第八話 若気の至りだったんだよ
透明少年を抱えながら、ツバサは海を泳いで島々や海の中を見て周っていた。そして、夕方になって疲れたので、夕日を見ながら休んでいた。
「なあ、今更だけどよ、誰かに見られてねぇよな?」
「大丈夫だよ。僕が透明になってるから、そばにいる君も透明になってるよ」
「え、いつの間に、そんなワザを⁉」
「うん。そうしたいって強く思ったら、君のことも透明に出来たんだ。なんとなく、出来たってわかった」
「ほ、本当か? 本当に、誰にも見られないのか?」
「うん。……君を遠くに逃がそうって思っても、どうしてもこの社会だし、見つかると思ったんだ。それに、街には行かないといけない時もそのうちあるだろうしね」
「相棒……。わかんなかったよ、お前がそんなことしてくれてたなんて……浮かれてた」
「僕もだよ。君と一緒にいて、浮かれてる」
「オレといて、そんなに楽しい?」
「うん! もちろんだよ!」
そのまっすぐな返事に困っていると、自分の体が火照っているのを感じた。なのに、くしゃみが出た。
「大丈夫? 寒い? 焚火つけよう」
「ありがとう……何だろう、今さらって感じだよな……」
「やっぱり、街に行って服とか調達してくるよ」
「え、どうやって? ……って、う、うわ、ああああっ⁉」
「ど、どうしたの⁉」
「も、もっと、早く言ってくれよ! オレ、丸出しじゃねぇか!」
すると、透明少年がハッとして、血を洗い流しておいた彼女の合羽を脱いで着せてあげた。
「ご、ごめん、いや、その、あまりにも自然体でいるから、気にしてないのかと……」
「き、気にするに決まってるだろ! お、お前こそさ……オレの、その……気にならないのかよ? てか、いつも、尻尾だけどさ、ほぼ丸裸だったじゃんか……」
「……。あっ⁉ ご、ごめん! 確かに! ずっと触ったりしちゃった! 嫌だった?」
「いや、そこは不可抗力だからいいだろ! それに、イヤなわけないだろ……」(むしろ、お前に触れられると、抱っこされると、安心するんだよ……うわ、子供みたいだ! はずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい!)「うああああああっ!」
ツバサが顔を押さえて転げまわったので、透明少年は焦ってしまった。
「ど、どうしたの⁉ つ、疲れたんだよね? 休みなよ……」
そう言って、透明少年が優しく触れて寄り添ってきたので、ツバサは思わずその胸に寄り掛かってしまった。彼は優しく受け止めていた。そのあと、先ほどまでの気恥ずかしさはどこへやら、ツバサは少年の手を握って、その肩に寄り掛かって、一緒に海へと沈んでいく夕日を眺めていた。
「お互い、バカだったな……」
「うん」
すると、二人はこれ以上ないほど笑い合った。透明少年の能力がなければ、とっくにバレているだろう。
その次の朝。二人はいつの間にか眠っていた。誰にも見つかっていないことに安心し、やはりお互いがそばにいることに安心した。
「どうする、行ってみる? 街とか。僕が透明にしてあげるし」
「……行きたいよ。お前と二人きりで、街に行きたい。あの街にもさ、楽しいところ、いっぱい出来たんだぜ。だけどさ……その……えっと……」
「やっぱり、怖い?」
「……うん。その、オレ、情けないんだけどさ。人が怖くなっちまったんだ。なんでだろう、悲しいな、誰かと話すのとか、会うのとか、あんなに楽しかったのに……」
「いざという時は、僕が守るよ」
そうまっすぐに見つめられて言われたので、ツバサはジッと見入ってしまった。すると、透明少年が恥ずかしくなって、目をそらしてしまった。
「いや、なんでお前が恥ずかしがるんだよ?」
「自分で言いながら、恥ずかしくなった……。その、なんか、いい感じのヤツ、持ってくるよ? やっぱり、合羽だけじゃ嫌でしょ? 君はオシャレするの好きだったじゃないか」
「おう、好きだぜ。だけど別に、お前にしか見られないんだから、気にしねぇよ」
「……そう」
「なんだよ、オレのファッションショーでもまた見てぇのか?」
「……うん。……あ、いや、そ、そう言えばさ、中学って、制服なの?」
「おう、そりゃそうだぜ。あ、そうだ、今はさ、スカートとズボン選べんだぜ? オレは断然スカートだけどさ、オレの友達はズボン選んでた。まあ、今じゃ、オレはスカートしか穿けねぇだろうけど。……うん、あそこも、楽しかったぜ」
「そうか、中学校、楽しかったんだね。友達もやっぱりいるんだね。よかった……」
「どうしたんだよ? 顔暗いぜ?」
「いや、その、僕も君と一緒に中学校、通えばよかったなって……」
「おう。オレもだぜ。そりゃ、いつも楽しかったけどさ、お前もいたら、もっと楽しかったと思うぜ。絶対。今もお前といて楽しいもん。……どうしたんだよ?」
「僕もだよ。君といれば楽しかったはずだ。それなのに……情けないよね、今さら後悔しているんだ。君から、離れちゃったことさ……。やり直したいよ。最初から僕ら一緒にいれば、もしかしたら、君は家族とも友達とも離れずに、こんな遠くまで来ることなかったんじゃないかなって……」
「そんなの、分かんねぇだろ。なっちまったもんは仕方ねぇだろ?」
「だけど、だけど……」と、相棒の透明少年は泣いていた。「君は、僕なんかと二人きりじゃいけない気がするんだ。君は君だし、誰かと、みんなと仲良く幸せに暮らすべきなんだ、そうだよ、人魚になったって、みんなが守ってくれたはずだ。それなのに、僕が、そうだ、僕が、君を、みんなから引き離しちゃったんだ……」
「な、何言ってるんだよ! い、一体……何を……」
「……やっぱり、帰ろう」と、透明少年は優しくツバサの肩に手を置いて、泣きじゃくりながら言った。「君のパパとママのところに……友達のところに……あの街に、中学校にまた通うんだ。そして、ずっと、幸せに暮らすべきなんだ……そうすれば、みんなも君も幸せだった」
「あ、相棒……⁉ お、オレも、そうしたいけど、したいけど……みんなを巻き込んじゃうし……」
「そのみんなも、僕が守るから! そもそも、そうなりたくて、そうなれるくらい強くなりたくて、君から離れたんだ! だけど、僕は、この様だ……僕は、弱い……」そう言うと、ツバサの肩に置いていた手が、力なくダランと垂れた。「ごめん、ごめん……。君が僕を幸せにしてくれたように、君は、みんなを幸せにしていたのに。それなのに、僕は、君を……君を……」
ツバサは、あんなに頼もしく感じていた彼を、今度は自分が守らなければならないと思った。励まさなければ、元気にさせなければ、だが、どんな言葉が彼を助けられるかわからなかった。だから、彼をその胸に抱き寄せて、彼の頭を優しく撫でてあげた。
「……ごめん、ごめん……」
「……相棒」と、ツバサは泣くのをこらえながら、優しい声で言った。「わかったよ。オレ、みんなのところに帰るよ。……だけどよ、もう少しくらい、二人きりでどっか行かねぇか?」
「……いいのかな? 君と、二人っきり、なんて……」
「当たり前だろ? なあ、オレが好きなところばっかり連れ回しちゃったし、お前の行きたいところ教えてくれよ。連れて行ってやるよ。一緒に行こうぜ!」
「ありがとう……。だけど、あんまり、楽しいところじゃないよ、本当に……」
「気にすんなよ。オレはお前と一緒なら、どこにでも行くぜ?」
「ありがとう、本当に……」
ツバサは、透明少年に教えてもらったとおりに海を渡って本土に辿り着いた。そして、彼に透明にしてもらって、抱きかかえられながら、街の中に入った。
喧騒と行き交っている人々、文明的なものが久しぶりに感じた。
そのあと、悪いと思いながらも、透明になったまま、バスや電車をタダで乗り継いだ。
「ふふ、悪いことするの、なんか、すごいな。これが背徳感って言うのか?」
「僕も感じた。だけど、いつか払うよ……」
「お前は偉いな……けど……やっぱり、なんか……」
二人はいたずらっ子みたいにクスクスと笑った。透明になって誰にも認識されないとはいえ、やっぱり声を押さえてしまう。
そして、辿り着いたのは、山々に囲まれて、田んぼや畑がたくさんある田舎であった。そして、山の中にある坂を上って行く。
「……なあ、オレ、重くないか? 降りようか?」
「大丈夫だよ。また、コロコロ落ちるのはイヤでしょ?」
「もう落ちねえよ! てか、そんな話よく覚えてたな?」
「それに、君は重くないよ?」
「そ、そうか……。ん、どうした?」
すると、透明少年が立ち止まった。そこは、墓地の入り口であった。そこで、ハッとした。彼の抱えていたことに、気づいたのだ。
ツバサは、透明少年の母と先祖が眠る墓を、丁寧にきれいに掃除しているのを見守った。
ツバサも手伝おうとしたが、少年は断った。下半身が尾ひれのせいで立てないので、逆に邪魔だろうと、ツバサは納得した。しかし、一緒に手は合わせた。
「……知らなかったよ。なあ、どうして言ってくれなかったんだよ?」
「……うん。口にするのも、イヤだったんだ」
「……そう、か。……お前のママには少ししか会った事なかったけど……お前がオレん家に遊びに来てくれた時、持ってきてくれたクッキー、美味しかったの覚えてるよ。お前のママが作ってくれたんだよな?」
「うん。すごい、料理が上手だったんだ。いつか、僕が今度は何か、作って、食べさせてあげるって、約束したんだ。……だけど、出来なかった」
少年はそう言うと、崩れ落ちるように膝をついた。それを、尾ひれを地面に座らせているツバサがそっと支えて寄り添った。
「あとで、わかったんだ。僕、母さんと血が繋がってなかった」
ツバサは、思わず目も丸くしたが、黙って寄り添って聞いてあげた。
「父さんが、すごい人だと思ってた、そんな父さんが、母とは違う誰かとの間に出来た子供、それが僕だったんだ……。僕を産んでくれた母は、僕を産んだ時に亡くなった。僕か彼女か選ぶしかなかったとき、彼女は、僕を選んでくれたんだ。そして、今、ここで眠ってる母が育ててくれた。他人も同然、自分から夫を奪ったともいえる女性の子なのに、それなのに、それなのに、母は、他人も同然の僕を育ててくれたんだ。命を燃やしつくしてまで……。父が死んだ後、僕を育てるために、心配かけないように、ずっと病気のことを黙って、働いて、ご飯を作ってくれた。そもそも、僕が、僕なんかが、生まれて来なければ、もっと、他人の僕なんかを育ててくれた優しい母は、もっと生きられたに違いないのに……。父だって、そうだ。僕が生まれて来てから、余計に仕事をするようになった。その無謀さで殉職した。そこで会った女性と関係を持つような男だったかもしれない、だけど、そこにいるたくさんの人々を救っていたのも事実だ。生きてたら、もっとたくさんの人々が救われていたかもしれない。……僕が、母を二人も、父も殺したも同然なんだ……。僕は、生まれて来るべきじゃなかった。死にたくなった。だけど、死んだら、みんなの頑張った人生が無駄になると思った。だから、誰かを助けて、三人がしたことが無駄にならないようにしたかった。いや、違う。生まれてきてよかったって、思いたかった、ただの自己満足だったんだ。僕は、僕は……みんなを救おうとしたのに、むしろ、こんな……」
ペシッ。力ない平手打ちだった。見てみると、それをしたツバサが泣いていた。そのあと、力ない拳で、彼の腹をポコポコ殴りながら言った。
「生まれて来るべきじゃなかった? そ、そんな事言うなよ! なんでそんな事言うんだよ……。オレは、お前に出会えてすごい嬉しかった。お前が生きててくれて、嬉しかった。……それじゃあ、ダメだったのか? どうしても、オレ以外の誰か大勢を救わないと、ダメだったのか? オレだけの、相棒じゃ、イヤだったのか……? オレは、オレは、お前がいるだけで、救われてたのに……」
「ごめん、ごめん、ツバサちゃん。僕も君に救われたのに、君のこと、見捨てちゃってた……君から逃げてた。だけど、言い訳にもならないけど、どうすればいいか、わからなかったんだ……」
「苦しかったら、言えよ……」
「……うん。ありがとう。僕と友達になってくれて……」
「……おう」
二人は、ギュッと抱き合った。お互いの体温が伝わって来て、暖かくて、お互いが生きていると感じる。
そのあと、ついにツバサの両親や友達の元へ帰ることにした。
「あ、そう言えば、君の服……」
「いいだろ、もう。帰るだけだしよ。……あったかいし」
そうして、街についてみると、恐ろしいことが分かった。
「な、なんだよ、これ……」
街が閉め出されていたのだ。街の周りを自衛隊に警備されていて、入れない。
「パパとママ! みんなは⁉」
「大丈夫、大丈夫だよ、ツバサちゃん! あっちだ、行ってみよう!」
透明少年は仮設住宅地を見つけて、ツバサを抱えながらそこへ走った。
(パパ、ママ……無事でいるよな……?)