10 ブリジット・バイイ(後半)
一日三回、朝7時、昼12時、夕方18時に更新しておりますわ~!
読み飛ばしにご注意くださいませ~!!
わたくしは、おそるおそる、ブリジットの顔を覗き込みます。
「ブリジット、あなたもしかして、その、舌が……?」
彼女は苦笑して、首を横に振りました。
「いえ、味覚がないわけではありません。甘い、しょっぱい、苦い……、そう言ったものは理解していますし、感じ取れます。でも、それだけじゃないですか」
そ、それだけ、とは?
意味が分からなくて、困惑するわたくしをよそに、ブリジットは皿の上のローストポークをひと切れつまんで、口に運びました。
「……焼いた豚肉ですね。部位はロースでしょう。外側をしっかり焼いて、内部は高すぎない温度で火を通し、しっとりと仕上げてあります。薄く切ってあるので、柔らかい状態で食べることが出来ます。ソースは肉汁にバター、はちみつ、ワインをあわせたもの。マスタードも添えてありますね。全体的に、苦みや雑味が少なくて、食べやすいです」
舌、めちゃくちゃいいですわね。
次に、ブリジットはパンを少しだけちぎって頬張りました。
「……こっちは、丁寧に殻を取り除いて製粉した小麦に、リンゴとレーズンの発酵液をあわせて焼き上げた、いわゆる"貴族のパン"です。ふかふかしていて、こちらも変に酸っぱくなく、固くもなく、食べやすいと思います」
「……それが、美味しいということではなくて?」
「美味しい、というのが、不味くない、というのと同じ意味であれば、そうです」
「それは違いますわ!」
とっさに否定してから、でも、続く言葉が出てなくて、困ってしまいます。
「不味くない」と「美味しい」がイコールであるはずがないと、わたくしは確信しております。なのに――。
「……ええと、美味しいとは、わくわくして、どきどきして、胸が弾んで、それで、それで――ともかく、違うのです。説明はできませんけれど、絶対に違いますの」
「でも、あくまで食べ物って、生きる糧じゃないですか。栄養があって、食べられさえすれば、なんでもいいと思うんです」
ブリジットは淡々と語ります。
「レオお嬢様の【飢餓のテクセリア】は、必要な分を超えた栄養は魔力にしてしまうのでしょう? だったら、食事という行為には女神様すら認める最低限の『必要最低限』があることになります」
わたくしは、地球の知識を思い出しました。家庭科の授業を。必須栄養素、一日のカロリー……。暮らしぶりや、肉体労働を行っているかどうかにもよるでしょうけれど、たしかにそう。
人間の食事には『必要最低限』が、たしかにあるのです。
「その『必要最低限』を超えて、食事に食べやすさ以上のものを求めるのは。趣向を凝らし、手間暇をかけ、贅沢をするのは……、その、無駄なのではないか、と思ってしまうのです」
がつん、と頭を殴られたような衝撃が走りました。
無駄? 美味しい料理は、無駄……?
わたくしは言葉を失っていました。いちばん親しくて、年齢も近い、わたくしの教育係。いつもそばにいるブリジットが、まるで別の生き物みたいに見えてきます。
ブリジットはわたくしの顔を見て、優しく微笑みました。
「……わかっています。みなさん、食事を楽しみにしていらっしゃいますから。違うのは、私の方だと。美味しいとはどういうことか理解できない私の方が、人間として至らないのだと、気づいています。でも、やっぱりわからないんです」
美味しい、が。わからない――。
ブリジットは星を見上げて、眼鏡をくいっと上げました。
「ドニさんは、仕事に誇りを持っていますから。私みたいなわからない者が、シェフの料理をいただくのは、失礼だと思うんです。だから、ごちそうはレオお嬢様たちだけでお召し上がりくださいませ。私はここで、夜空を見ておりますから」
「そんな……。いえ、そう――、そうですわ!」
ようやく捻り出せた言葉は、馬鹿みたいなセリフでした。
「ブリジットもラーメンを食べれば、価値観がひっくり返りますわよ! 美味しすぎて!」
彼女はわたくしを見て、口角を上げて微笑みました。
「レオお嬢様の大好物の、"天上"の食べ物ですか。そうですね……、そういったものであれば、私にもきっと、『美味しい』が理解できるのでしょうね」
明らかに作り笑いだとわかる顔で発された言葉は、あまりにも空々しくて。
ただ、わたくしの面目を立ててくれただけなのだと、嫌でもわかってしまって。
でも、この場から立ち去るのも悔しくて……。
「……良い夜空ですわね」
「ええ、そうですね」
そんな会話をして、やっぱりそれっきりなにも言えなくて。
お母様がわたくしを呼びに来るまで、二人で薄く曇った空を見上げておりました。
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