、まだ理解できないかもしれない。
今はそれでもいい。
それよりも。
「なんで、君があんな目に遭っていたのか。なぜ毒杯を賜ることになったのか、知りたい?」
「知りたい」
フィリアは即答した。
これまで、なぜ自分だけが悪い意味で特別だったのか。
何故、隣国の皇帝に毒を与えられなければならなかったのか。
疑問が生じて当然だ。
やっと、己を取り巻く様々な事に疑問を持つようになったのは、精神的に少し成長したからだろう。
それから、イクスは本当の事を隠さず教えた。
フィリアは、国王と王妃の間に生まれたが、二人に似ず、悪魔の使いとされる金の眼を持って生まれた為に、存在を消されたこと。
調査の結果、フィリアが殺されそうになる直前に、乳母が納屋に隠したことがわかった。
それが多分、マーサという女だろう。
フィリアの生きていた環境は、奴隷よりも酷いこと。
それから、マリウス国王を始めとした王族は、国民に恨まれていたこと。
マリウス王国が、自分勝手に戦争を仕掛けて、負けたこと。
王族や多くの貴族が、処刑されたこと。
フィリアも王族だから処刑されるはずだったけれど、その生き様故に、皇帝の温情で毒杯に変わったこと。
フィリアの存在を知る人は、もう、皇帝とダッタイト皇国の宰相しかいないこと。
二人とも、フィリアは死んだと信じたこと。
「マリウス王国はもうないし、君ももう王女じゃない。フィリアという女の子でもない」
フィリアという名の少女は、完全に死んだ。
これから彼女に待っているのは、別人としての新しい生活だ。
「君はこれから、名前を変えて、瞳の色も変えて、全く新しい人間として生きていくんだよ。
俺は、その為に協力するし、その方法も考えてある」
名前と眼の色が変わる。
しかし、フィリアは全く気にしていないようだった。
「ありがとう」
礼を言われて戸惑う。
これから彼女は、短期間で、沢山のことを学ばなければいけない。
身を守るための術を。
「君にとっては、険しい道かもしれないよ?」
「いいの、平気。ただ……」
「ただ?」
「イクスさんは、そばにいてくれますか?」
意外な言葉にイクスは目を瞬いた。
どうやら自分は、思っていた以上に懐かれているらしい。
「大丈夫。一度は離れることもあるけど、それはまだ先の話。君が、もう少し知識を得てから。
それに、一度離れても、また一緒に過ごせるようになるよ」
「良かった……」
フィリアがため息とともに囁いた。
(なんだろう。なんか、座りが悪いというか、落ち着かない)
「もう少し体調が落ち着いたら、普通の生活について勉強しようね。他にも覚えてほしいこともあるし」
フィリアが頷くのを見て、イクスは微笑んだ。
「じゃあまずは、君の新しい名前を考えよう。何か、希望はある?」
「わかりません」
それなら、イクスが考えるしかないが、何かを名付けることは初めてで、あまりいい名前が思い浮かばない。
「それなら……『リーア』はどうかな。本当の名前とそこまで離れてないし」
フィリアの顔がフワッと綻ぶ。
どうやら気に入ってくれたようだ。
「今日から君の名前はリーア。年齢は7歳。ダッタイト皇国で生まれた女の子だよ。両親は既に死んでいて、俺が引き取った。いい?」
「はい」
「今日はもう遅い時間だし、ここまでにしよう。
明日一日ゆっくり休んで、明後日には文字と数字や簡単な計算を教えてあげる。それが出来るようになったら、市場に買い物に行ってみよう」
フィリア…いや、リーアの目が輝いたのを見て、思わずフッ、と笑みが零れた。
「きっと私は、イクスさんに会うために今日まで生きてきたんですね」
思わぬ言葉に、自分への依存度を知る。
同時に、胸のうちを仄暗い喜びが満たす。
イクスは答えず、ただ頭をなでてやった。
「食事の前に、眼の色だけ変えちゃおうか。
少し眩しいけど、我慢してね」
リーアの目の前に手を翳して魔力を練る。
パッと広がった白い光が収まると、リーアの眼はイクスと同じ赤色に変わっていた。
鏡を持ってきて見せてやったが、反応は薄い。
聞いてみると、これまで鏡を見たことがなかったから、何かが大きく変わったと言う意識がないらしい。
「うーん、そうかぁ。まあ、君が気にしないならそれでいいけどね。次は湯浴みをしておいで。湯は張ってあるから」
そう言うと、リーアはモジモジと自分の髪を引っ張った。
「どうしたの?」
「この髪も、切ってもらえますか?」
「こんなに綺麗な、サラサラの金髪なのに?」
腰までまっすぐ伸びたリーアの金髪は、動くたびにサラサラ揺れて、とても美しい。
「こんなに長いと目立つと思うし、洗うのが大変だから」
「そっか。わかった。じゃあ、背中くらいまで切ろうか」
「ありがとうございます」
一緒に浴室に入り、ナイフで少しずつ髪を切り落としていく。
自慢ではないが、ナイフの扱いには自信がある。
自然な形に背中の途中辺りに毛先が来るように切り終えると、リーアは頭をフルフルと振った。
「軽い。ありがとうございます」
イクスはまた切った髪を集めてゴミ袋に入れると、ゆっくり温まるように言って浴室を出た。
しばらくして風呂から上がったリーアの髪を乾かすと、イクスもササッと湯浴みを終えて部屋に戻った。
リーアが湯浴みをしている間に作った夕食を食べようとして、リーアには椅子が体にあっていないことに気がついた。
一旦、リーアを椅子から下ろすと、イクスは自分が椅子に座って、膝の上にリーアを抱き上げた。
「さ、食べて」
餌付けをするように、食事を一口大にしてはリーアの口に運ぶ。
もちろん、リーアが食べている間に、自分の分も食べる。
「もうお腹いっぱいになった?」
どこか、赤い顔で頷くリーアを見て、イクスの中にそこはかとない達成感が浮かんだ。
清浄魔法で食器を綺麗にして棚に仕舞うと、イクスはリーアを抱き上げてベッドへ入った。
「おやすみ」
「……おやすみなさい」
リーアは緊張していたようだが、すぐに穏やかな寝息が聞こえてきた。
ベッドから落ちないように引き寄せると、しがみつくようにリーアが擦り寄ってきた。
「子犬を飼うってこんな感じなのかな」
ペットを飼えるのは上級貴族だけだが、イクスには何となく彼らの気持ちがわかった気がした。
「いい夢を」
リーアの額にキスを落とすと、イクスも目を閉じた。
なれないはずの人肌は、思ったより嫌じゃなかった。