第一部
日中にもかかわらず雲が厚いせいで、あたりは夜のように薄暗い。この百年の間、ガリウス城の一帯は一度として晴れることがなかった。
雑草は下を向き、咲く場所を間違えたらしい花はしおれている。
とはいえ、リザードマンもワーウルフも夜目が効くおかげで、視界には困らなかった。スタンは目を赤々と光らせながら、うらぶれた古城を見上げる。
「やっと着いたなァ」
かつて民によって一夜のうちに攻め滅ぼされたという、ガリウス城。
百年前は雄壮を誇ったはずの王城も、今では見るも無残な廃墟と化していた。四方の堀はひからびて、跳ね橋は片方の鎖が外れている。
ワーウルフ(狼人間)のニスがロザリオを掲げた。
「戦死者たちに冥福を……」
このワーウルフは信心深い人物で、何かと神の威光に結びつけたがる。そんな堅苦しいところが、自由奔放なスタンとはかえって気が合った。
もうひとりの仲間、モーフィも城を仰ぎ見る。
「#$%&」
毛むくじゃらのムォーク族は発声器官に問題があるようで、会話が不得手だった。実をいうとスタン自身、どうして彼がついてきたのか、わからなかったりする。
「にしても、少し冷えるなあ……」
「そうか?」
「お前らは体毛が生えてっから、温かいんだよ」
この面子で大丈夫なのか? そう不安になるのも、とっくに十回を超えていた。
(何も知らねえしな、オレたち)
百年が経った今、かの魔導士がまだ生きているとは思えない。ひょっとしたら、あの昔話自体、真っ赤な嘘である可能性もあった。
リザードマンはリザードマン。ワーウルフはワーウルフ。最初から『人間』とやらではなかったのかもしれない。
それでもスタンは好奇心を断ちきれず、こうして城まで来てしまった。自分にとって最悪のパターンは、この城が単なる廃墟でしかなかった場合だろう。
かの魔導士はガリウス城を乗っ取り、勇敢にして無謀な挑戦者を待ち構えたという。
「人間になったら、そうだな……大陸じゅうを旅して、まわってみるか」
「神が与えた試練なのだぞ。我欲は禁物だ」
「#$%&」
崩れかかった跳ね橋を渡り、スタンたちは城門をくぐり抜ける。
中庭もすっかり荒れ果てていた。土に埋もれ、花壇と通路の見分けさえつかない。正面の扉は瓦礫で塞がっているため、とりあえず裏手にまわってみることに。
「気をつけろ、スタン。井戸があるぞ」
「これが、か? そうか……百年が経ってんだもんな」
古井戸も壊れ、ただの落とし穴と化していた。小石を投げ込んでみても、水音は返ってこない。飲み水がなくなったら、河まで引き返すしかないようだ。
城の裏手には水汲みの際に召使いが使っていたらしい、小さな扉がある。鍵は壊れており、すんなりとスタンらを迎え入れてくれた。
「泥棒にでも入った気分だなぁ」
「#$%&……」
モーフィが相槌を打った気がする。
城の厨房にしても、かろうじて原型を留めているだけの有様だった。かまどには土砂の類が入り込んで、鉄板の上には野良犬のものらしい白骨が転がっている。
誰かがこの犬を焼いて、食べたのだろうか?
こんな廃墟の台所で?
スタンはかぶりを振って、考えるのをやめた。
「ちょいと気味が悪いなあ。幽霊は専門外だぜ? オレ」
「退魔法なら心得がある。小生に任せてくれ」
「……本当かよ」
百年も放置されていたせいで、ガリウス城には幾度となく盗賊が侵入したのだろう。今となっては、怪物だらけの王国で宝など大した意味もないが、物好きはいる。
さしずめスタン自身も、傍目には盗賊と変わらないのだ。
「小生としては書庫があれば……」
「探してみようぜ。どうせアテもねえんだ」
警戒しつつスタンたちは厨房を抜け、さらに奥へと進んだ。
かつてのダイニングルームも朽ち果て、タペストリーは黄ばんだうえで裂けてしまっている。燭台はロウにまみれ、灰色の埃を被っていた。
「#$%&!」
毛むくじゃらの男は潔癖症の気があるらしい。
「我慢しろ、モーフィ。こんな城じゃ、どこに行っても埃だらけさ」
この食堂も、百年前はガリウスの栄華を誇ったのかもしれない。しかしシャンデリアは崩れ落ち、窓は単なる穴と化していた。
依然として城主の気配はない。
「スタンよ。やはり魔導士とやらは、すでに……」
「かもな」
スタンの期待は裏切られつつあった。だが、まだ厨房と食堂をまわっただけのこと。
半壊しているとはいえ、この広大なガリウス城を調べ尽くすには時間が掛かる。まずは調査の拠点を早急に確保しなくてはならなかった。
モーフィが上への階段を指差す。
「#$%&」
「上か。調べてみる価値はあるな、よし」
ガリウス城には四本の尖塔が存在し、うち二本はまだ残っていた。南西の塔に当たりをつけ、スタンたちは窮屈な螺旋階段を少しずつ登っていく。