凄腕薬師に弟子入りします
翌朝、いつもより早く目を覚ますと、リーアはゆうべイクスに言われた通りに、荷造りを始めた。
初めてここに来たときには、文字通り身一つだったのに、今は、イクスの買ってくれた衣類や本で、用意してもらったカバンにいっぱいになった。
少しずつ、この小屋から自分のものがなくなっていくのが、少し寂しい。
でもこの時の寂しさなんて大したことなかったと、リーアはすぐに気がつくことになる。
「支度できた?じゃ、行こっか」
前に市場へ行った時のように、二人でローブを羽織って、深めにフードを被る。
「忘れ物はない?」
「だいじょうぶ」
イクスに手を繋がれて、10日間を過ごしていた小屋を出る。
広かったような気がしていたのに、こうして見ると、小屋は小さな気がした。
「前に市場に行ったこと覚えてる?今日の待ち合わせは、そのすぐそばの噴水だよ」
「ふんすい?」
「そう。水が吹き出してるんだけど…まぁ、見ればわかるよー」
前に市場へ行ったときは、リーアはイクスに深く抱かれたまま、森の外まで移動したし、魔法の練習も小屋のそばだったから、小屋から離れて森の中を歩くのはこれが初めてだ。
リーアでは覚えられないような獣道を、イクスはスイスイと歩いていく。
覚えられたとしても、こんなにスムーズには歩けないだろう。
今歩けているのも、イクスが手を引いて、歩けそうなところだけを、歩いてくれているおかげだ。
しばらく歩くと、木が少なくなってきて、やがて開けた場所に出た。
ここは、市場に連れて行って貰ったときに、下ろしてもらった場所だ。
イクスは、リーアの歩幅に合わせてゆっくりと町の中心へ進んでいく。
前に連れてきてもらった市場を通り過ぎてすぐの場所に、それはあった。
石造りの池の真ん中から、水が溢れて、池に流れ込んでいる。
どういう仕組みなのか、池の水が増える気配はない。
「はーい、着いたよ。ここのベンチに座って少し待とうねぇ」
イクスの言葉に、噴水のそばにある大時計を見る。
もう、時計の読み方は覚えている。
「何時に待ち合わせ?」
「昼頃だよ」
昼頃。
随分とざっくりしている。
大時計の針は、11時半を指している。
「お腹空いてない?パン食べる?」
イクスは言ってくれたけど、リーアは首を横に振った。
朝早い時間に少し食べただけだけど、これからのことを思うと、食欲はわかない。
「リー」
不意に、リーアの目の前に、イクスが跪いた。
初めての愛称に、胸がドキンとした。
「リー。これは、俺だけが呼んでいい、リーアの呼び名だよ。
次に会うときも、またリーって呼んであげる。
だから、それまでは誰にも愛称で呼ばせちゃ駄目だよ。
それからね、必ず会いに行くし、一人前になったら迎えに行く。だから、それまで頑張れるよね?」
「わかった。頑張る。次はいつ会える?どこで会うの?」
「それは、その時が近づいたらまた連絡するよ。
薬師の勉強だけじゃなくて、他の勉強も頑張るんだよ?」
他の勉強。
(計算とか、魔法かな)
とりあえず、しっかり頷いておく。
ふっ、とイクスが隠していた気配を戻した。
「あぁ、来た来た」
イクスの視線の先に目をやると、まろやかな胸と細い腰のラインがはっきり分かる服装の、茶色い髪の長い、すごく綺麗な女の人がこちらに歩いてくる。
(イクスさんもキレイな顔だけど、この人すごい)
まだ離れているというのに、ぱっちりした瞳は、エネルギーに満ちた光を放っているかのようにキラキラしているのがわかる。
「あら。私は遅刻かしら?」
「まさか。アンタが時間や期限を違える事なんてない」
親しい…と言えるような、そうでもないような、なんとも言えない距離感を感じる。
ただ。
イクスが他の女の人に笑顔を向けているのが嫌だと感じてしまった。
よそ行きみたいな笑顔だけど、それでも。
「それで?この子が例の?」
「そう。リーアだ。たまたま孤児だったのを俺が見つけて、見どころありそうだったからこの間引き取った。今は7歳だ」
ポン、と背中を優しく押されて、リーアは慌てて頭を下げた。
それはもう、深々と。
「リーアです。師匠、よろしくお願いします」
「7歳?それにしては随分と身体が小さい……ああ、孤児だったわね。私はアンナよ。この名前は、私が良いって言った場合以外は絶対に秘密よ。守れる?」
「はい。えと、それ以外の時はなんて呼べばいいですか?」
真面目に聞いてみると、少しだけアンナ師匠は目を大きくした。
「あとから教えるわ。それで、読み書き計算と薬物については基礎はわかってるって話だったけど」
そう言って、何もない空間から、乾燥させた薬草と毒草、それに、粉末の薬らしきものを取り出した。
「この植物の効能と特徴。それから、この薬がなんの薬かを答えて」
リーアは慎重に薬草と毒草を隅から隅まで眺めた。
これは、イクスに教わったやつだ。
ちゃんと内容は覚えている。
それぞれの効能と特徴、併せて採れる場所を答えると、次に粉に鼻を少し近づけて臭いを確かめた。
知っている毒の匂いはしないし、アンナは薬であると言っていた。
「少し、舐めてみてもいいですか?」
「もちろん」
小指の先にちょんと付けて舐めてみる。
(やっぱり何種類か混ざってる。薬草4つ…いや、獣の肝みたいなものも入っているみたい)
口の中で舌に神経を集中させつつ、鼻から抜ける臭いの特徴を確認する。
(アレと、アレと、それから……)
すべての味を確認したところで、リーアは思い浮かんだ4つの材料の名前を答えた。
「これは、しんぞうの薬だと思います。でも、最後のいっこが、なんの動物の肝なのかわからなくて」
「へぇ。驚いたわ。そこまで分かるのね。
最後の1つはね、コカトリスの心臓の欠片よ」
アンナは満足そうに教えると、イクスに頷いてみせた。
「合格よ。丁寧なご挨拶も頂いちゃったしね」
そうなのかな、とは思っていたけれど、やはり試されていたみたいだ。
「このまま連れて帰っていいんでしょう?」
チラッとリーアの荷物に目を遣るアンナ。
「そう。まあ、定期的に様子は見に行くよ。この子が今まで一緒に暮らしたのは、俺だけだから、ホームシックになるかもしれないし。
ああ、後、連れて行く前に少し話させてよ」
イクスは、立っていたリーアを座らせると、また目の前に跪いた。
「いい?リー。アンナは超一流の薬師だよ。
それこそ、国の偉い人や悪い人も依頼しにくるくらい。
だからきっと、君のためになる。
1ヶ月に1度程度は、必ず会いに行くからね。それ以外の時は、しっかり教わって、早く一人前になってね?一人前になったらって約束覚えてるよね?」
「うん。わたし、頑張るから」
「リー、いい子」
イクスは立ち上がると、アンナに目を移した。
「長くて3年だ。早いなら早いに越したことはない。
それから、料金弾むから、性教育もしてやってほしい」
「はぁ?性教育?」
「男の俺が教えるより、同性から教わるほうがいいだろ?」
「はいはい、まぁいいわよ、それくらい。
それにしても、随分と過保護にしてるわねぇ。
あなたにしては、随分と珍しい。
キャラまで変わってるわよ。気づいてる?」
アンナが呆れたようにイクスを見ているけど、リーアには今ひとつよくわからない。
「もちろん、自覚してるよ。あぁ、1つ大事なことをいい忘れてた。服脱げばわかると思うけど、物心つく頃から、かなり虐待されてる。体罰はやめてやって。
実際に自分でやらせれば、教えたことはすぐに覚えるから」
「孤児って言ってたけど、ワケアリなわけね。
OK。リーア、これからは私があなたの師匠よ。
厳しくするかもしれないけど、覚える意欲のある子は好きよ。頑張って覚えて、コイツをビックリさせてやりましょ?」
アンナは茶目っ気たっぷりにパチッと片目を閉じた。
(やさしそうな人…)
リーアは少し安心した。