薬師への一歩 2 ~イクス視点〜
バーで「グリーン・アイ」と話をして小屋に帰ると、部屋の中に小さな寝息が聞こえていた。
(一人で眠れたんだ。よかった)
そっと寝顔を確認すると、眉間にシワが寄っていて、少し笑ってしまった。
着替えてベッドに静かに潜り込んだが、リーアは起きる気配がない。
よほど深く眠っているのだろう。
(そもそも子供ってよく寝るものだしね)
リーアの穏やかな寝息につられるように、イクスもそのうち寝入った。
翌朝、日が昇る前に毎朝の鍛錬をして、朝飯の下準備をすると、またベッドに戻った。
それでも、やはりリーアは目覚めない。
ただ、いつものようにイクスの身体にしがみついてきた。
(あと数日でいったんお休みか。さみしい、のか?
ちょっと、この生活に慣れ過ぎちゃったかな)
リーアの子供体温を堪能しながら、今日教えるべきことを頭の中で組み立てる。
リーアに勉強を教え始めてわかったことだが、リーアはどうやら、実践で教える方が頭に入りやすいようだ。
身体で覚えるタイプなのだろう。
そういう点では、自分と似ている。
だからこそ、教えやすい。
小鳥たちの囀りが聞こえ始めると、イクスは思考を中止して、ベッドからそっと抜け出た。
(ほんと、よく寝てるねぇ)
額にかかった髪を払って、そっとキスを落とす。
それから、何事もなかったかのように、途中だった朝飯の準備を始めた。
そろそろ出来上がるから、リーアを起こそうか、と考えていたら、ベッドのきしむ音が聞こえた。
「あ、起きた?もうすぐ朝飯だから、着替えて顔洗っておいで」
リーアは半分寝ぼけたような顔で、素直に顔を洗いに行く。
昨晩どこへ行っていたのか、別に聞かれなかったので、イクスもわざわざ言わない。
いつものように、リーアを膝の上に乗せて、二人で簡単な朝飯を食べ始めた。
相変わらず、リーアの食べる量は少ない。
リーアの目下の悩みは、体が小さいことと、手伝えることがあまりないことらしい。
掃除は、生活魔法で出来るようになったが、食事の支度や湯浴みの準備はまだ一人ではさせない。
一度、やってみたいと言われたことはあるけど、まだ早いから、とやらせなかった。
本当は、湯船を魔法で出した湯で満たすことくらいは出来ると思う。
ただ、魔法を覚えたてということもあって、イクスは慎重に進めていた。
朝飯を食べ終わって、リーアが食器を洗い終えると、イクスは床の上に敷き布を敷いて、魚や、動物の臓物を並べた。
「昨日言ったとおり、今日は動物の毒と薬について教えるよ。これとかこれは、動物の内臓。新鮮なものほどいい。
本当は動物を解体して採取するところからやった方が良いんだけど、リーアにはまだ危ないし、時間もないからねぇ」
(熊とかは滋養にいいんだよねぇ)
本当は、もっと細かく教えてやりたいが、何しろ、「グリーン・アイ」に引き渡すまでに詰め込めるだけ詰め込みたい。
あまり時間がないのだ。
昨日と同じように、それぞれの特性をイクスは分かりやすく説明する。
魚は、目の前で解体した。
動物の臓物は、すり潰したり、乾燥させたりして使うことが多い。
強い酒に漬け込んで置くものもある。
そういうのは、出来上がるまでに時間がかかるので、彼女に任せる。
「イクスさんは、何でそんなに詳しいの?」
「俺は薬師ではないけどー、必要に迫られて覚えたって感じかな」
突然聞かれて、ありのままを答えた。
施設で習ったことも多いし、任務を受け始めてから学んだことも多い。
毒消しを含めた薬は自分の身を守るために必要だったし、毒は、まぁそういう任務の時に必要だったから。
たぶん。
リーアは、イクスが人を殺すこともあると、気がついている。
詳しいことは何も教えていないけど、勘のいい子だから。
「じゃあ、午前はここまでにして、とりあえず昼飯食べよっか。何が食べたい?」
「えっと、ジャガイモ茹でたやつと、ベーコンとパンがいい」
数日前に出したものだ。
どうやら気に入ったらしい。
でも、まったく同じでは味気ないし、何より、そう。時間がない。
「たまには、芋とベーコンをパンに挟んでみる?
チーズも入れるとおいしいよ」
思いつきで提案してみると、リーアの眼が輝いた。
「それが食べたい!」
イクスに言われて、リーアはイクスに対しては極力砕けた言葉で話すようになった。
これから先、割とすぐに前までのような丁寧な話し方も必要になるが、まだ、今ではない。
その時になれば、いやでもわかることだ。
「ほら、出来たよ。葉物野菜も挟んでるから、シャキシャキしておいしいよ。これは、普通のパンみたいに手で掴んで噛みつけばいいよ」
今日は、イクスは椅子に座らず、窓際の桟に腰掛けた。
そろそろ、離れる準備を始めたほうがいいだろう。
リーアは、椅子に座り、パンにむしゃぶりついた。
リーアが三口食べる間に、イクスは倍の量を食べ終わってしまう。
それを見て慌てたように、リーアは急いで咀嚼する。
「あー、そんなに慌てて食べなくてもいいよ。ゆっくり食べなー」
イクスは、果実水を飲みながら、見るともなしにリーアの様子を観察していた。
イクスからだいぶ遅れてパンを食べ終わったリーアは、テーブルの上の果実水を飲んで、満足そうだ。
「よし、食べ終わったら、次の勉強を始めようか」
「うん」
午後からの勉強は、実際の薬作り。
とは言え、まだ簡単なものだけだけれど。
最初に調薬するのに必要な薬草をいくつか取り分ける。
「じゃ、この草の効能は覚えてる?
うん、じゃあ、この草と合わせて、水をスプーン一杯。入れられた?じゃ、このすり鉢で潰して全部混ぜてみようか。順番も大事だから覚えてね」
正しい順番で、正しい組み合わせの薬草を、正しい手順で調薬しなければ、薬はできない。
毒も同様だけれど。
独特の苦い臭いが気になるようだが、問題ない。
いくつかの配合と、手順を教えて、リーアが覚えたか確認できたところで、早くも夕飯の時間になった。
「リーア。夕飯は何が食べたい?」
(今のうちに、好きなものを沢山たべさせてあげたいからね)
そんなイクスの心情を知ってか知らずか、リーアは素直にリクエストする。
「シチュー」
「ふっ、また?いいよ、少し時間かかるから、今日は手伝わなくていいから、俺が教えたことのおさらいしててねぇ」
(食べさせたときも思ったけど、本当にシチューを好きになったんだな)
リーアは、イクスに言われた通りに、調薬や魔法や文章のおさらいをしていた。
夕飯の後は、いつものように湯浴みをする。
浴室から出てきたリーアがこちらをじっと見ている。
(ああ、そういうこと)
「今日は出かけないから、一緒に寝ようねぇ」
リーアは嬉しそうに頷いた。イクスが湯浴みを終えて見てみると、慣れないなりにベッドが綺麗に整えられていた。
イクスはベッドを見て、リーアの頭を撫でた。
「ベッドメイキングしてくれたんだね。いい子」
(たぶん、アレ見つけちゃったよね)
枕元のナイフは、そのままにしてあるようだ。リーアが何も聞かないので、それ以上は特に何も言わず、二人でベッドに入ると、イクスはリーアを抱き寄せるように背中に手を回して、トントンと背中を叩いてあやした。
(枕の下にナイフがあるなんてびっくりしただろうに、ほんと、いい子)
眠りたくないのか、必死にリーアは目を瞬いていたが、そのうちぐっすりと眠った。
リーアを一旦手放す日まで、あと2日。