49 貴族の道楽(後半)
料理長ドニとブリジットの会話を盗み聞きながら、ふと領地経営のお勉強を思い出します。
領民たちの九割以上が農夫や木こり、一次産業者なのでございます。彼らは己の畑を持ち、収穫を得て、その中から約半分を税として納めている……。
しかし、人口をまかなえるだけの収穫がある状態で、農夫がこれ以上いらなくなるタイミングが来るわけですわね。領土のうち農地に使える場所に上限がある以上は、かならず溢れる人たちが出てきてしまいます。
「地方領の計画農地から溢れた人々は農業以外の仕事を求めて都市部、特に王都へ向かいます。そうなると、王室は兵士を増やして征服戦争を試みたくなるところでしょうけれど……」
「天上教会が禁じておりますな、人間同士の戦争と植民地の支配は。今のところは、ですが」
「ええ。ですから、兵士はさほど増えず、ひとを使って商売をする商人が儲けることになります。税収に頼る貴族たちも収穫量の増加で潤いますけれど、いちばんは商人です」
「しかし、商人たちの商品だって農作物でしょう? 市場に溢れ始めたものを販売しても、大きな稼ぎにはならないのではありませんかな?」
「レオお嬢様から、"天上"のある話を聞きました。工場という場所です。鍛冶屋のような徒弟制度ではなく、ごく普通の人々が効率的な分業によって大量の商品を生み出すのだとか」
はっとします。この世界では、購入した荷物を別の地域まで運んで販売し、差額で儲ける行商が基本だったはず。それが、いわゆる製造業へとシフトしていくのですね? でも、なにを作るのかしら。
「その工場では、瓶詰めのようなものが作られるでしょうね。ドニさんも作ったでしょう、お嬢様の瓶詰めを」
え? わ、わたくしが特許を申請した瓶詰めが……?
「ええ。保存食としてあれほどのものは、なかなかないでしょうな。保存期間が長いと証明できれば、なるほど、大儲けできるでしょう」
「すると、農夫でもなければ貴族でもない、しかし多くの富める人民が誕生します。そして、彼らは力を持ち、あることを考え、結託します。『経済を回しているのは自分達なのに、どうして政治に関われないんだ?』と」
「……ブリジット嬢、まさか」
「この先については、語りません。あまりにも恐れ多いことですから」
ブリジットはカップを両手で包んだまま、再び嘆息いたしました。
「行き過ぎた変化は、畏れを生みますなぁ。ですが、そうなると決まったわけではないはずです。言い方は悪いですが、ブリジット嬢の予測の域を出ないでしょう」
「ええ。単なる予測、どころか妄想の類です。でも、私が恐れているのは、お嬢様に自覚がないことです。巨人が好き勝手に歩き回れば、犠牲になるのは足元の人々です。あの方は、自分の振り回した知識がどんなふうに世界を破壊するのか、まるで考えておられない」
自覚がない――。背中をくっつけた分厚い木製の扉が、やけに冷たく感じます。
「ただ、いっぱい食べられるだけなら良かったのです。力が強いだけなら、魔力が有り余るだけでも、よかったのです。でも、レオお嬢様はそれだけではなかったんです。ただの貴族の道楽で、世界を壊してしまえる御方なんです」
世界を壊す気なんて、毛頭ございません。わたくしは、ただ。
ただ……、ラーメンが食べたくて。食べてもらいたくて。
それだけ、なんですのに。
わたくしは、そっと厨房の扉を離れて、自室へと向かいました。眠れる気がしませんでした。
翌朝、わたくしたちは予定通り、試験畑へと向かいました。どれだけ気が落ちていようと、苗踏みはしなければなりません。いつもと様子の違うわたくしに、ブリジットは心配して「体調がすぐれないのですか」声をかけてくださいます。
「いえ、少し楽しみにしすぎて、なかなか寝付けなくて。寝不足ですの」
そう、下手な微笑みとともに、バレバレの言い訳をしてしまうくらいに。【飢餓】を持ち、無尽蔵の身体強化を行えるわたくしが、徹夜くらいで疲れるわけございませんのに。
そして――。
「――え? な、なんですの、これ……!?」
わたくしたちを出迎えたのは、焼け焦げ、荒らされ、見るも無残な姿になった、試験畑でした。
小屋も粉砕されており……、待って。いつも小屋の前でわたくしたちを出迎えてくれた、あの子の姿が見ません。黒くて、モフモフしている、あの子が。
「ムギ!? ムギ、どこですの!?」
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