* * 1 * *
お気に入りの出窓で陽射しを受けて微睡んでいた。遠くから聞こえるこの足音は確か、タケミヤのものだ。イオリの従兄弟だというから大目に見てるけど、そうじゃなかったら追っ払ってる。騒々しくなるのは解りきったことだから、僕は出窓で座り直した。くわっと大きな欠伸が出た。目をしぱしぱさせているうちにも足音はどんどん大きくなって、ほどなくガチャっと、ノブを廻す大きな音がした。
「尹織!!」
やっぱりタケミヤだ。声も大きい。耳を塞ぎたい。
「ノックぐらいしなよ」
ため息交じりにイオリが応じた。タケミヤは一度もノックなんてしたことないだろ。言ってもむだむだ。
「ごめん。それより、力を貸してくれ」
「今度はなにー?」
イオリがタケミヤに目もくれずに言う。それもそのはずイオリは、今朝からとある論文を読むのに夢中なのだ。僕の朝ごはんを忘れるくらい。
「被告が動機を言わないんだ」
イオリが顔を上げてタケミヤを見て、それから僕に視線を向けた。
「だって。ごめんね、せっかくのお昼寝の邪魔をして」
「タケミヤが来るのは解ってたし」
「え、そう?」
頷く。
「イオリには聞こえないだろうけど、タケミヤの足音はすぐに解る」
答えた僕にイオリが手を伸ばして、しっかりとその胸に抱えてくれた。タケミヤは勝手にインスタントコーヒーを入れてテーブルについていた。勝手知ったるナントカってやつだ。
「オレの分は?」
イオリがタケミヤに聞く。タケミヤは、へ? という顔をした。
「いやいやいや。自分の分だけ入れるとかなしでしょ」
イオリが言うとタケミヤは立ち上がってイオリの分を用意して。イオリはその間、僕をテーブルの上に降り立たせた。座ってタケミヤが戻るのを待つ。
「ありがと」
「どういたしまして」
イオリに応えたタケミヤは、バックパックからタブレット端末を取り出した。
「これだ。見てくれ」
画面を覗き込む。顔写真が八人分。イオリは一分くらいそれを見下ろしてから瞼を閉じて、なにやらぶつぶつ呟き始めた。やがて目を開けてもう一度ディスプレイを見下ろして。
「関係者ってこれだけ?」
「おう」
なぜだか自信満々に答えるタケミヤ。イオリはしゅしゅしゅしゅしゅっと素早くスワイプを繰り返した。そして。
「このひと」
かなり先に進んで「参考人」の画面に映ったひとりの女性の顔を指差した。
「主犯はこのひと」
「……は?」
「あ、そっか、主犯だけじゃだめだねえ」
同じ速さで元の画面に戻してイオリは、別な女性の顔写真を指差した。
「実行犯──現在の被告人はこのひとで間違いない?」
タケミヤは何も言わずにうなずいてから、タブレットをじいっと見下ろしている。
「それとこのひとも共犯」
最後に指差された老人を見て、タケミヤが叫んだ。
「待ってくれ、その爺さんは二人目の被害者で」
「知ってる。でも共犯」
「……嘘だろぉ」
タケミヤがため息をついた。イオリはもっと大きなため息をついた。
「被告が動機を言わないからって、事実関係の確認くらいできるでしょ?」
言いながらイオリは、タブレットの画面上で指を滑らせる。
「オレは別にいいよ、大した手間じゃないしさ。共犯者のうち一人が被害者だったって不思議じゃないでしょ。ちゃんと聴取してる? 丁寧に追えば、真相はすぐに解るでしょ?」
タケミヤは、ぐぬぬ、と唸った。
「……で。犯人が解るだけでいいの? 物証、見つかってないんでしょ?」
しぶしぶ、といった様子でタケミヤが頷いた。
「あー………………はいはい」
イオリが指を組む。口の中でまたぶつぶつ呟く。それから宙に両手で模様を描いた。テーブルを舞台に立体映像が浮かぶ。
「事件の夜を再現してる。終わったら自動的に次の事件の再現も始まるから。ちゃんと見て、必要ならメモしなね? 物証の在処を、って言うなら追わなくもないけど?」
タケミヤは立体映像に集中していた。イオリが肩を竦める。タケミヤが入れたコーヒーはそのままに、イオリは再び僕を抱き上げた。
「ごめんね、せっかくの魔法なのに、こんなことにしか使えなくて」
「いいよ。僕が契約したのはイオリで、そのイオリがいいと思うことに使ってるんだから」
*
僕とイオリが出会ったのは、秋になったばかりの冷たい雨が降る夜だった。
僕は雨の中、コンビニのゴミ箱の脇で途方に暮れていた。旅立ちの夜は新月という掟に従って僕は、ニンゲン界に降り立った訳だけど。まさかボスが指定した地域で、雨が降ってるなんて思わないじゃない? 降り立ってしまった以上は戻ることもできないから、早く契約者を探さなくちゃならなかった訳だけど──雨の夜では、そうそううまくいくはずも、なく。
そこに姿を現したのがイオリだった。
イオリは最初、ぬいぐるみかなにかもふもふしたものが落ちていると思ったようだった。僕に近づいてきて僕を見て──あの瞬間は、今でもはっきり、覚えている。
「わあ……猫ちゃん! どうしたの? 迷子?」
イオリは迷わずぐしゃどろの僕を抱き上げた。コンビニの大きな窓から漏れる明かりに照らされたイオリはずぶ濡れで、なのに瞳がきらきらと輝いていた。
一目惚れ──だった。
猫がニンゲンに一目惚れなんて、と思われるかもしれないけど、一目でイオリを気に入ってしまったのは事実だし、一目惚れ以上にしっくりくる表現がないんだから仕方がない。
契約者はこのひとにしよう、と、僕は勝手に決めた。みゃ、と小さく鳴くと、イオリはちょっと困ったような表情で、ちらっとコンビニを見た。
「……ペーストならもう食べられるかな? 身体のサイズ的には生後二か月とちょっとって感じだけど」
僕を抱えたままでイオリは自動ドアの前に立った。がーっと開いたドアの外から店員さんに声をかける。
「あの、すみません、迷子の猫ちゃんみたいなんですけど、そういう連絡とかあります?」
「いえ、特にないですね」
店員さんの声はちょっと面倒そうだ。
「あのあの、じゃあ、えっと、要らない箱もらえます?」
「箱?」
「この子が入れるくらいの」
イオリが僕を店員さんに示す。店員さんは手近にあったらしい箱をすぐに持ってきてくれた。イオリは受け取った箱のびらびらしたところから僕を中に押し込んだ。後から知ったけど、どうやらそれは、くじ引きのくじが入っていたものだったみたい。
「いい? 出ちゃだめだよ。キミのごはんを調達してくるから、ちょっとだけ待っててね」
びらびらのせいで外の様子は解らない。イオリの言葉を信じて待った。箱ごと持ち上げられた感覚があって、直後にイオリがやさしい声で。
「お待たせ。帰ろう」
不思議と、そうだ、帰ろう、という気持ちになった。十分くらいでイオリの小さなアパートに着いて、すぐにイオリはお風呂の準備をした。お風呂なんて勘弁してほしいと思ったけど、泥と雨に塗れた身体が綺麗になると、それはそれでさっぱりした。イオリは慎重に僕の身体をタオルで拭いて、ドライヤーで乾かして、それらがすっかり終わるとペースト状のごはんを盛ったお皿を目の前に置いてくれた。とっても美味しいそれはとりささみ味だ、とイオリは言った。満腹になってイオリを見上げると、イオリは濡れた服のままで、風邪を引いちゃうんじゃないかしらと考えた直後に、大きなくしゃみをした。
「……っと。オレも風呂入ろ」
僕の頭をくるっと撫でてからまた抱き上げられた。イオリは僕をふかふかのお布団の上に置いた。
「寒くないかな……」
もう一度僕を抱き上げて、今度はふかふかのお布団を少しまくり上げて、毛布の脇に僕を座らせた。それからイオリはぱたぱたとお風呂に向かい、ひとりになった僕はふわっと大きく欠伸をしてから横になった。あったかい。うとうとしているうちにどうやら眠ってしまったようで、次に気がついた時には隣からイオリの規則正しい呼吸が聞こえた。どうやらイオリは僕を胸に眠ってしまったようだ。もぞもぞとその顔の近くに移動した。ニンゲンの美醜はよく解らないけれど、しゅっとしたイオリの鼻先に、自分の鼻をくっつけた。少しイオリが顔を引いた。冷たかったかな。自分の鼻をしっかりとイオリの鼻先に押し付け直して、瞼を閉じて念じた。
『それでいいのか? 変更は受け付けないが?』
「いいよ。お願い」
ボスの問いかけに頷くと、鼻先がふわん、と温かくなった。うっすらと目を開けると、僕自身がきらきら光ってて、それがイオリにも伝染しているのが解る。どれくらいきらきらしていたのか──少しずつきらきらが薄くなって消えた。直後にイオリの瞼が震える。ゆっくり瞼を開いてイオリは、寝惚けたような目で僕を見た。
「起こしちゃった? ごめん。もうちょっと寝よう」
イオリは壊れ物を扱うような手つきで、自分の顔の前に座る僕を抱き寄せて頬ずりした。
「あー幸せ。オレ、黒猫飼うの、夢だったんだよね」
思わずにやけた。そうか、僕を見たイオリの瞳がきらきらして見えたのは、そういう理由があったのか。そのままイオリに身を寄せた。
「ふふ。くすぐったい」
イオリの呟きは幸せそうだ。あれ、そういえば、イオリに意思確認しなかったけど──まあいっか。黒猫飼うのが夢だったっていうんなら、魔法使いになったって構いやしないだろう、きっと。