第5話 香り
「お初にお目にかかれてうれしく思います。シェリ家現当主ラウスの娘、ラキ・マ・シェリです。」
幼い頃から叩き込まれた作法をしっかりと熟す。相手にどう微笑みを浮かべれば好印象を得られるのかということを計算しながら微笑みを浮かべた。暗殺者とは敵に殺意を悟らせないようにどれだけ自然に近付けられるかは重要なスキルだ。今は敵ではなく王族の相手だが好印象を持って貰うことに越したことはない。
「ラキか。噂に聞いておったが、目や色合いは母に顔の造形は父に似ておるなぁ。正しく良い所取りだな」
「ふふふ、本当にその通りでございますわね。このような美しい娘を持てるとは羨ましく思いますわ」
父と現王は気心知れた仲でもあるようで、気安い受け答えをお互いにしていた。王の横で優美に微笑むのは現王妃チェリーさまである。これはまた。彼女の笑みは完璧な淑女の笑みであった。触らぬ神に祟りなしってところかしら。敵意はないが、好意でもない。
単に牽制する笑みだ。余計なことはするな、そんな裏の言葉まで聞こえてきそうな迫力はあった。
「我が息子たちも紹介せねばな。お主たちの右から順にロキ、ヘルトである。ほら、挨拶しなさい」
「ロキ・デスティーノだ」
「ヘルト・ディスティーノです」
流石というべきか、彼らは慣れた手付きで紳士の挨拶を完璧に熟していた。私も再度挨拶を交わした。2人ともどらかというと父親に似たようであった。第1王子であるロキ殿下の方が亡くなった王妃さまの顔立ちの要素が入っているような気をする。そんな彼はにっこりと微笑む訳でもなく、かといって威嚇する訳でもない本当に"無"の感じであった。雰囲気からは堅実的な印象を受けた。反面、第2王子は朗らかな雰囲気がある。どちからというと親しみ易いのは彼のほうだろう。色合いや基本的な顔造形はそこまで大差はないもののここまで雰囲気が変わるものなのか少し驚きながら、簡単に言葉を交して彼らの後にした。再度丁寧カーテシを披露し、その場を去る私の横を給与係の男が通りかかった。前世の勘か。何かが引っ掛かった。
間者と似た雰囲気を感じたのだ。
男が行っている給与係とはその名通りに夜会などの参加者たちに飲み物を定期的に渡したり、食べた後などを軽く掃除する人々を指す。平民のなかではかなりの人気職の1つであるようだ。さらに王宮は厳格な試験や面接などがある。王宮の給与係は1つのステータスのような意味もある。給与係といっても、様々な分野がありそれぞれ精通しているものがある。今回、私の横を通っていたのは葡萄のブローチからワインに精通しているようだ。…それにしても…ワイン係でこの香りは何となく給与係の男が気になり視線で辿る。男は王子たちにワインを渡したようであった。今回のワインはフラワ男爵の領土で取れた葡萄を使われた白ワインである。フラワ男爵独自のワイン製造により、芳醇な香りに透き通るような白さを持つ色味が特徴的である。男は王子たちにワイングラスを渡すと、次の人々に渡すように別の場所に消えていった。
そこでふと気がつく。
ロキ殿下のワインが僅かに濁っているように見えたのだ。念の為にヘルト殿下を見ると、彼のは大丈夫そうであった。適当に近くにいた給与係に声を掛け、同じワインを受け取る。シャンデリアの光に当ててワイの透明さを確かめる。やはり、ロキ殿下のワインは少し濁っているようだ。あら…これは…黒ですかね。それにしても困った。王族主催の夜会を一貴族の小娘が止める訳にもいないしな、と考えつつロキ殿下にどうやって伝えるか迷う。彼はどのような趣向が好みでしたっけ…貴族図鑑を必死に捲る。このままで王族主催の夜会で王族殺しなんてことになりかね…そうだわ。
「ロキ殿下」
「…君は先程のラキ嬢でないか」
「はい、私としたことが殿下と元々話しかったことを話さずに立ち去ってしまったので」
「話したいこと?」
「えぇ。殿下のことですから、戦記である「クライスの落とし穴」についてはご存知だと思います。」
「あぁ、有名だからな」
「やはり!殿下なら知っていると思ってました。実は私も戦記を読むことに嵌っておりまして…」
頷く彼に微笑みながら、話を紡ぐ。彼なら私の言いたいことがわかるだろう。ロキ殿下は戦記や歴史など好まれることがよくあると聞いた。それならば、「クライスの落とし穴」の本当の意味合いを知っているだろう。あれは一目だけでは単なる戦記だが、時代などを理解した上で再度じっくり読み直すと面白い言葉遊びがあるのだ。貴族のなかでもそれを知っている者は少ないだろうし、そもそも戦記を読む者も少ない。殆どの者たちはタイトルだけなら知っているだけだろう。
なので、公で話をしていても単なる読書の趣味を通しての会話にしか多くの人々には理解できないのだ。
「あれは当時の騎士団長であったカイラフという人物が行った大規模な人海戦術であり__と思います」
「その通りだ。」
「毒を制すと欲せば薬を制するともありますわね」
「あぁ、理解した」
「…そうですか。また今度。では私は行きますね」
「良い夜を」
軽く会釈をし、その場を今度こそ立ち去った。彼の様子からも毒のことはわかったようだし、これで最悪な事態は避けられそうだ。あとは…給与係の男を見つけるために怪しまれない程度に歩き回る。それから数分後くらいに例の給与係の男を見つけた。
彼をこの会場から離す理由はもう考えてある。
「貴方」
「ぼ、僕ですか?」
「えぇ、貴方よ。申し訳ないんだけど、休憩室までご案内を頼まれてくれるかしら」
「勿論です。此方へ」
彼の手に取り休憩室に向かった。やっぱり。彼からは芳香剤の香りが漂っていた。この感じだと…煙草辺りかな。推測の域は出ないが煙草の香りを消すために芳香剤を使ったのだろう。仄かに良い香りが私の鼻を擽っている。たが、これはワインの給与係ではありえないことだ。彼らはワインというものを楽しんでもらうためにそもそも余計なものを身に纏わせない。
香りなどは彼らが1番気を付けることだ。
お粗末な潜入方法だ。男の手法から完全な間者ではないだろう。体格から戦いは慣れているように思えるので戦闘になった場合は少し考慮せねば。
_まだまだ夜は長いのだから。