39 一生に一度の一杯(前半)
暗くなる前に、バージルとベルートは孤児院に帰らなければなりません。
街の孤児院ですから、そう遠くはないのですけれどね。
「じゃーね、レオお嬢様。今度は孤児院に遊びに来てよ、恋を教えてあげる」
「はいはいですの」
ブリジットに似た整った顔立ちですから、バージルはさぞかしモテるでしょう。
「ばいばい、れおじょさま。また、らめん、たべにきてもいーい?」
「ええ、もちろんですわ。いつでも来てくださいませ」
ベルートはかわいいですわねぇ、本当に。
と思っていたら、ブリジットが「こら、ベルート」と幼女を窘めました。
「そういうわけにはいきません。ラーメンを食べられるのは今回だけです」
「うー……」
それから、ブリジットはわたくしに向き直り、深く頭を下げましたの。
「ありがとうございました、レオお嬢様。二人にとっても、私にとっても、一生に一度の貴重な体験をさせていただきました。この思い出を胸に、今後の人生を生きていくことができるのは、とても幸せなことです」
……なんか、重たくありません?
「あの、別に一生に一度だなんて言わなくても。わたくしも食べたいですし、これから何度だって作りますわよ、ラーメン」
「ええ、レオお嬢様は何度でもお作りになられるべきです。……ですが、私達がご相伴に預かるのは今回限りにさせていただきます」
バージルとベルートの「えー」という声を無視して、長姉は断言しました。
「……え? な、なぜです? やっぱり、美味しくなかったんですの?」
「いいえ、素晴らしいお味でしたよ。鶏を丸ごとスープにしてしまう、至高の料理でございます。……だからこそ、です。こんな贅沢、私達にはふさわしくありませんから」
ブリジットは微笑んで言いました。
メイドという立場を気にしているのでしょうか。
「だったら、お店を出しますわ! せっかく商店経営権をいただいたのです、街のひとみんなが、いつでもラーメンを食べられるようにしておけば、ブリジットたちも行きやすいでしょう?」
ベルートは「おみせー」と両手を上げて喜びましたけれど、ブリジットはふるふると首を横に振りました。まるで「わたくしはなにもわかっていない」とでも言わんばかりに。
「お言葉ですけれど、レオお嬢様。ラーメン一杯当たりの原価がいくらか、どれほどの値段で販売すれば利益が出るかの計算をされておられますか?」
「……しておりません」
考えたこともございませんわね。特許で得たお金が潤沢にありましたし、販売目的で作ったわけではありませんから。
「私はしておりました。市場にも鍛冶屋にも同行いたしましたし、作る時も一緒でしたから。概算ではありますけれど、原価だけで――」
ですが、ブリジットは違います。その優秀な頭脳は、わたくしが湯水のように遣ったお金の内訳を、すべてしっかり把握していたのです。
「――一杯、金貨一枚弱ほど。倍額で販売するとして、二枚でございます。いえ、倍額では済まないでしょう。特注の製麺機に調理器具などの初期費用回収に、出汁を煮るための炭か魔術師雇用にかかる継続的な出費。すべて含めて、最低でも金貨三枚はかかるでしょうね」
金貨――レヴェイヨン連合王国錬金通貨が、三枚も。
金ではなく、レヴェイヨン王家お抱えの錬金術師一族にだけ伝わる製法で作られる、共通通貨でございます。
「金貨三枚の料理を出す料理店となると、貴族様向けの高級料理店しかありえません。豪華な作りのお店に、マナーに長けた従業員もたくさんいるでしょう。人件費や上物代まで加味すれば、金貨五枚でもいいくらいです」
地球とは物価や生活様式がまったく違うので、一概に日本円に換算して語ることはいたしませんが、金貨一枚でも一家庭のひと月の生活費に相当するはず。
それが、五枚。なんという――贅沢の極みでしょうか。
「だから、今回だけなんです」
ブリジットはそう言って、二人の兄妹と手を繋いでお屋敷の門をくぐり、孤児院へ向かいました。
わたくしは、小さくなっていく三人の後ろ姿を見て……、思うのです。
一度ではダメですの。
ラーメンを一回再現しただけでは、ダメなんですの。
ブリジットに美味しいと言ってもらうことは出来ました。
けれど、それが人生に一回だけ? そんなの、ダメです。
それは、前世の私が食べた、あの醤油ラーメンではありません。
毎日三食楽しんでいた、あのラーメンという文化でも、決してない――。
「――そう、文化ですわ。ラーメンという、食文化……」
わたくしが真に作るべきもの。
でも、そのためには、なにが必要ですの?
首をかしげても、赤く染まりつつある空を見上げても……、まるで答えが出ません。
だって、そんな壮大なこと、考えたこともございませんもの。
わたくしは、いつだって大事なことを考えていないのです。
聡明なブリジットとは違って。
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