薬師への一歩 1 〜イクス視点〜
夕飯までの間に、リーアに薬草や毒草などの知識を確認して、教えていったが、これがまた実に優秀。
実体験を元に知っていたことも大きいかもしれない。
時間はないけど、ゆっくりした口調で教えていく。
話慣れていないリーアには、おそらく早口で話してしまったら、理解がおいつかないだろう。
リーアは、イクスの話を聞くだけでなく、ちゃんと疑問に思ったことは自ら聞いてくる。
正直、ここまで勉強に対する意欲が高いとは思っていなかった。
読み書きや計算、生活魔法などの、生活にに必要になることを理解したいというのはわかる。
けれど、今はあまり役に立たないような薬師の基礎知識に対しては、そんなに興味がないだろうと思っていたのだ。
ところが、蓋を開けてみたらものすごく貪欲に知識を吸収していく。
(これなら、問題ないかな)
植物についての基礎知識を教え終わって、明日は動物についてだと言えば、興味がわいたのか、目をキラキラさせた。
すぐに教えてほしそうにムズムズしているのはわかったが、一度にそんなにたくさんは教えない。
今教えている量でギリギリだ。
時間があれば、もっとゆっくり教えてあげられたのだが、今回ばかりはそうも言ってられない。
リーアも、イクスがこれ以上教えないことをきちんと理解しているようで、教えてほしいと催促してくることはなかった。
夕飯のシチューを作っていると、手伝いをしていたリーアが、ジッとこちらを見ていることに気がついた。
視線がチクチク痛い。
「ん?どしたの、じっと見て。何かあった?」
尋ねてみても、特に用はないらしい。
料理を作るイクスと、手伝いが精一杯の自分に何か思うことがあるのか、みずからの小さな両手をじっと見ている。
(物思いするようなお年頃?いや、まだ早いよな)
子育ての経験はないが、自分の思春期の時期は覚えている。
(でも、女の子は男より精神年齢の発達が早いって言うしな)
まぁ、それも「彼女」なら、何とかするだろう。
「出来たよ。おいで」
夕飯をテーブルに並べると、イクスはいつものように椅子に座って膝の上にリーアを抱き上げた。
テーブルに向けて座らせれば、カトラリーをちゃんと使って自分で食べている。
(ほんと、成長が早いな)
「餌付け」の楽しみがなくなったが、これはこれでまぁいい。
リーアは初めて食べるだろうシチューを、おいしそうに口に運んでいる。
これまであまり食べていなくて、まだ胃が大きくなっていないから、食べさせる量は比較的少ない。
それでも、リーアには丁度いいようだ。
イクスの食べる量の半分以下をリーアが食べ終わったのは、イクスの食事が済んでからだった。
食べ終わって、リーアが食器を洗っている間に、イクスは湯浴みの用意をする。
リーアは食器洗いもすっかり手慣れた様子だ。
イクスはと言うと、ここ最近のように井戸で汲み上げた水を張って湯にするというのは手間も時間もかかるので、今夜は湯船いっぱいの量の湯を魔法で出して、手早く済ませた。
イクスはこれまで、滅多に風呂に入らず、浄め魔法で清潔さを保っていて、疲れが溜まった時などだけ、こうして魔法で湯を出して湯浴みをしていた。
リーアに毎日湯浴みをさせるのは、女の子だからというのもあるが、魔法で楽をすることを覚えるのは、今後の為にもあまりよくないと思ったからだ。
「はーい、お風呂入れるよー。今夜は少し冷えるから、しっかり温まっておいで。身体と髪を洗うのも忘れないようにね」
リーアが頷いて、服を脱ごうとするのを、イクスは苦笑してストップをかけた。
「リーア?」
(うーん。まだ恥じらいというのは芽生えてないかな?)
イクスは、リーアが初めて風呂に入ったあと、たとえその相手がイクスであろうと、男の前では脱いではいけないのだと、教えたのだが、なかなか身につかず、すぐにポーンと素っ裸になろうとする。
公衆浴場の脱衣所などでは脱いでも平気なのだが、それを言うとリーアは余計混乱しそうだからやめておいた。
慌てて、服を着直して浴室のそばで服を脱ぐと、リーアは浴室へ駆けていった。
(7歳児相手に発情するほど変態じゃないけど、誰の前でもポーンと脱いでしまう、変な癖がついては困るんだよねぇ)
湯浴みは、今のリーアの中で、勉強の次に楽しみなことらしい。
最近は少しだけ長風呂になった。
リーアが風呂から出てくると、いつものようにイクスが髪を乾かす。
リーアでも、もう出来ることだが、彼女のサラサラした美しい金髪に触れるのが好きで、細かな調整が必要な魔法だからと、まだリーアがやるのは止めている。
(暇な時に、女の子の髪の結い方とか覚えても楽しそう)
そんなことを思いながら、イクスは、服の上にローブを羽織った。
リーアにも、イクスが出かけるのがわかったらしい。
「イクスさん、どっか行くの?」
「んー、ちょっとね。帰りは遅くなるかもしれないから、先に寝ててね。一人で眠れる?」
リーアは平気な顔をした。
「大丈夫です」
イクスから見れば、頑張って強がっているのが丸わかりなのだが、そこは敢えて気が付かないふりをする。
イクスはフッと笑って、額にキスを落とすと、サラサラの丸い頭を撫でた。
「じゃあ出かけるけど、一人になるときの約束は覚えてる?」
誰が来てもドアを開けない。
気配を消して、音を立てない。
あまり動き回らない。
リーアを守るための、欠かせない約束だ。
リーアは今度こそ自信ありげにしっかりと頷いて見せた。
「ん、いい子。じゃあね、おやすみ」
滑るように小屋から出て、木の枝を足場に、森を抜けていく。
森の外に出たら、認識阻害の魔法をかけて、フードも深くかぶり直して下町まで夜道を歩いていく。
目的地は、下町にある、行きつけの小狭いバーだ。
バーのドアの前で認識阻害を解いて、中へ入る。
カウンター席だけのその店には、今夜は他の客はいないようだ。
「いつもの?」
久しぶりに来たって、ぶっきらぼうなこのマスターはいつもこんな感じだ。
余計な話をするつもりはないイクスにとってはありがたい。
ちなみに、情報屋は、また別のバーだ。
「いや。『グリーン・アイ』を」
イクスも端的に伝える。
これは、一種の符号で、出てくるのはいつもの酒だ。
「いつ」
「3日後。昼の鐘がなる頃に、中央広場の噴水前のベンチで」
「ずいぶん急な上に、昼間かよ。ふん。料金上乗せだからな」
仏頂面ではあるが、こういう頼みごとはコイツに任せれば間違いない。
酒を飲み終えて帰ろうとしたところで、カランとドアベルが鳴って、女が入ってきた。
(あらま。もしかして運命?)
「シュバルツが、お前さんに会いたいってさ」
シュバルツと言うのは、イクスの仮名だ。
そして、入ってきた女は、コードネーム『グリーン・アイ』。
繋ぎをつけようと、マスターに頼んだ人物だ。
目が大きく、人の目を奪うような容姿を、フードも被らず、惜しむことなく晒している。
「シュバルツが?変な依頼はお断りよ」
「ちょいとね、3年ばかり弟子にしてほしい子がいて」
「弟子?使えない子はいらないわよ。そこまで面倒みはよくないの、知ってるでしょ?」
マスターが無言で出したカクテルに口をつけながら、チラリとこちらを見る。
「預けるまでに基礎知識は叩き込む。植物関連の基礎はもう出来てる。明日は動物関連の基礎も叩き込む。学ぶことに貪欲で、覚えも早い。
アンタ好みだと思うよ。まぁ、会ってみてよ」
「随分、目をかけてるみたいね。私も暇じゃないんだけど。まぁ、いいわ。アンタが人に興味を持つなんて珍しいし」
「助かる。時間は3日後の昼の鐘がなる頃。場所は噴水前のベンチ」
ハァッと彼女はため息をついた。
「相変わらず、無茶な要求ばかりなんだから」
「マスター。ごちそうさん」
彼女の苦情はさらりと聞き流して、いつもより少し多めの金をカウンターに置いた。
マスターにつなぎをつけてもらったわけではないけど、出した分は受け取るあたり、ちゃっかりしている。
フードをかぶり直して、また認識阻害の魔法をかけると、振り向かずにバーを出た。
(おねえちゃんと遊ぶ気分……じゃあねぇな。とりあえず、用は済んだしまっすぐ帰るか。さてさて、リーアはちゃんと眠れてるかな)
出掛けの心細そうな顔を思い出しながら、イクスは早足であの子の待つ小屋へと歩き出した。