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優しく強きもの

引き続きイクス視点です

家に帰ると、部屋の中に僅かに饐えた臭いがした。

あの少女の臭いだ。


(明日には散らす命とはいえ、せめて少しでも身奇麗にしてやるか)


部屋の隅で膝を抱えていた少女に、そっと近づく。



「あー、えっと。そう言えば、君の名は?」


「フィリア、です」


「うん、フィリアね。了解。それじゃフィリア、今から湯浴みでもしようか」



フィリアは少し逡巡した後、頷いてその場で麻袋を脱ぎ捨てた。

それに慌てたのはイクスの方である。

まだまだ幼いとはいえ、女の子が男に平気で裸体を晒すべきではないし、春間近とは言え、湯の準備が出来るまでの間に風邪を引いてしまう。



「あー、まだ脱がなくても良かったんだけど…」


「えっ。あ、あの、すみません」


「まあ、いいよいいよ。とりあえず準備できるまでこれ羽織ってな」



棚から余分な毛布を取り出すと、イクスは少女の肩にかけた。

それから少女を置いて浴室に行くと、湯船に水を張り、魔法で適温にする。



「さ、お待たせ。これが石鹸。使い方わかるかな。

そこにある布で泡立てて身体を擦ったり、頭を洗ったりするんだよ。洗ったあとはお湯で流して、しっかり湯船に浸かって温まってね」



ササッと説明して振り返ると、フィリアは湯船に張ったお湯を見て硬直している。



「ん?どうかした?」


「水じゃ、ない…」


「そりゃ、湯浴みだからね?」



試しに少し湯をかけてやると、フィリアはビクッとした。



「あったかい…あったかいの、初めて」


「湯浴みしたことなかったかな?」


「王子様に言われて、水に入ったことなら…」



なるほど、と納得する。

しかしながら、マリウス王国は北の国だ。

いくら真夏であったとしても、冷水に入るのはかなり寒かっただろう。


フィリアを浴室に押し込むと、イクスは旧王国の王族に苛立ちを覚えた。


(あんな幼い子に、なんてことを…!やっぱり屑だな)


窓を開けて空気を入れ替えると、また窓を締めて暖炉に火を入れた。

それから、携帯食を口に入れながら待っていたが、フィリアはなかなか出てこない。


まさか溺れているのではないかと様子を見に行くと、フィリアは自分の長い髪に苦戦しているようだった。

長いこと洗われていないだろう髪は、所々で絡まり、収まりがつかなくなっている。



「えーっと、フィリア?もし嫌じゃなかったら、絡まってる部分だけでも、髪切ろうか?」


「すみません、お願いします…」



イクスは一旦泡を洗い流してから、懐から出したナイフで絡まった髪を切り落としていった。

元は豊かな毛質だったのだろう。

ある程度切り落としても、見窄らしい印象にはならない。

絡まった髪を切り終えると、石鹸を泡立てて、改めてフィリアの髪を洗っていく。

洗い流すたびに、眩い金の髪が現れる。



「身体は?洗った?」


「はい」


「そ。じゃ、湯船で温まるんだよ」



足元に散らばった髪を纏めると、ゴミ袋にいれる。



「…身体の傷は、誰かから殴られたの?」


「…はい。色んな人に殴られたりするのは当たり前だから、もう、どの傷が誰なのか覚えてません。

魔法である程度は治したけど、消えない傷のほうが多くて…」



その言葉に、イクスは目を見開いた。



「え、君、治癒魔法が使えるの?」


「は、はい…すみません」


「どの程度?」



怯えるフィリアに、前のめりで尋ねると、フィリアは恐る恐るイクスの左手の古傷に触れた。

駆け出しの頃の傷で、今でもたまに痛む。

それが、フィリアの指が触れた瞬間、ポウッと温かい何かに包まれて、傷跡が痛みとともに消えた。


それからフィリアは、そうっとイクスの眼帯に触れようとして、手を引っ込めた。



「ごめんなさい。この傷は治せません」



眼帯に覆われた、イクスの左目。

イクスは自分でそっと眼帯に触れると首を振った。



「いや、この傷は治すつもりはないからいいんだ。

それより、君は自覚していないようだけど、かなりの治癒魔法の使い手だよ」


「でも、自分の傷も治せないのに…」


「治癒魔法って言うのは、基本的には自分に対しては効かないんだよ。多少なりとも効果があったなら、それだけでも凄いことだ」



フィリアは分かったような分からないような顔で俯いた。


それから少しして湯船からあがったフィリアに、自分のシャツを着せて、魔法で髪を乾かしてやった。



「大したものはないけど、何か食べる?」



(最後の晩餐、ってね)


フィリアは黙ったままだったが、腹は素直に空腹を訴えた。

クスクス笑いながら、ありあわせの野菜でスープを作り、パンを用意する。



「普段は何食べてたの?」


「たまに、台所の外にある入れ物の中身を…」



その言葉に、一瞬料理をしていた手が止まる。



「あれは、屑入れだよ?」


「知ってます」


「あそこに入ってるのは、ゴミだよ。食べ物じゃない」


「はい。だけど、ゴミだから、わたしが食べてもいいかと思って。それに、少しだけどお腹が空くのががまんできるから。たまにお腹が痛くなったりするけど、それだけだから」



フィリアにテーブルの前の椅子に座らせて、自分は窓際に座る。



「生まれたときからずっと?」


「途中までは、マーサがたまに食べ物を持ってきてくれました。でも、マーサが来れなくなって、水だけだとお腹が空くから、裏庭に生えてた草とか木の実を食べてたんですけど、食べたら体がしびれたり、息が苦しくなったりするものがあったから、そういうものはあんまり食べないようになりました」



気がつけば、フィリアは食事に手を付けず、一生懸命答えてくれていた。



「ああ、ごめんね?食べながら話そう。さ、食べて。

それで、そのマーサっていう人は、いつから来れなくなったの?」


「わかり、ません。…ずっと前かも知れないけど、もしかしたら、この間なのかもしれない。

ある日突然、もう来れなくなったって。二度と会えないって」



話しながら、フィリアは勢い良くパンに齧りつき、スープを皿から直接飲む。

あっという間に食べ尽くしたフィリアに、グラスに入った水を渡してやると、ゴクゴクと飲み干した。



「ありがとうございました」


「どういたしまして。大したものじゃないけど」


「それだけじゃなくて…」



フィリアは、ふわっと微笑んだ。

イクスが初めて見る微笑み。



「お城から連れ出してくれたことも。…わたしは、殺されるんですよね」


「ん?なんで?」


「お城にいた人がどうなったのかわからないけど、わたしは『存在を消された』人間なんですよね?

わたしは、きっと生きててはいけないんです。

それに、マーサはきっと、わたしのせいで殺されたから。

わたしは、その罪をつぐなわないといけない。

でも、飢えて死ぬのも、炎に焼かれて死ぬのもきっと苦しいから…

あなたに殺されるならいいなと思ったんです」



フィリアの目に怯えはない。

ただただ、安心したような穏やかな光が浮かんでいる。



「なんで、俺に殺されるならいいの」



思った以上に平坦な声が出た。



「あなたは…マーサの他にゆいいつ、わたしに優しくしてくれた人だから。

きっとすごく優しい人だから。

あなたの心に傷をつけてしまうかもしれないけど、あなたならきっと、苦しまずに殺してくれるでしょう?あなたは、優しくて、つよい人だから」



記憶によれば、フィリアが生まれたのは7年前。


(たった7歳の子供が、こんなに穏やかに死を受け入れられるものか?

諦め?いや、それとは違う。絶望とも違う。じゃあこれは…)


そこまで考えて、イクスはハッとした。


(そうか。希望、なのか。これまでの地獄を終わらせることのできる救いが、この子にとっての死、か)



「ごめんなさい。あなたに傷をのこすことは、本当にごめんなさい。わたしのことは、ずっとうらんでください」



金色の瞳に涙が浮かび、スッと頬を流れ落ちた。



「『あなたの人生に、幸いが訪れますように』」



そう言って、両手を胸の前で組んで、目を閉じ、心持ち首を差し出すように上を向くフィリア。


最後の言葉は、おそらく、マーサという使用人からフィリアが実際に言われたことのある言葉で、フィリアの中では別れを告げる言葉なのだろう。


仮にここでフィリアを殺したとしても問題ない。

陛下には、暴れたので殺したとでも言って、亡骸だけ見せればいいだろう。

自分の腕を持ってすれば、きっとフィリアの願い通り毒杯よりも苦しまずに送ってやれるだろう。


懐からナイフを取り出し、フィリアの首筋に向けようとして……やめた。


これまで殺めてきた人数は両手で数え切れない。

仕留めるときは躊躇なく。

師匠の言葉通りに、何の感慨もなく命を奪ってきた。

そんな自分が優しいわけがない。

初めて真っ当に扱われて、雛の刷り込みのように勘違いしているだけだ。


それでも。


フィリアが優しいと言ってくれたから。

フィリアの目に映る自分が優しいというのなら。


せめて、フィリアに対してだけは優しい人間になってやろう。

多くの命を奪ってきたこの手で、フィリアの命を救い上げ、守り抜き、本当の幸せを教えてやる。


たとえ、幸せを知ったフィリアに怖れられ、離れるときが来たとしても。


せめて、それまでは。

この、自分の死より己を殺す相手を傷つけることを厭う少女を守ってやりたい。



「俺は君を殺さない。誰にも殺させたりしない。

明日から忙しくなるぞ。今日はもう寝ろ」



目をパチクリさせるフィリアを抱き上げると、ベッドに寝かせて布団をかけてやる。

幼子にするように、トントンとゆっくり優しく叩いてやると、やはり疲れていたのか、フィリアはすぐに寝入った。


イクスはソファに横になり、毛布一枚だけかけると、明日からの動き方を綿密に計画し、浅い眠りについた。


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