4、聞こえない声(怖さレベル:低~中)
私が大学生の頃、共通の趣味を持つ社会人のAさん、Bさん、Cさんと四国旅行に行った時の話である。
旅行の二日目、私達はT県の海鮮が美味しい(らしい)という民宿に泊まった。
民宿の名前は忘れたので今も営業しているかは不明である。
初日とは違い複数人が入れる浴場が離れにあり、入浴もそこそこに私達は客室へと戻る。
今回は六人は泊まれそうな広さの和室で、私達は深夜まで談笑しながら写真を見たり海の絵を描いて過ごした。
流石に一時を過ぎると寝ようという流れになり、布団を頭が向き合う形で二組ずつ敷いた。
私の隣はBさんで、向かいがAさんとCさんである。
電気を消すと向かいからすぐに寝息が聞こえ始め、二人が寝た事が分かった。
私は布団に入っても一、二時間は寝付けないタイプなので、Bさんの寝入りの邪魔にならないようジッと息を潜めるに徹する。
……が、Bさんも寝付きが悪いタイプなのだろう。
何度も寝返りをうったり、布団の中で携帯を弄っているようだった。
静かな室内で、二人の寝息とBさんのゴソゴソ音だけが微かに聞こえる。
私だけ気を使って身動ぎもせずに息を潜める意味は無いかもしれない──
そう思い至り、私も遠慮なく深い息を吐いてゴロリンと寝返りをうった。
すると、思いがけずBさんが小声で話しかけてきたのだ。
「ねぇ、隣の部屋、うるさくない?」
「え?」
彼女は細い指で目頭を押さえながら、少し苛ついた様子で足元の壁を見た。
「こんな時間に夜泣きとか……仕方ないとはいえ、流石にさぁ……」
「? ちょっと……何も聞こえないんですけど、え、誰か泣いてます?」
「え……?」
互いに沈黙。
静寂が痛い。
でもそれは私だけかもしれないのだ。
私はBさん側に身を寄せると、更に声を潜めて聞いた。
「……今も聞こえます?」
「……本当に聞こえないの?」
「左耳がちょっと良くないんで自信はないですが」
少し嘘である。
私の左耳はある一定の高さの低音が聞き取れないだけで生活には何ら問題ない。
しかし、そうでも言わないと生真面目かつ神経質な彼女が可哀想だと、何故かその時は咄嗟に思ってしまったのだ。
彼女は念を押すように「本当の本当に聞こえないのね?」と確認すると、ゴソゴソと起き上がって携帯電話の明かりを頼りに鞄を漁りだした。
「ごめん、小さい音にするからラジオつけていい?」
「全然良いですよ。私布団被ってるし、多分聞こえないんで。あと、先に寝ちゃうかもですが……」
「良いよ良いよ。気にしないで寝な。気を使わせてごめんね。おやすみー」
Bさんは布団を頭から被ると、それ以上話す事はなかった。
布団ごしにラジオの音が微かに聞こえる。
何を言ってるか分からないが、決して煩わしくはない音量だ。
ラジオの音と二人の寝息が聞こえる静かな部屋で、私はBさんに悪いと思いつつも眠りについたのだった。
そして翌日。
朝食を食べに移動する際、Bさんはすっかりいつも通りの様子でその後の事を話してくれた。
「結局朝まで啜り泣きが聞こえててね。明け方の三十分くらいしか寝れなかったよ」
「三十分!? 大丈夫なんですか?」
「平気平気。徹夜は仕事で慣れてるから」
というか啜り泣きだったのか。
もしや本当に聞き逃しただけなのかとも思ったが、Bさんによると「子供が気を引くためにやるような、結構大きな啜り泣き」だったという。
やはり聞こえなかったのは不自然である。
それも一晩中とは──
Bさんもその異様さに気付かない筈がない。
「いいネタになったわ」と苦笑した彼女は、それ以上この事について語る事は無かった。
余談だが彼女は漫画家さんである。
商業用ではない作品でこのエピソードがチラッと描かれた事があるので、万が一心当たりがある方がいてもスルーでお願いしたい。