脱出
個人部屋が振動を始め、やがて凄いGが襲いかかってくる。初速からかなりの加速で打ち出された脱出艇は、小惑星から切り離された時点で情報のリンクも切られる。これは追跡されないための措置だが、情報がなくなるというのは不安だ。
脱出艇から観測波を出すとそれ自体をキャッチされる可能性もあるので、得られる情報は受動的なものだけ。もちろん、襲撃者達も安易に観測波は出していないらしく、レーダーに映る影はない。
窓から光学的に觀測するだけでは、相手を捕捉する事はできなかった。
火の精霊により小惑星から発射された脱出艇は、まっすぐに飛んでいる。観測波に晒され、捕捉されたとなれば、内蔵の推進装置でランダム機動へと移行するはずだが、今のところは慣性で飛んでいるだけだ。
「どれくらい飛べばゲートを開けるかね?」
「できれば、1日は離れたい所です……観測波をキャッチ、見つかりましたね。思ったより近いです」
「速度も相手の方が速いなっ、ゲートを使うしかないか」
「まだジャマー圏内です」
「このまま捕まるよりは、チャンスにかける方がいいだろ」
宇宙進出を果たしているこの世界では、転移魔法を拡張し、ゲートを開くことで他の星系に飛ぶ技術を確立していた。
しかし、空間魔法の粋を集めた転移魔法は、かなりデリケートな魔法で、安定した空間での使用が基本だ。
逆を言えば、宙域に対して空間の安定を乱してやれば、邪魔する事は比較的容易だった。
今回の様に逃亡が予測される襲撃には、広い範囲に微弱でも空間を乱す波を起こして、転移を妨害するのが基本となっていた。
現に今も観測機には空間の歪みが記録されている。
ただ空間に歪みがある状況でも転移自体は可能だ。どこに飛ぶかが分からなくなるというだけ。100m先に物を投げる時に、角度が1度ズレれば落下地点が何mとズレるようなものだ。それが星系間を飛ぶような距離ともなれば、誤差はどれだけになるか。
宇宙空間の大半は何も無い空間ではある。しかし、空間の歪みは重力に引っ張られやすい。そうなると転移先が恒星の中という事もありえる。脱出艇の耐久性ではその熱に耐えられないだろう。
他にも石の中にいるなんてこともあり得る。
「でも捕まったら……どうなるんだ?」
実験体として産み出された、今の倫理観にそぐわない命。襲撃者が何者かも分かっていない。人権なんてものはないだろうし、実験動物として飼い殺される?
様々な実験に使われる?
殺して腑分けして隅々まで調べられる?
碌な未来は待っていないだろう。それにアイネは汎用的なホムンクルス。必要な知識、俺の成長記録を吸い出したら廃棄される事になるはず。
そんな形で別れを迎えるくらいなら、一緒に恒星で焼かれる方がロマンチックというものだ。
「ならば、飛ぶしかないよなっ」
「仕方ありませんね。転移陣を起動します」
脱出艇に組み込まれた魔法陣に魔力を注ぎ込み、稼働状態へ持っていく。飛んでいる前方へと陣が照射され、青白い光で描かれた複雑な模様を浮かび上がらせる。
空間の歪みに引っ張られて、蜃気楼の様な揺らぎを見せる陣へと突入した。
転移自体は一瞬で終わる。
「現在地の確認を急げ」
「了解」
いきなり焼かれるなんて事態にはなっていない事に安堵しつつも、状況は全くわからない。センサー類が反応して、コックピット内に警報が鳴り響く。
「重力に引っ張られてる!?」
「正面に惑星、大気はありそうですね」
青く見える惑星は、居住可能な惑星だろうか。その質量によって、脱出艇は制御を失い落下を始めている。
「突入角度の調整、降下軌道の計算は?」
「なんですか、それは」
「ああっ、この世界は魔法で済ますんだったな。大気圏突入用の魔法陣の起動を急げ」
「風の精霊式を起動、水の精霊による加護を発動……」
断熱圧縮で赤く染まる視界の中、脱出艇の周囲に風の膜を張りつつ、その外へと水の膜も張って温度上昇を抑えようとする。
重力に逆らうように推進力を生み出しても焼け石に水。ならば滑空する方向に力を逃がした方が良いはずだ。
脱出艇の鳥に似せた翼で大気を受け止めるべく、角度を調整。まともに受けたら翼がもげる危険もあるのか。
機首を上げつつバランスを取る。もちろん、前世で飛行機を操縦したのはゲームの中くらい。直感に従って無理のなさそうな体勢へと修正。速度を殺しながら迫る地面を見つめる。
ゴガン!
風の精霊がエアクッションとして働きつつも、勢いを殺しきれずに地面に接触。凄まじい衝撃がコックピットを揺らす。完全な水平を取れてなかったのか、着地点が平でなかったのか、視界がねじれてグルグルと回転を始める。
こうなると制御できるのは魔法陣くらい。キャパを越えて解除されていた風の精霊式の代わりに、機体強度を上げるための土の精霊式を起動。機体を岩が覆うそばから、地面との接触で削られていく。
制動を掛けるには風の術式を使うのが良いんだろうが、機体が回転している今、どちらの方向に発動すれば良いかが分からない。
「土の防御魔法に全魔力突っ込んで、耐えながら止まるのを待つしかないなっ」
「もうやってます」
冷静なアイネの声に混乱しそうな考えを再度まとめていく。着陸前に見た地形、砂漠のような障害物の少ない場所ではあった。ぶつかり、転がるうちに摩擦で速度は落ちる。やがては止まるだろうが、それまで脱出艇がもつかどうか。
「もたないなら、変えるか」
回る視界の中、見ていると意識も飛ばされそうになるので、瞳を閉じてそこに候補を上げていく。幼少期から埋め込まれた魔法の知識、前世の科学の知識。その中から衝撃に強い形を選び、魔法の力で脱出艇そのものの姿を改変する。
「容姿変更、ウニ!」
鳥の外観に似せた脱出艇を、トゲの生えた球体へと改変。地面へスパイクを立てて、勢いを弱めつつ、折れる前に転がって抜けて次のスパイクが地面に刺さる。
球体になったことで回転が安定を始め、地面を跳ねる回数も減っていく。徐々に勢いを失い始め、ようやく終わりが見えてきた。
時間としては数分程度だったとは思うのだが、体感は永遠に終わらないかと思わされた回転が止まった。
重心が下にあったおかげか、ちゃんと天井が上、床が下の状態で止まっている。
シートベルトを外して席を立つが、グルグルと回りすぎて三半規管がヤバい。
「坊ちゃま、まだ座っててください」
「いや、早く状況を確認しないと」
「自室の方は私が見てきますので、坊ちゃまは端末で確認できる範囲をお願いします」
「むう……わかった」
5歳児の体力では、墜落の衝撃とその後の回転に参っていた。仕方なくもう一度、コックピットのシートに座り直して、端末に情報を表示する。
回る視界の中、何とか必要な情報を引っ張り出す。この辺、手で入力する必要のない魔力での操作は便利だ。
「モルゴン帝国領内のウルバーン星系か」
モルゴン帝国は独裁国家群に所属する一国。割と領土拡大に力を入れてて、侵略戦争を仕掛けていた国な気がする。
ウルバーン星系自体はかなり辺境で居住可能な星はこのウルバーン星のみ。半自治領というか、人口は少なめで希少金属を産出して上納させるだけの星って感じか。
ちなみに俺達がいたのは共和制連合国家なので、扱いとしては敵勢力圏内って事になるな。ただあのマッドな研究所で生まれた実験動物としては、そこまで義理立てする間柄でもない。
襲撃者に捕まると更なる実験が待っていそうだと逃げはしたが、追跡者がいない状況になれば、俺が魂を憑依された存在だとは分からないはずだし、帝国だろうが共和国だろうが大差ないかと思う。
「追跡者……か」
ゲートで脱出した地点までは分かるだろうが、不安定な空間での転移は、着地点まで割り出す事はできないはず。
魔力の残滓を分析してとなると、今の魔法科学水準でもかなりの時間がかかるだろう。
十人ほど逃げ出した中で、探索が難しいだろう俺達を追ってくる部隊はいないと思いたい。
「何より、脱出艇がボロボロだからなぁ」
改めて脱出艇の状態を確認すると様々な箇所に破損が見られ、特に魔力を蓄積する炉と航行を司る機関へのダメージが大きく、今の俺ではとてもではないが手を出せない。
修理に出してしまうと流石に共和国製だとバレそうなので、それもできそうにない。
「まあ、ここを活動拠点として、この星での生活を考える方がまだ建設的かな」
俺自身は、まだ5歳児。一人で行動するのはおかしい年齢だ。目立って素性を調べられない程度には、周囲に溶け込める年齢までは大人しくしておくしかないな。