第1話 襲撃
日が沈み、廊下を赤く染めていく頃。
蜂蜜のように艶のある髪を靡かせながら、廊下を歩く少女の姿があった。少女…ラキは父の書斎に向かうところであった。母に頼まれて、書類共に甘い物と紅茶を持っていくという些細な用事であった。
私は書類を持ちながら、何から父に言うべきかと迷っていた。父のラウスは仕事は出来るものの、面倒くさがり屋な面もあるので物事を伝える順序によって仕事のペースが変わるときがあるのだ。仕事の多いときに母に会えなくて泣き言をツラツラと述べていた父の姿を思い出し、少しクスッと笑みを零した。
廊下を進んでいく内に、ふと気がつく。距離として短いが護衛などに全く会わないのは可笑しくないだろうか。いや、会わないこと自体はよくある。ではなく…何となく気配がない。嫌な予感というか、父のところに早く行けと頭の中で警鐘が鳴り響いた。
思わず足を速くしていく。勘違いや取り越し苦労ならそれでいい。そのときは精一杯誠意を込めて謝ればいいのだから。気がついたら走っていた。
「お父さま!」
書斎を声と同時に開けるとそこには3人の男たちの姿があった。内2人は見覚えのある顔、内1人は見覚えのない顔であった。見覚えのない顔を捉えた瞬間に自分の嫌な予感が当たっていたのかと感じる。見覚えのない顔立ちと使用人の服から使用人に化けて来たらしい。
「ラキっ!」
驚いたような声を父は上げる。
父も護衛の騎士もまだ生きているようでホッとする。
だが何処となく緊張感の漂っている。見覚えのない男も流石に3人に囲まれるとやばいと思ったのか少し顔を歪ませていく。しかし使用人の真似して来るとは、無謀にも程がある。確かに、侯爵家という立場の割にここは警備する人数は少ない。入るのは実に簡単だったのだろう。要は出るのが難しいのだ、ここは。
それは2つ理由がある。1つは侯爵一家それぞれが幼い頃から男女問わずに武芸を叩き込まれる為にそれなりの対応ができるということである。もう1つは使用人や騎士の人数は少ない分、全員が使用人たちの顔を把握するためである。
つまり、一見して穴だらけのようで隙がないのだ。
普通の貴族なら確かに、使用人に紛れることができたら殺すことは容易かもしれないが。ここは三大侯爵家の1つ、しかも武を司るシェリ家だ。生温い防衛をしている筈がないと気をつけるべきなのに。
情報収集は鉄則だ。貴族が貴族全員が同じ型であると思う方が可笑しい。法のサトラックス家なら、入ること自体がかなり難しい。サトラックス一家が直々にリストを作り、リスト以外は緊急事態のものではない限り基本的に入れない。リストは毎日毎日細かく一家全員何時に誰かくる予定なのかということが細かく記載されている。また毎日変わるのでその情報を収集にするのは難しい。あの几帳面な一家らしい防衛策だ。
「チッ」
見知らぬ男が舌打ちした瞬間に刃物を携えてこちらに来た。女で、1人で、扉の近くに立っているから狙いやすいと思ったのだろうが…お父さまはどうして私ではなく間者の方に手を拝んでいるのだろうか。
まぁ、いいでしょう。
私は慣れた手つきで間者の男の後ろに入り込み、腕を男の首を後ろから締め上げた。
全く、私なら…。私なら?
そこで思考が止まる。私なら、というのはどういうことだと考えていく。あぁ、そうか私は_。
「…ラキ、もうそろそろ腕を離してあげなさい」
「あら?ごめんなさい、お父さま」
パッと離すと、口から少量の泡を吹いていた男が横たわる。少し加減を間違えたようだ。ご愛嬌である。
「全く何故ラキの方に行ったのか」
「あら、お父さま。か弱い御令嬢を捕まえて何ということを言うのですか。」
「か弱いね、見た目だけならね」
思わず頬を膨らませる。自分の賞賛するのも何だか変だが、私の見た目は深窓の御令嬢そのものである。
母親譲りの蜂蜜色の髪と瞳、背は152cm程で女性のなかでも高くない。大きな瞳に、髪は膝くらいまでのふわふわである容姿から庇護欲を唆るみたいだ。
蓋開ければ、完全に武闘派な御令嬢なんだが。
「それでも、助かったよ」
「気配があまり感じなれなかったので、まずは西門の護衛を見に行ったのです。2人とも容態は落ち着いているようなので大丈夫かと。2人が重軽傷を負っているということは向かう先はここのみですから。」
「そうか。」
少し沈黙が流れる。隣から安心したような父の吐息が聞こてきた。我が家では貴族では珍しく騎士や使用人たちとの絆のようなものがある。もう1つの家族のような存在という感覚に近いのだと思っている。
気配を感じられないと思った私はまずは気配がないところに行った。そこに行くと、護衛が2人とも首を切られていた。すぐに近くのものに彼らを預けて、私だけ父の書斎に向かったのだった。2人とも幸いして、傷は浅かったことと発見が早かったことから一命を取り留めて、今は治療室でゆっくりと寝ているようだ。間者が入り2人が切りつけられたことから周辺の者たちは私が声を掛けるまで気が付かなったようだ。申し訳なそうに皆が言ってくれた。侯爵家の割には護衛が少ないと言え、それなりの人数を周辺には配置していたから間者の男もそこそこの腕前であったのであろう。
「男も捕らえたし、ラキは部屋に戻りなさい」
「わかったわ」
帰途に着き、自分の部屋にあるベットに全身を沈めこませる。天井はいつもの見慣れたものだ。
幼い頃から仄かな違和感というものがあった。
喉に鰻の骨が刺さって中々抜けないという感じのモヤモヤとしたものをずっと抱えて生きてきた。
世界にいるはずなのに、私が見えている世界は何処か膜が張られたような他人事のような感覚であった。
それは私に前世の記憶があったからだ。記憶というか無意識下で意識していたというべきだろう。
私は_僕は暗殺者だった。