第二章46 『邪竜』
突如目の前に現れた漆黒の竜。それを見た瞬間にアルはあまりの驚愕に腰を抜かす事となった。だってそれが漆黒の鱗を持ち、棘のついた尻尾を生やし、蒼色の瞳をしていたのだから。
神器の深層意識で出て来た竜にそっくりで、そして――――本に出て来た《嫉妬の邪竜》その物だった。特徴が完全に一致している事に驚愕しながらもそれがアリシアの変身した姿だとは信じられずに問いかけた。
けれど返って来た声で更に驚愕する事となり。
「あ、アリシア、なのか……?」
「……はい」
「――――っ!?」
神器の中にいた竜と全く同じ声。それを聞いた瞬間に確信した。あの竜はアリシアで、アリシアは竜なんだって。
最終的には憶測通りであった。それも恐ろしいくらいにピッタリと。
目の前に竜が――――いや、かの大罪である《嫉妬の邪竜》が現れた事に対してルシエラは驚愕するのかと思ったけど、驚いた様な表情は浮かべず逆に微笑んで見せる。
「ようやく本性を現しましたね。これで確信が取れたって物です」
「え? お前、気づいてたのか……?」
「もちろんですとも。こうして姿を現してしまった以上、隠す事もないし言いましょうか。……私達大罪教徒の目的は“神器に封印された《嫉妬の邪竜》を奪う事”なんですよ」
「――――」
その言葉を聞いて戦慄する。
何で奴らは一番最初からアリシアが《嫉妬の邪竜》だと知っていたんだ。それだけじゃない。となると奴らは元からアリシアがあの洞窟にいる事を知っていて、だからこそ森の中に大罪教徒が蔓延っていたのか――――? いや、でもそれだと何十年も森に入る意味がないしゴキブリみたいな奴らならすぐに見つけるはずだ。
……アリシアは《嫉妬の邪竜》であった。その真実は未だに認識できない。いや、十分に考え着いていた可能性なのだけど、それでもいざこうして真実となるとやっぱり驚愕してしまう。
でも、アリシアが大罪だと言う事は少なくとも二千年も前に大罪となったという事で、それまでの間ずっと生きて来たという事にもなる。世界を巻き込んだ《世界衝突》の時でさえも。
――今まで正体を話そうとしなかったのは、そう言う事なんだ。そりゃ、自分が《大罪》の一人だなんてなれば話したくなくて当然か。
隠されて来た真実。それを真に受けて何度も戦慄する。
記憶を見られる事を拒絶したのも、自分から話そうとしても話せなかったのも、全部それが影響してるからだったんだ。つまりアリシアはずっと自己矛盾を抱えて何百年も何千年も生きて来た訳で。
アルよりも遥かに長い時間を過ごして来た。それも自己矛盾を抱えたまま。
なら、今アルが言うべき言葉は――――。
「アリシア!!」
すると動き始めていた体がピクリと停止する。そうしてこっちを見た。
きっと色んな事を考えているはず。それもアル以上に。大罪だと知られてしまった以上みんなはアリシアの事を拒絶して蔑むと考えているんだろう。瞳からは悲観にも似た物が伝わって来る。……同じ立場だったらきっとアルもそう考えてるだろう。
だからこそ言わなきゃいけなかった。
「大丈夫だ」
「――――!!」
その言葉を聞いた瞬間から蒼色の瞳は驚愕したみたいに小さくなる。救いがない痛みは知っていた。だからこそアルとアリシアは英雄に憧れ、誰かを救いたいと願った。――だから、互いの願いは似ているんだ。規模が違うだけで境遇は全く一緒。
今、アリシアの気持ちを受け止めてあげられるのはアルしかいない。なら精一杯受け取めてあげなきゃ、いつアリシアが救われるというのか。
「……今、終わらせます」
そう言うとルシエラと真正面から睨み合った。でも彼はアリシアを連れ去る算段があるからこそああやって余裕そうな表情を浮かべているはず。それをどうするのだろう。
考えているとアリシアは浮かび上がってルシエラへ思いっきりブレスを吐き出した。けれどルシエラもすぐに浮き上がると回避しては浮遊した。するとノエルが近くで他の竜と戦闘をする中でもそれ以上に激しい戦闘が繰り広げられる。そんな光景をただ見つめていた。
――大罪、か。
同じ立場だったらとは言ってもそう容易に想像できることではない。大罪は世界に叛逆した最低最悪の悪党なのだ。その言葉を軽々しく口にしただけでもしばらくは嫌われる程の影響力を持っている。
そんな業を背負い何千年も生きていたのだとしたら――――。
想像程度じゃアリシアに共感する事なんで出来ない。だからと言って境遇が似てるからという理由だけでも共感には遠く及ばない。
だからこそ今のアルに出来るのはアリシアの感情を受け入れ事しかないのだ。
今までの言動全てに納得がいく。《嫉妬》は大切な人を奪われた恨みで世界を壊した。でも、それが大切な人を取り戻そうとしたという捉え方だったらどうだろう。その過程で、“救おうと望み過ぎて全てが崩壊した”のだとしたら。
……森での異変の時、アリシアが問いかけた言葉の重みをようやく理解する。
アルと比べてしまえば途轍もない程に傾いてしまう重さ。でもアリシアは実際にそんな事が起きて、だからこそ大罪として認識されたんだ。
大切な人を助けたかった。その気持ちに嘘はない。でも、その行動は誰からも理解される事は無い。きっとアリシアが一緒にいてくれたのはそんな過去があったからだろう。同情でも慰めでも何でもない。もう二度と同じ道を歩んでほしくないと、境遇が似ていたからこそ優しさだけで一緒にいてくれた。
――アリシア。大丈夫だよな……。
この後の彼女の行動は大体が目に見えている。いくらアル達を守るためだとはいえ、今まで一度も話せかった事実を自らアル以外にも見せてしまっているのだ。きっと物凄く塞ぎ込むだろう。
なら、アルがその心を優しく溶かしてあげなきゃいけない。
今までアリシアがしてくれた様に、今度はアルが助ける番なんだ。
空中ではアリシアとルシエラは互角に渡り合い、驚愕する事にかの大罪と同等の強さを誇っていた。まぁ、相手はアリシアに勝てる算段があったからこそああして姿を現しているのだろうし、戦う覚悟だって出来ていたはずだ。
ただ不安なのはこんまま勝てるのかという事。《大罪》の力を出してまで互角って事は互いに負ける可能性があるって事だ。だからアリシアには負けて欲しくないと必死に願った。
そうしているとクリフが起き上がって来て。
「アリシアが大罪って、嘘だろ……」
「紛れもない事実だ。アリシアは《嫉妬の邪竜》であって、世界に叛逆した咎人」
「なぁ、どうしてアルはそんなにも平然としてられるんだ。だって大罪だぞ!? 世界を滅ぼした大悪党なんだぞ!?」
「――――」
そりゃ、そんな反応になるのが当然だ。逆に言えばアルは常に異常って事にもなる。今までずっと信頼して来た仲間が大罪だった。それは仲間に対して最大級の裏切りだ。普通なら絶対に何が何でもありえない事なのだけど、それでも今実際に起っている事だから。
焦って当然。疑ったって当然。どうしてアルが平然としていられるのか。それは――――。
「アリシアを信じてるから」
「…………」
もしかしたらこの言葉で全員と決別するかも知れない。大罪を信じるって事は、大量虐殺快楽殺人鬼を信じると言っているような物なのだから。地球でそんな事を言えば周囲から異常だと思われる様にこの世界でも同じ現象が起こる。
大罪を信じる――――いや、抵抗がない人でさえもこの世界じゃ犯罪者予備軍となり、酷い時なんか体を火球で焼かれるらしい。大罪に抵抗がないだけでもそれだけの罰を与えられる世界だ。
それなのにアルはアリシアを信じると――――人が最も罪を犯しやすい大罪である《嫉妬の邪竜》を“信じる”と言った。もしこの言葉が王国や街の人々の耳に入ったら間違いなく公開処刑されるだろう。この言葉は、それくらいの危険度を秘めている。
クリフは表情を伏せたまま小さく言って。
「……そうか」
そうやって話しているといつの間にかもう一匹の竜を倒したノエルが戻ってきていて、アルの隣に並ぶなりアリシアを見て大きく息を吐いた。
やがてその状況を見ただけで状況を察して見せる。
「なるほど。アリシアは《嫉妬の邪竜》だったって訳ね」
「察するの早っ!?」
「そりゃ《大罪世代》だもの。何千年も生きてれば予想外の事なんて沢山ある」
さり気なく経験の差を見せつけながらもアリシアを見つめていた。同等に黒魔術を使うルシエラに対し、それ以上の黒魔術をぶつけようとアリシアは全力以上の一撃を叩き込み続ける。けれどルシエラは倒れるどころか次第と反応速度を加速させてアリシアに抵抗していった。
「……厳しそうね」
「アリシアは俺達に被害が及ばない様に力を抑えながらも抑えた状態での全力を使ってる。だから本来の力が発揮できないんだ」
アルがそう言うとみんなが反応して見せる。
《嫉妬の邪竜》の力は世界すらも上書きを出来る程の黒魔術だ。つまり本当に本気を出してしまえばアル達は一瞬で消滅しかねない。だからこそアリシアは力を抑えたまま戦っている。
「じゃ、じゃあ今すぐ離れねぇと……!」
「それも無理ね。周囲を見てみなさい」
「周囲って……? ――――っ!?」
横に並んだアリスの言葉を聞いてクリフは周囲を見渡し、そして驚愕した。いつの間にか周囲を囲んでいた数十……いや、場合によれば数百もの白装束がいたのだから。
でも攻撃してこない所を見るにただ囲んでいる様子。
「疲弊した現状じゃ数百もの数を同時に相手にするのは無理よ。襲って来るのなら仕方ないけど、襲って来ないんじゃここに留まるしかない」
「そんなっ。それじゃあ空を飛べばいいじゃねぇか!」
「空を飛べば必ず奴らに撃ち落とされる。無理やり突破しようにもあの数に勝てる?」
「それは……っ」
アリスの問いかけに喉を詰まらせる。
いくら精霊術が使えるアリスとノエルでも数百もの白装束を相手にするのは流石に無理と判断したのだろう。まぁ、白装束は黒装束も数十倍は強い上にあれだけの数がいるのだから、そう言う判断になっても仕方ないとは思うけれど。
やがてクリフは現状を見てここに留まる事を決める。
「今はここに留まるしかない。それも私達の為でもあって、アリシアの為でもある」
「……分かった」
アリシアもそんな状況を知ってか知らずか、早くルシエラを倒そうと焦っているように見えた。けれどルシエラには攻撃は一発も当たらずに苦戦を強いられる。
いくら邪竜の姿を解放したとは言っても力を抑えた状況じゃ……。
「――いや。まだ手はある」
ふと神器を見つめた。
仮に一瞬。僅かな刹那でも黒魔術を使用する事が出来るのなら、可能性はあるのではないか。それこそ博打となってしまう訳だけど。
アルはみんなに向くと言った。
「俺なら、道を切り開けるかも知れない」




