第一部
その最上階でスタンは思わず息を飲んだ。
「……!」
この城で、初めて『ひと』を見つけたのだ。絵画が所狭しと並べられ、その中央ではひとりのワーラット(ネズミ人間)がカンバスへと一心に筆を走らせている。
「#$%&……」
モーフィは怯え、階段の陰でしゃがみ込んだ。
ニスは表向き平静を装っているものの、節々に動揺が見られる。
「こんなところに画家が……?」
「#$%&」
その一方でスタンは胸を躍らせた。
さっきから廃墟を見てまわるだけで、退屈していたのだ。こうして見る分には、彼は自分たちと同類であって、凶暴なモンスターではない。
「挨拶してみようぜ、ニス」
「……わかった。失礼がないようにな」
スタンの一行は部屋に足を踏み入れ、おずおずと彼に声を掛けた。
「こんにちは」
絵描きのネズミが手を止める。
「ん……? ほう、こんなところに客人とは珍しい」
振り向いた拍子に小さな眼鏡が光った。
「賊の輩ではないようじゃの。まあ、わしがこの城に来た時には、宝物庫なんぞとっくにカラッポになっとったが……ふぇふぇ」
気さくな話しぶりで年老いた笑みを綻ばせる。
「御仁はおひとりなのですか」
「そうとも。もう八年……いや、十年になるかの」
ようやくモーフィも落ち着いたようで、スタンの傍まで歩み出た。
「#$%&」
「リザードマンにワーウルフ、それにムォークとな……探検にでも来たんか? それとも……ふぇふぇふぇ、サジタリアスの円盤を探しておるとか?」
朽ち果てたこの城を訪れる理由など、ほかにない。
「ああ。何か知ってたら、教えてくれ」
「スタン? 挨拶がまだ」
「構わんよ。わしも休憩しようと思っておってな」
ワーラットの画家は筆を置くと、窓辺でパイプを燻らせた。
「わしはブライアン。ほれ、見ての通りワーラットのジジイじゃよ」
ジジイと自嘲するだけあって痩せており、毛並みもくたびれた印象がある。しかし眼鏡の奥にある瞳は力強い輝きをたたえていた。
単に時間を持て余しているだけの老人ではない。
「おれはリザードマンのスタンだ」
「小生はニス。あと、このムォークはモーフィというそうです」
「#$%&」
「ふぇふぇふぇ! よろしく、お若いの」
モーフィは興味津々にブライアンの作品を眺めていた。
ブライアンが陽気に笑う。
「なかなかのものじゃろう? 絵を描くことだけが、昔からの取り柄での」
どの絵も色鮮やかな出来栄えだった。
今となっては、こういった趣味に興じる者も少ない。この百年の間に『人間』らしい文化は忘れ去られ、ひとびとは動物と変わらない日々を送っている。
聖書などを愛好するニスも、奇異の目で見られた。
ただ、単に古い書物の字面を追っているだけのニスと違い、ブライアンは明らかに百年前の『技術』を継承している。
「この画材はどうしたのですか? ブライアン殿」
「自分で作るんじゃよ。絵描きの先生に教えてもろうた」
作品は風景画がほとんどで、鳥や犬といった動物の絵もあった。殺風景な城の中にあっては、幻想世界の入り口にも思えてくる。
「#$%&」
「ん? どこの景色かって? ……さあのぉ」
ブライアンはネズミの髭を撫でながら、窓の外へと視線を投げた。
「わしも先生と同じで、たまに妙な景色が『見える』んじゃ。ひょっとしたら、あれはガリウス王国の昔の姿なのやもしれん」
かつてこの地で栄華を誇った王国は、もうどこにもない。
「百年前のガリウス……」
「左様。ここには昔、本当に立派な国があったのじゃ」
その王国は繁栄を極め、飽くことなく支配圏を広げたという。いたずらに侵略戦争を繰り返し、時には無抵抗の都市で略奪さえ働いた。
そのためにガリウス王国は、ある魔導士の怒りを買ってしまったのだ。
王国の民は怪物の姿にされ、城下町は一夜にして炎にまかれた。支配者のいない城だけが残り、百年もの時を数えている。
(本当の出来事なのか……?)
この災厄が始まった頃は、民も必死に抵抗した。とりわけ『人間』の姿を奪われた一世代目のひとびとは、死力を尽くしたに違いない。