王女、毒杯を賜る
フィリア視点に戻ります
(まぶしい……)
窓から入る光で、フィリアは目が覚めた。
光の眩しさで起きるなんて、生まれて初めてだった。
辺りを見回して、昨日のことを思い出す。
ここは、あの狭い納屋じゃない。
優しい人が連れてきてくれた、あたたかい場所。
あたたかい部屋も、あたたかい食事も、あたたかい湯浴みも、あたたかい寝床も、すべてが生まれて初めてだった。
こんなに深く眠ったのも、初めてのことだ。
身体は少し重かったが、節々の痛みはない。
部屋の中に、あの人はいなかった。
(どこに出かけたんだろう。明日から忙しくなるって、言われたけど…)
体は空腹を訴えていたが、今まで程の飢えではなかったし、部屋の中を勝手に使ってはいけないから、フィリアは、ベッドに腰掛けてじっとしていたが、その広さに落ち着かなくなって、結局、部屋の片隅に座って、膝を抱えながら部屋の主人の帰りを待った。
(これからどうなるんだろう。あの人は殺さないって言ってたけど、そんなこと、許されるのかな。
それとも、奴隷にされるのかな。それは嫌だな)
嫌だと思ったところで、あの人がその選択をしたのなら、自分には選択肢はない。
いや、最初から、フィリアには選ぶ権利などないのだ。誰か、偉い人の命令に従うだけ。
これまでもそうだったし、これからもそうなんだろうと思っている。
ガチャっと音がしてドアに目を向けると、紙袋を一つ抱えた男が入ってきた。
昨日、フィリアを城から連れ出してくれた人だ。
「あ、起きてた?ごめんね、今朝は時間がないからパンしか食べさせてあげられないけど」
十分だ。
フィリアはフルフルと首を振る。
「はい、どうぞ。食べながら聞いてね」
手渡された黒パンに齧りつきながら、男の言葉に耳を傾ける。
「まずは、自己紹介するね、
俺の名前はイクス。ダッタイト皇国の隠密騎士だよ。ダッタイト皇国はわかる?」
「はい。お隣の国。マーサの生まれた国だって聞きました。あたたかくて、明るい国だって」
「そっか。ここがそのダッタイトだよ。隠密騎士は…わからないよね。いいよ、わからないままで。
君は、この後、ダッタイトの皇帝に会う。
それから、毒杯を賜ることになる。意味はわかる?」
フィリアが首を横に振ると、イクスが意味を教えてくれた。
「高貴な人や、処刑する程じゃないけど生きててはいけない人に与えられる死に方。
することは簡単。グラスに入った毒を渡されるから、それを飲み干すだけ。多少は苦しむけど、そんなに長くは続かない。比較的、安らかな死が訪れる」
フィリアは頷いた。
つまりは、この後、皇帝という人に殺されるということだ。
昨日、イクスはフィリアを殺さないと言ったけど、やはり無理なのだろう。
パンを食べ終わり、コップの水を渡される。
フィリアがそれを飲むのを見ながら、イクスは続けた。
「俺は君を死なせないと決めた。でも、皇帝陛下には抗えない。そこで、この飴」
イクスは紙袋の中から、黒っぽい飴を取り出してみせた。
「ここからが大事だから、よく聞いてね。
これは、解毒剤を飴で包んだものだよ。解毒剤って、わかる?毒の効果を消すもの。
飴が溶け出して解毒剤が効いてくるまで、およそ1時間。
君は、皇帝陛下に会う前にこの飴を口に入れて、言われた通り毒杯を飲む。毒が呷ってから死亡が確認されるまで30分。その時点で、君は半分死んだ状態になる。
それから俺がすぐに連れ出して、君を安全な場所まで連れて行く。その間に、解毒剤が効果を発揮して、君は死なずに済むって流れ。
解毒剤で毒を打ち消すのは、すごく苦しいし、辛い。我慢できそう?」
(本当に、たすけてくれるんだ)
フィリアは苦しいと聞いて本当は少し怖かったけど、イクスが助けてくれる為には必要なことなのだとわかったから、頷いてみせた。
「よし。安全な場所に着いてからの動きについては、君の解毒が完全に済んでからまた話すよ。
毒杯を賜ることも含めて、これから先は大変なことばかりだ。それでも、頑張れる?」
「はい」
「いい子だ。じゃあ、夜になったら陛下に会いに行こう。
陛下に会える時間は限られてる。
悪いんだけど、この麻袋に君を入れていく。
誰かに君の姿を見せるわけにはいかないからね」
そう言ってイクスが取り出した大きな麻袋を、フィリアは頭から被ろうとして、止められた。
「待って待って。まだいいよ。
出掛ける時でいい。それまで俺は用事を済ませてくるから、君はゆっくり寝てていいよ。
お腹が空いたら、この紙袋の中のパンを食べて。
この瓶の中に果実水が入ってるから、のどが渇いたら飲んでね。
トイレは、そこのドアを出て右側のドア。
危険なものもあるから、あまり部屋の中を触らないようにね。
とにかく、今はゆっくり眠ること」
言われて、フィリアは頷くと、大人しくベッドの中に戻った。
イクスに優しく頭を撫でられて、瞼が重くなってくる。
これだけは伝えないと、とフィリアは必死に口を動かした。
「おいしいものと、あったかいものいっぱい、ありがとう。もし死んじゃっても、優しくしてもらえたことは絶対にわすれない」
複雑そうに笑うイクスを確認して、フィリアはそのまま意識を手放した。
次に目が覚めたときは、辺りはもう暗くなっていた。
シンとした部屋に、きっとかなり遅い時間なのだと予想する。
空気が変わった気がして身体を起こすと、パチンと照明がついて、部屋が明るくなった。
「ごめんね、起こしちゃったかな。でも、そろそろ時間だから」
イクスが帰ってきたらしい。
フィリアはベッドから出て、イクスに歩み寄った。
イクスは解毒剤という飴を取り出して、フィリアの頭をそっと撫でた。
「口開けて。はい、飴。それじゃ被せるよ。ゴワゴワしてるし、チクチクすると思うけど、ごめんね」
言われるがまま飴を口の中に入れて、今度こそフィリアは麻袋を被った。
イクスの言う通り、麻袋はゴワゴワして、肌に触れるとチクチクしたが、昨日まで着ていた服と、さほど変わりはない。別に、どうってこともなかった。
また昨日と同じように肩に担がれた気配がして、時折ある振動で飴を噛み砕かないように気をつけながら、イクスに身を任せた。
(イクスさんは、怖いことも痛いこともしない。だから大丈夫)
担がれたままじっとして、しばらくすると、イクスが誰かと話している声が聞こえた。
それからすぐに、硬い床にそっと降ろされる。
バッと麻袋が取り払われて、目の前に知らない男の人が二人目に映った。
反射的に頭を庇って蹲る。
「これが、例の?」
「まるで虐げられた家畜だな」
(この人たちが、皇帝?二人いるけど、たぶん椅子に座っている方だ)
恐る恐る目を開けて確認する。
すぐそばで、イクスが跪いて頭を下げているのに気がつくと、フィリアも慌てて額を床につけた。
口の中の飴はだいぶ小さくなっているが、喋るには少し大きい。
何か答えなきゃいけなくなったら困るな、と思いながら、フィリアは必死で額を床にこすりつけた。
「顔を見せろ」
重々しい声は、きっと自分に向けられたものだ。
恐怖にすくみながらも、そっと顔を上げる。
目の前の椅子に座る人は、気怠げにフィリアの顔を見て、隣に立つ男の人に目を向けた。
「金の髪に金の瞳。間違いないかと」
目線を向けられた人が答える。
「そちに罪はない。あるとしたら、マリウス王族に生まれたということだけ。恨むなら自分の生まれを恨め」
その言葉を受けて、立っていた人がフィリアにグラスを握らせる。
「飲め。せめて穏やかな死を」
皇帝らしき人に言われて、フィリアは何も言わずにグラスの中の毒を呷った。
一瞬カッと熱くなった身体は、次の瞬間には寒いほどに冷え始めて、フィリアの意識もぼんやりし始めた。
(息が、苦しい…)
床に落ちたグラスが割れる音を聞きながら、フィリアの視界は真っ暗になり、そのまま意識を手放した。