第三章13 『薄れた過去』
「アリシア、それ……」
「え? どうしたんですか?」
「いや、涙……」
そう言うとアリシアは初めて涙を流している事に気づいたみたいだった。何度か拭っても目から涙が止まらないみたいで、無自覚に涙を流している事に自分でも驚いた様子。
「あれ、私、何で涙なんか……」
何度も何度も涙を拭う。でも思いとは裏腹に涙は流れ続けた。
ここがアリシアにとって何か関わりのある場所って言うのだろうか。でもここは《深淵の洞窟》で《嫉妬の邪竜》との関わりはないように思える。
これはアルの感覚が麻痺してるだけかもしれないけど、洞窟の中に遺跡があるのも大罪と絡めるのなら違和感がない気もする。
この遺跡には何かが隠されている。直感だけど、そう思う事が出来た。まだその何かって言うのは分からない訳だけど。
アリシアにとってここが何か特別な場所であった事は当たってるだろう。
なら《嫉妬の邪竜》の物語としても何か関係があるはずだ。どんな物かなんて分からない。けど、何かしらの関係が――――。
「アリシア」
名前を呼ぶと体をピクリと震わせた。
ここ最近は《深淵の洞窟》に集中していたせいで全く聞けなかったけど、今こそがソレを聞く絶好の機会。そう思ったからこそアルは問いかけた。
「過去に、何があったんだ」
するとゆっくりこっちを向いてはまだ涙ぐんだ瞳で見つめて来る。もしかしたら彼女はまだ完全にはアルの事を信頼しきれていないのかもしれない。でも、それでも聞きたかった。
アリシアを救うって目標を達成したからって過去を放ったらかしにしていた。《深淵の洞窟》に行けば転生した理由が分かるかもって、そう言われたからこそアリシアの事をそのままにしてしまっていた。……それなのにアリシアは答えてくれる。
「……前に大切な人を救おうとしたって話はしましたよね」
「ああ。救おうとしたけど救えなかった。そうだよな」
そう言うとアリシアは頷く。
最初はまだ抵抗があると思っていたのだけど、それでもアリシアは何一つ嫌な表情もせずに話し出してくれる。
「私は、最初は普通の女の子だったんです。魔法も普通にしか使えない、ごく普通の女の子。当時は別に黒魔術を使えてたわけじゃないんです」
「…………」
「ですけどある日、一人の男の子と出会いました。……黒髪で、逆立った髪に、ちょっとだけ童顔の男の子」
その特徴に既視感を覚えた。だって、黒髪以外がアルと全く一緒だったのだから。
だからその少年に妙な感覚を抱きつつも話を聞き続ける。でも、それはアルの思っていたよりも明るく、幸せで、そして儚い物語で。
「その男の子は魔術学院で目立った魔法も使えない私を気にかけてくれて、一緒に魔術が使える様にって特訓にも付き合ってくれたんです。自分自身が魔法さえも使えないのに。心からの善意で」
そう話しているとアリシアは胸の前で手を握り締める。きっと、思い出すだけでも辛い思い出のはずだ。その子を好きになればなるほど、死んだ時に物凄い衝撃を受けただろうから。
やがてアリシアの声は絞り出すかの様な声に変わっていく。だからその声を聞いて奥歯を噛みしめた。共感……とまでは行かなくともその気持ちを理解する事が出来るから。
「最初は私から否定してました。でもその子は「誰もが対等でいて欲しい」って、特に突き抜けた才能があった訳でもないのに、私に魔術のやり方を教えてくれたんです。そうしている内に私はその子の事を意識し始めました」
「…………」
「彼は貴族という訳でもなければ強い訳でもなく、成績も実力も全てが中途半端に留まった普通の男の子。……でも、誰よりも意志が強かったんです」
アルと似ている。魔法が使えなくて、特に飛び抜けた才能も無くて、それでも他人を思いやれる、そんな人間。……何か最後は自分で言ったら余計違和感がある気がする。
かなり省略しているのか、それともあまり思い出したくないのか。話は途切れ途切れで綴られていった。
「それから数週間後です。全てが狂い始めたのは。最初は貴族によるいじめだったのですけど、それは次第と過激になっていきました。……仕方のない事なんです。魔法が使えない人間は基本的に貶められる。それが、当時のルールみたいあ物ですから」
「ああ。今はいじめはよくないってなってるけど、遥か昔はそう言う規制はなかったんだろ?」
「はい。ですからいじめは過激になっていき、最終的に、彼は――――」
その先は言わなくても理解出来た。だから何か言葉を探したのだけど、その瞬間に大きな地鳴りが二人を襲って探した言葉を掻き消した。
かなりデカい。普通ならガラスが割れるくらいだろうか。
崩壊するかも知れない。そう思ったからこそアリシアはすぐにアルへ抱き着いてはバリアを展開させた。
「地震!? それもでかっ!?」
「アル!!」
けれど構造がしっかりしていたおかげだろう。特に崩壊もせずに収まればアルから離れて天井を見上げた。ちょっとした破片も落ちないって結構頑丈なのだろうか。
やがて少しだけ離れると遺跡の丈夫さに安心しつつも今の地震について言及する。
「……今思ったけどここら辺ってプレートとかどうなってるんだろうな」
「それはともかく、今のは普通の地震じゃなくて前みたいに爆発とかが原因で起った地鳴りだと思います。似たような感じでしたし」
「分かるの?」
「それっぽいのは」
アリシアの言葉で少し考える。もっと下にいる攻略者達が引き起こしたのだろうか。可能性とすればそれが一番考えやすい。
他の可能性としては――――それ程の魔物が現れたとか。
でも今の地鳴りは前に大罪教徒の引き起こした物と似ていたってアリシアが言っていたし、いくら上級と言えどそんな事可能なのだろうか。大罪教徒でもないのに――――。
「大罪教徒……」
「えっ?」
「大罪教徒、って可能性はどうだろう」
直感でそう思う。根拠も確信も何もないけど、それでもそう思う事が出来た。
けれどそれこそあり得ない事だ。それは分かってる。だからこそアリシアはアルの言葉を聞いた直後からその説の否定を始めた。
「そんなのあり得ないです! だってこの洞窟は一つしか入口がない上に必ず人目に付くんですよ! それなのに奴らがここにいる訳が――――」
「でも、もしその説で行くなら本拠地が見つからないのも説明が付くんじゃないか? それに奴らは黒魔術を使えた。前みたいに転移を駆使すれば洞窟の中から直接外に出る事だって不可能じゃないはずだ」
「それは……まぁ、可能性としてはありますけど……」
黒魔術は本当の魔法。だからこそ何を引き起こしたって不思議じゃない。だから、もし《深淵の洞窟》の最下層が奴らの本拠地だとしたなら、今まで見つからなかった説明が付くんじゃないか。そう思ったのだ。
アリシアもその可能性は否定しきれずに口ごもる。
これは流石にこじつげが過ぎるかも知れない。でも、仮にここが大罪教徒の本拠地だとするなら何かしらの大罪と関わりがあるのではないか。現にアリシアもこの遺跡を見て過去の事を思い出していたみたいだし。
だからこそ問いかけた。
「アリシア」
「はい?」
「――ここって、アリシアにとってどんな場所なんだ」
すると体を少しだけ震わせる。
涙とかを自覚していなかった辺り直接的な関係はないはずだ。でも、この遺跡を見て反応するって事はアリシアの過去に何かしらの繋がりはあってもおかしくない。
地鳴りのせいで話題が大きく逸らされたけど、アルは方向を修正すると話を続けた。
「例の男の子は貴族って訳でもないんだろ? だからこんな遺跡に留まるとは思えない」
彼が貴族ならお城に住んでいたっておかしくない。そしてアリシアがその子の事を好きならここが大切な場所って線も理解出来る。でも貴族じゃないなら尚更こんなところとは無縁のはずだ。
そう質問するとアリシアはゆっくりだけど答えてくれる。けどそれは曖昧な言葉で。
「……私にもよく分からないんです」
「え?」
「ここを見たのは初めてなはずなんですけど、何故か懐かしさを感じてしまうんです。楽しくて、辛くて、悲しくて、嬉しくて。ここを見てるとそんな感情が込み上げて来る。……微塵も、覚えてないはずなのに」
その言葉に黙り込む。覚えてないのに感じる懐かしさ。そんな事、本当にあるのだろうか。アニメやラノベじゃよくある事だけど、実際にそんなフィクションめいた現象が――――。
違う。実際に起ってるから言ってるんじゃないのか。
だとしたらここはアリシアにとって大切な場所でもあって、何か鍵になる様な場所でもあるはず。それが何なのかは分からないけれど。
「それと、物凄い悔しさも」
そう言って胸の前で服ごと拳を握った。
根拠のない確信って奴だろうか。アルはそう言う現象に陥った事がないからよく分からないけど、きっと凄いもどかしい物のはずだ。
何て言えばいいのか分からない。過去が分からないのだから適切な言葉なんて見当たらないし、記憶がない事もそれっぽい言葉も言えなかった。
物凄い悔しさって事は大切な人が奪われたとかそういう記憶なのだろうけど、例の男の子はさっきの話でまだ覚えている事が確定している。だからその子じゃない事は確定。きっと他の何かがあるはずだ。
ならその他は何なのだろう。
「微塵も覚えてないのか?」
「……はい」
今のアリシアが嘘を付くとは思えない。だから本当に覚えていないんだろう。
彼女が覚えていないのなら記憶の確かめようがないし、大罪としての物語から見ても結論は得られないはずだ。八方塞がりに近い何かを感じて考え込む。
……アリシアの過去を知りたい。じゃなきゃ完全には彼女を理解出来ないだろうから。でも転生した理由も知りたくて、《深淵の洞窟》の真実も知りたくて。
どれから消化していけばいいのだろう。いったい、どれをやりたいんだろう。そう考えれば考える程混乱していった。
だからこそアルは半ば強制的に今は何をすべきなのかを決めた。
「……アル?」
「この遺跡を見て回ろう。もしかしたら何か分かるかも知れない」
そうしてアリシアから心配そうな視線が向けられる中、アルは遺跡の奥に足を踏み入れた。これで不明瞭な記憶が分かるのならアリシアをより理解出来るし、もしかしたら他の事も分かるかも知れないから。
故にアルは転生の理由を一時的に切り捨てて遺跡に集中した。
未だ、迷いは断ち切れないまま。




