完敗
繋いだままの右手から電流を流すと、素体は上体を仰け反らして苦しむ。しかし、次の瞬間には黒髪を腕に巻いて、対処された。
ならばと周囲から石つぶてを放って身体を穿とうとする。しかし、素体は僅かな身の動きと髪の揺らめきで、数十のつぶてを全て避けて見せた。
その間に俺は上体を起こして、左手に握ったナイフで素体の身体を狙う。それも素体の右手によって、手首を掴まれて止められた。
ただ身体強化を使える俺の方が筋力は上。ジリジリとナイフの刃を押し付けていく。
素体はふっと上体を仰向けに倒してナイフを避けながら、胸元に膝を引き上げ、そこから足を伸ばしてつま先で顔を狙ってきた。首をひねってなんとか避けたが、左腕が素体の足に挟み込まれて固定され、手首をひねられ関節を砕かれる。
握力を失った左手からナイフを奪ったかと思うと、躊躇なく繋がれたままの俺の右腕へと突き立てた。筋肉を引き締め、ナイフを抜けなくすると、あっさりと手を放し、指を伸ばして目を突いてくる。
後頭部を壁に打ち付けながらずり下がり、何とか指を避けるが、目の前で手の平が返り、顔を掴んで床へと叩き付けられた。
視界にチカチカと火花が散って、思考がまとまらなくなってきた。
身体を捻って、素体を壁へと叩きつけようとしたが、両足を綺麗に畳んで壁へと着地。続いて壁を蹴って勢いを付けた膝蹴りが、仰向けになったままの俺の腹部へと突き刺さった。
「ふごっ」
肺から空気を押し出され、無防備になった喉元へと白い手が伸びてきた。細く小さな手が的確に頸動脈を押さえ、血の巡りを低下させる。
思考がままならなくなり、術式も起動できない。程なく思考は闇へと落ちていった。
『まったく、だらしないですね。基礎から再教育が必要ですね、坊っちゃま』
懐かしい声を聞いた様な気がして、目を開けた。そこには俺を覗き込む幼い少女の顔があった。
「ユーゴ兄、目が覚めた!」
「り、リリア……」
俺の部屋になんでリリアが……自室にはロックをかけて入れないようにしてあるはずだが。そう思って天井を見ると、まだ見慣れたとまではいかない密航船の天井。身体を起こそうとして、痛みが走る。
右腕は電流に焼かれて、筋繊維がズタボロ。左腕は肘と手首が腫れ上がり、関節が砕かれていた。
「俺は……」
「全裸の少女に乱暴を働こうとしたところ、反撃にあって気を失いました」
その声に視線を動かすと、黒髪赤眼の少女が立っていた。黒い帝国の軍服を着ている。この船にあったものだろう。
東洋系の顔立ちに、やや釣り上がり気味の赤い瞳は小さめで、白目が広く感じられる。
身体の線はかなり細く小柄。軍服はサイズがあってないのだろう、要所を紐で締めて着ていた。
「お前、素体0107……だよな」
「私にはアイネという名前があり、そのような変な呼称はありません」
「あ、アイネなのか!」
思わず上体を起こそうとしたが、両腕の痛みにより失敗。ベッドへと倒れ込んだ。
そういえばと先程の戦闘を思い起こすと、最初は野生動物を思わせる反射で力任せの攻撃を行ってきた感じだったが、記憶結晶を飲み込んだ後は高度な戦闘術を繰り出してきていた。
それこそ俺の戦闘術の師匠であるアイネのように。素体へと魂を移すことができたのか?
「貴方に気安く呼ばれるいわれはない」
「え……」
しかしピシャリと断ち切るように言われて、俺は絶句する。そこにかつての無機質ながらもこちらを気づかってくれていた雰囲気は欠片もない。
「でもそうですね。この船は実力に勝る私が頂くとして、航海士として雇ってあげない事はありません。私の事はアイネ様とお呼び下さい」
「え……」
丁寧な言葉づかいで手下になれというアイネに混乱しそうになる。
「あ、アイネ……様、は、記憶があるん、でしょうか?」
「記憶? 過去を振り返る事に意味はありません」
端的に話す姿はかつてのアイネを思わせてくれるが、内容が記憶と噛み合わない。アイネは俺の従者として作られたホムンクルス。生体ロボットと言えるもので、そこに生じた自我というのは人工知能の様なものとも言える。
ただ10年一緒に過ごせば、やはり個性があると実感できた。なので、魂を封印する事ができたんだと思う。
しかし、魂を封じ込めた記憶結晶を砕かれ、食われた。それで記憶が移るはずもない。ホムンクルスに記憶を転写するにも一定の術式が必要で、あんな噛み砕いて飲み込んだだけで行えるものじゃない。
だから素体に記憶がないのは納得できる。が、自分をアイネと呼ぶ目の前の少女は何だ?
記憶の一部だけを引き継いだ?
あの戦闘術はアイネを思わせる鋭さと反応、状況に即座に対応する技術があった。そのスキルを継承した?
記憶を移しただけの素体は、知識を持つだけの別人だと思っていた。じゃあ、記憶を持たないのに雰囲気は感じる少女は別人なのか?
俺が失われたと思いたくないだけかもしれない。でも彼女の欠片でも残っているのなら、それに賭けてみたいと思う。
「分かりました。このユーゴ・タマイ、貴方の航海士として従いましょう」
「うむ、よろしく頼む。それはさておき、食事にしよう」
「じゃあ、俺が作ります」
「私も手伝うー」
両手を治癒術式で治しながら、俺は調理場へと向かった。
「兄ちゃん、良いのかよ。この人に任せて」
「負けてしまったしなぁ。従うしかないんじゃないか」
「兄ちゃんが負けるって信じられねーんだけど。美人だから手加減したんじゃないの?」
俺を襲ってきた時の顔は完全にホラーだったんだがな。
「正直な話。俺の旅の目的がなくなってしまったからな。やりたいことを見つけるまで、誰かの為に動くのもいいかなって」
「じゃあ、俺達の仲間を助けてくれよ」
「そのためには戦力が足りないな」
ウルバーン星の下層民を助けるというのは、ウルバーン星の領主を倒せば済むって話ではないだろう。
帝国の中央からミスレイン鉱石を増産するように命令が下っている。領主を倒したら、中央から軍が派遣される可能性もあるのだ。
もちろん、領主を倒すというのも簡単な話じゃないだろうが、より問題なのは帝国軍が出張ってくる可能性の方だ。
「この前のおっさん達を巻き込んで、共和圏の勢力に制圧させるとか、国レベルの対処が必要だろうな」
「方法があるならやろうぜ」
「どっちにしろ簡単じゃないんだよ。下準備を疎かにしたら、目的は達成できない。まずはあのおっさん達の評価を上げる所からだな」
「まどろっこしいなぁ」
仲間達が苦しんでいる。その状況を何とかしたいと焦る気持ちは分からんでもないが、急いては事を仕損じると言うしな。準備を怠る訳にはいかない。
それはアイネの記憶に関してもそうだろう。彼女の中に魂や記憶が眠っているなら、それを呼び起こしたい。そうは思うが下手なことをして、今の人格すら飛んでしまったら、取り返しがつかない可能性が高い。
やはり死霊術を研究して、正しい降霊術をする必要があるかもしれない。何にせよ、もっと情報が必要だ。
「で、アイネ様は何をなさいますか?」
「私はこの世界を飛び回りたい。何者にも縛られず、自由にね」
「はあ……」
ホムンクルスは目的の為に作られた人造人間。その行動には様々な制限が掛けられていた。素体へと乗り移り、それらの束縛から解放されたという事を、記憶はないなりに感じているのだろうか。
「だから貴方は私を私の知らない場所へ連れていきなさい」
「えーと、具体的には?」
「任せます」
任せるというより、行く先を判断するだけの情報がないって事なんだろうな。この研究所のあった星系を起点に、色々な場所を巡って行こうじゃないか。
そして必要な情報を集めつつ、アイネの完全復活を目指す。その手段として共和圏の情報局を利用して、帝国の圧政からの解放を進めましょうかね。
「それでは、空間転移で星系を渡ります。各自、シートに着席して体を固定して下さい」




