城の外へ〜イクス視点〜
イクスはその晩、マリウス王城へ忍び込んでいた。
王城攻撃まで、予定ではあと二日。
その予定が変わることはないだろう。
隠密騎士であるイクスの仕事は、王城に逃げ込んだ王侯貴族らの隠れる場所を探すこと。
ついでに、秘密通路の破壊や、兵糧の始末、攻撃後すぐに王侯貴族を捕らえられるよう罠を張ることも仕事である。
もちろん、財宝の隠し場所も確認済み。
わずか17歳でありながら、イクスは凄腕の隠密騎士として、皇帝にその腕を見込まれているだけあって、すべての仕事は数時間で終わった。
最後の秘密通路の入り口である厨房の隅を封じたところで、かすかに外から物音がした。
それが風の立てた音なのか、人為的なものなのかはこれまでの経験で判断がつく。
すぐに音がした厨房の勝手口の扉をそっと開け、手近な木の枝に移動して見回したが、そこには、蓋の外れた屑入れがあるだけで、他には誰もいなかった。
(おかしいな。俺がこういうの外すことってないんだけど)
サワサワと風にたなびく木の葉。
ふとそこに、かすかな臭いを捉えた。
貧民街にいるような、饐えた、汗とも汚れともつかぬ臭い。
(なんで、王城でこんな臭いが?)
暗闇にじっと目を凝らしてみると、わずかに人影らしきものが見えた。
小さな、影。
すぐに見失ってしまった自分に、戸惑いを覚える。
余程の手練でなければ、これほど気配を隠すことなど出来るはずもない。
あんな、小さな人影。
おそらくは子供だ。
そんな子供にこれほど気配を消す技など身についているものなのか。
そもそも、王城に貧民街の臭いをさせた子供がいること自体おかしい。
いくら戦時中とはいえ、仮にもここは王城なのだ。
外壁は高く、表門にも裏門にも衛兵が立ち、入り込める穴などもない。
この壁を見つかることなく乗り越えられるのは、自分のような影のものだけだ。
確かに、影のものは幼少時から仕込まれるが、それならそれで然るべき施設にいるものだし、臭いで辿られる事を避けて、あらゆる体臭も消すものだ。
(なーんか、変なんだよな)
気になったイクスは、翌日も、その翌日も王城の厨房裏で気配を消して見張っていたが、あれ以来、人影も臭いもない。
(気のせいだった?いや、それはない)
自分の感覚には自信がある。
それでも見つけられないとはどういうことか。
木から木へと移動しながら、なにかありそうな場所を探すが、あったのは、古びて今にも壊れそうな小さな納屋だけだった。
僅かに戸を引いて、中を見る。
覚えのある饐えた臭いがした。
暗闇の中目を凝らしてみると、小屋の片隅に丸くなる人影が確認できた。
やはり、何かのきっかけで迷い込んだ孤児か。
始末するかどうかを悩んだのは一瞬だった。
自分が手をくださなくても、明日にはここは火の海だ。
戦争が起こっていることは流石に知っているだろうし、危なくなれば自分で逃げるだろうと判断したのだ。
気配を消せることは謎のままだったが、イクスはその孤児を放置して帰ることにした。
翌日。
予定通り、王城は占拠され、隠れていた王侯貴族も誰一人欠けることなく捕縛された。
今日のイクスの仕事は、王兵に扮して、王侯貴族を誘導する役目だったが、引き渡しが済んだあと、何となく気になって、あの納屋へと行ってみた。
そこには、貧民街でも見かけないような襤褸を着て、立ち尽くす幼い少女がいた。
折れそうにやせ細った手足が、丈の合わない襤褸から伸びている。
いや、襤褸というより、古い麻袋に穴を開けただけのような粗末さだ。
髪はボサボサの伸び放題。
声をかけてみるが、反応はなし。
耳が聞こえないのかと、もう一度話しかけて肩を叩いてみると、かすれ声で謝りながら身を固くした。
「すみません!すみません!」
(あー、これは…)
さっ、と細い体に目を走らせれば、あざや傷跡が残っている。
(いや、それより)
クイッと頭を上げさせて、顔を確認する。
薄汚れているのに。それなのに、炎に照らされる少女は、壮絶なまでに美しかった。
「かなり汚れてるけど…金の髪に、金の瞳。
え、もしかして、実在してたのか?『存在を消された王女』…」
噂だけは聞いたことがある。
王と正妃の間に生まれたはずの王女。
しかし、その見た目は王とも正妃とも似ていない、金の髪に金の瞳。
正妃は不貞が疑われたが、無罪を主張し、その娘を捨てたという。
イクスにしてみれば、ただの先祖返り何じゃないかと思うが、運の悪いことに、ここマリウス王国では、金の瞳は悪魔の使いと言われている。
それもあって、生まれた娘は王女でありながら、その存在を認められず、生まれなかったことにされたという。
「うーん。どうしたもんかな。
とりあえず、連れて帰るか。
君も、このまま炎にまかれて死ぬのは嫌でしょ?」
少女はただ、コクリと頷いた。
その日。
城に、国に、何が起こったのか何も知らないまま生きてきたであろう少女を、イクスはとりあえず自宅に連れていき、じっとしていろと言い聞かせたあと、皇帝に仔細を伝えに跳んだ。
(あの子、殺されちゃいそうだな)
そう考えると、なんだか少女がひどく哀れに思えた。
「『存在を消された王女』が生きていた、か」
何かを考えるように、皇帝陛下が呟く。
「は。しかしながら、その扱いはひどく、飢え、寒さに震え、暴力に耐え、何も教えられることなくただ生きていただけと言えるかと。
会話はなんとか可能ですが、おそらく読み書きも出来ないでしょう」
あの子を見た俺の所見を皇帝陛下に伝える。
あの、身体に残っていた数多の傷跡は、日常的な暴力の痕だ。
おそらく、人と会話することもなかったのだろう。
俺に何かを伝えることもなく、返事をすることがやっとの様子だった。
(少しでも眠れてるといいけど)
家に残してきた少女を思う。
「政治も、国も民も、人との関わりすら知らぬ子供か。毒にも薬にもならぬな。
放っておけば、そのうち息絶えるであろう。
捨て置け」
一国の王である皇帝陛下は、事も無げに言った。
しかし、それに異を唱えたのが、陛下のそばに控えていた宰相だ。
「お待ちください。たしかに今は毒にも薬にもならぬでしょう。
しかしながら、もしも生き抜いてその存在や生き様が民に知られたら。
旧マリウス王国の民は、自分たちに寄り添える王族と考え、祭り上げるやもしれませぬ。
蕾がつく前に、芽を摘むのが得策かと」
(やっぱり、そうなるか)
「ふむ。そなたの言う事も一理ある。万が一にでも花が咲き、実をつけては面倒だ。
他の王族同様、処刑しておくか」
「陛下。発言の許可を」
「許す」
「王族として生きて来られなかった少女まで処刑するのは如何なものかと。
せめて、毒杯による温情を」
俺の言葉に、皇帝陛下は何も写していないような黒い瞳を細めて、少し考えると、頷いた。
「では、明日にでもそれを連れて参れ。他の者に存在を知られればまた面倒だ。時間を作る故、誰にも知られぬよう、私の元へ」
虐げられて、幸せすら知らずに生きてきた少女が、少しでも楽にその生を終えられることにホッとした。
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