7、線路を見下ろすと……(怖さレベル:高)
今回の話は十年以上前──
大学時代の同級生、N君から聞いた話である。
◇
N君はお寺の息子で、縦にも横にも心も大きな人物であった。
まさに「気は優しくて力持ち」を体現したような青年で、とにかく真面目で爽やか。
自他共に認める「皆から頼られるぽっちゃり(100キロ)」という、明るい奴だった。
そんな彼だが、朝っぱらから酷く落ち込んでいる日があった。
何かあったのかと心配になった私と友人は、当然のように「大丈夫?」とN君に声をかける。
資格試験で悩んでいるのか──
実家で何かあったのか──
彼女さんと何かあったのか──
どんな悩みが来ても励ますつもり満々くんで話を聞くと、彼は非常に言いづらそうにしながらも、大きな体を小さくしてポツポツと語りだした。
その内容は私と友人の予想の斜め上をいく、とんでも話であった。
◇
前日の大学からの帰り道。
彼はいつものように、ある駅で乗り換えの電車を待っていたという。
ホームにいる人はまばらで、平日の都内にしては「まぁ空いているな」位の認識だったらしい。
電車が来るまでもう少し──
ホームの中央付近でぼんやりと突っ立っていると突然、斜め前方に立っていた人物がフラリと倒れるように線路に落下した。
それはあまりにも一瞬の事で、「えっ」と叫ぶ暇もなかったそうだ。
しかし呆然としている場合ではない。
早く助けないと電車が来てしまうだろう。
意識があれば引き上げられるし、もし急病や怪我で動けないなら、緊急用のボタンを押さなければ──
彼は状況を判断しようと即座にホームの端にかけより、線路を覗きこんだ。
しかし──
「!?」
線路上に人の姿はどこにも無かった。
見間違い──?
いや、それはない。
確かに黒に近い紺スーツ姿の男が落ちたのを見た──
右手に鞄を持っていたのも見えていた位だ。
半ばパニックになりながらキョロキョロと線路を見回すも、何も異変は見当たらず。
かといって身を乗り出して確認するのは少し怖い気がする。
彼はどうしよう、どうしようと眼下の線路を見つめた。
その時だ。
彼は生まれて初めての感情を強く強く抱いたそうだ。
──死にたい
──死にたい
──自分が嫌いだ
──自分が嫌いだ
──死にたい死にたい死にたい
──死にたい死にたい死にたい
──自分が嫌いだ嫌いだ嫌いだ
──自分が嫌いだ嫌いだ嫌いだ
その感情は明らかな負の感情であり、突然抱くには不自然すぎる激しい衝動であった。
とにかく「今すぐ死にたくて堪らない」という気持ちと「いや何これ急に俺どうした!?」という気持ちで、彼は更に大混乱。
どうにも出来ずに固まっている間に電車がやって来て、ようやく頭と体が動いたのだという。
そして混乱冷めやらぬまま帰宅し、父親に相談して拝んで貰って今に至るそうだ。
「え、それって大丈夫なん? 今も死にたい願望あんの?」
「いや、今は全然。普通に生きたい。死にたくない」
だからこそ怖いのだという。
それはそうだろう。
話を聞く限りだと、その時の感情はあまりにも突飛すぎて彼の本心とは思い難い。
「何それ怖い」とビビりながらも励ます友人に、彼は力なく笑って礼を言うと、話を切り上げて行ってしまった。
しかしその日の帰り際、私は彼と早くもバッタリ再会した。
偶然なのか、わざわざ私を待っていたのかは不明である。
彼はやはり暗い顔をしており、駅までの道中に話しだした。
「実はまだ怖い事があって……○○(友人)が怖がりっぽかったから、朝はあれ以上言えなかったんだけど」
「マジか。何よ」
「今朝大学に来る時に気付いたんだけどさ」
──ホームで線路を見てると、またじわじわと死にたくなってくるんだよね──
……それはまずいのではなかろうか。
心霊現象云々はさておき、彼のメンタルが心配である。
うっかりの衝動で飛び込まれては堪らない。
ましてや私はこの話を聞いてしまった身だ。
万が一、いや億が一にでも最悪な事態になってしまったら良心の呵責に苛まれるだろう。
結構ガチで心配になった私は、N君と話し合った末、理由は伏せて何人かの友人達に「N君は今情緒不安定だから一人で帰さないようにしよう」と伝えた。
彼は数ヶ月の間、「登校時は出来るだけ線路を見ないようにする」「下校時は一人で帰らないようにする」という心許ない対策で過ごしたらしい。
そして心配が薄れた頃、彼は晴れやかな顔で「例の件だけど、もう大丈夫」と伝えてきた。
やけにハッキリ言い切っていた理由は謎だが、大丈夫と言うのなら何よりである。
こうして彼の「強制自殺願望事件」は幕を閉じた。
ちなみに彼は現在も元気にしているそうなのでご安心を。