第二章45 『限界なんて知らない』
森の中で激しい土埃が舞ったかと思えば即死の威力を秘めたレーザーが放たれる。……本当に現実で起きている事なのだろうか。使用者でもあるアリシアでさえもそう思う程の激戦だった。
黒魔術こそが正真正銘の魔法。だからこそ物理法則なんて無視してあり得ない事を起こす事が可能だ。でも、その代償はあまりにも大きくて。
「っ……!」
体が何かに蝕まれる。
黒魔術は本来、血肉を媒体として世界に干渉し、物理法則を無視して様々な現象を引き起こす事が出来る魔法の総称だ。アリシアの場合はアルやルシエラ、そしてアリスとクリフの流した血を媒体として黒魔術を引き起こしている。
でも、大きな力には代償も伴うのだ。力その物が世界から与えられた祝福と言うのなら代償は呪いみたいな物だろうか。
――懐かしいな、この感覚……。
ふと脳裏でそう呟いた。本当に懐かしい感覚だ。そして、もう二度と思い返したくないと願った感覚でもある。
歯を食いしばりながらも過去の記憶を引き連れて来る激痛に必死になって耐えた。黒魔術を使っている限り同じ痛みがルシエラにも訪れているはずなのだけど、彼は苦しそうな表情は微塵もせずに如何にも平気そうな顔で戦っていた。
「辛そうな顔をしていますが?」
「そうしら。気のせいじゃないの?」
ルシエラの挑発的な言葉にそう返しながらもひたすらに即死の威力を秘めた攻撃を撃ち込む。黒魔術から生まれる攻撃は全てが即死級で、例え小さな火だとしても触れれば指先が解け落ちる様な火力を秘めている。
そんな攻撃を撃ち出している内に肉体が侵食されていくのと同時に精神も侵食されていく感覚が訪れた。
……次第と過去の自分に戻っている。そんな気がして止まない。
肉体は代償で蝕まれ、精神は記憶で蝕まれていた。きっと蘇る過去の記憶が今の自分を食らおうとしてるんだ。そうじゃなきゃ奴には勝てないと、反射的に。
でもしっかりと意識を保ちつつ戦い続けた。きっと過去の自分に戻ってしまえば、ここにいる全ての人が死んでしまうだろうから。大切な人なアルでさえも。
そんな可能性があっても黒魔術を使い続ける。本気のルシエラを相手にするのならこっちも本気を出さなきゃ絶対に勝てないし、そもそもそこまでやっても勝てない可能性もあるのだ。そして勝てなきゃアリシアは連れ去られてしまう。そうなればアルは全力で追いかけて来るだろう。あんな性格をしているルシエラが対抗策として罠を設置しないなんてことはあり得ない。
だから、最終的にはアルが死んでしまう可能性が高いのだ。
死ぬかもしれないのに助けに入る。それがアルっていう人間なのだから。
――っ! そろそろ限界が……!!
ふと右肩に激痛が走った。これ以上やれば流石にアリシアとは言え食らい尽くされるかもしれない。自分が死ぬ代わりにルシエラを倒すか、みんなが死ぬ代わりにルシエラを倒すか――――。そんなの前者に決まってる。
けれど強烈な一撃を腹に受けて大きく吹き飛んで。
「ぐっ!?」
「おっと。……そろそろ限界みたいですね。まぁ、対策も無しにそこまで戦えるのは凄いですよ。正直に驚愕します」
地面に激突して巨大な土埃を立てると即座に起き上がって視界をよくする。確かに、対策も無しに黒魔術を使うのは自殺行為にも等しい。
アルやアリシアに出現した黒い紋様。それは対策をしていない――――詳しく言うと力を抑えていない証拠とも言える。黒魔術と言うのはあまりにも強力だ。全力で発動すればデコピン一つでも国を滅ぼしかねない程に。
『大きな力には代償が伴う』。
その言葉通り黒魔術は全力で使えば使う程それに比例して代償が体を蝕む。アリシアの場合常に全力解放している訳で、それに比例して途轍もない速度で体を蝕んで行った。だからこそ最終的に吐血して大きく怯んだ。
それを見たクリフが駆け寄ろうとするも一瞬で移動して来たルシエラを見て立ち止まった。
「黒魔術は本物の魔法……。ですが、相手を強制的に眠らせる魔法がない事が残念ですね。それが可能ならこんな事もしなくて済むのに」
「……ホント。それさえあればあんたも軽く捻れるのに」
口遣いが次第と悪くなる中で更に黒魔術を使用しようと集中した。
既に黒魔術を使った時間はアルよりも遥かに多いだろう。だからこそアルじゃ耐えられなかった代償にも耐えて来たのだけど、既にもう体はボロボロ。何も対策せずに使えば今度こそ死に至るだろう。けれど使わなければルシエラは倒せない。
――もう、あれしか。でも……!
手段はない訳じゃない。だけどえらくハイリスクな賭けになってしまうし、もしかしたらみんなに絶望されるかも知れない。
けれど助かる道はもうそれしかないのも事実。
――またあの目を向けられるのは嫌っ……!
使おうとした瞬間から脳裏に蘇った過去の記憶。それに反応して切り札を使うのを躊躇ってしまい、その隙をルシエラが付こうと錫杖を振り上げていた。
その光景をアリシアはただ見ている事しか出来なくて。
一瞬の迷いが本当の死を実感させた。
離れた所じゃクリフとアリスも走り出しているけど、到底間に合うような距離なんかじゃない。だから振り下ろされる錫杖を見つめていると目の前に閃光が走った。
それによってルシエラは距離を取りある方角を見つめる。釣られる様にアリシアも視線の先を追うと、彼が立っているのが視界の真ん中に映って。
「あ……」
――アルが立っていた。黒魔術を使った代償で体なんて動かないはずなのに、内側はもちろん外側もボロボロなはずなのに、それでもそこに立っていた。
また、黒魔術を使って。
「正気じゃない……。そんな満身創痍で黒魔術を使うだなんて、何を考えてるんですか」
「アル……。馬鹿野郎……!」
ルシエラもその姿に驚愕を通り越して動揺していた。もちろんアリシアだって。
クリフは立ち上がったアルを見て瞳に涙を浮かべながらもそう呟いた。
もう黒魔術を使わせないように一時的にでも神器との契約を切り離したのに、どうして戻ってきてしまうのだろう。これ以上やったら死んでしまうとアル自身も認識しているはずだ。それなのに何で――――。
その答えはすぐに解が出される。
「……諦めない」
「は――――?」
「絶対に、諦めてたまるか!!」
血を流し尚も立ち上がる。
ああ、そうだった。アルは自分が死にそうになっても助けに来ちゃうような、馬鹿みたいに優しい人だった。実際前だってボロボロになり戦う事が軌跡なのに、そこから更に打ちのめされ絶望して、絶対に立ち上がれるはずがないのに根性だけで立ち上がる。
それがアルという……アルフォードという人間。
「俺は……!!」
前のめりになりつつも杖にしていた神器を高く振りかざす。不格好ながらも神器を構えると瞳を薄く光らせ、顔が動く度に尾を引きながらも真紅の瞳がルシエラを捉えた。
「――英雄になるんだッ!!!」
瞬間、神器から眩い程の花弁が舞った。赤いペチュニアは周囲を照らしては使用者であるアルでさえも明るく照らして影を消飛ばして見せた。
絶望的な状況の中で生まれた希望。それは途轍もない強さを持って闇を切り裂く。
両手で振りかぶりながらも神速で体を撃ち出すと刹那よりも早く移動し、動揺したままのルシエラに向かって全力以上の力で刃を叩き込んだ。
「っ!?」
「らああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!!!」
けれどルシエラの体は神器と真意の威力を持ってしてでも斬り裂く事は出来ず、地面に叩きつける形でダメージを与える事になった。その衝撃で周囲の地面が大いに盛り上がる。
巨大な土埃が空高く舞うと空中で戦っていたノエルでさえもその戦闘に支障をきたした。
全力以上の力で叩き込んだ一撃。それを真正面から食らわせたアルは激しい息切れを起こすのだけど、目の前に広がった霧に気づいては即座に距離を離そうとして。
「――――は!?」
「アル!!!」
全力で飛び出してはアルの体を抱きしめて撃ち出されたレーザーを回避させた。あれだけの攻撃を食らってまだ意識があるだなんて、本当の本当に化け物だ。
やがて袈裟斬りの傷を修復させずに起き上がるとこっちを見る。
「これは……一本取られましたね……」
「嘘だろ。あそこまでして、まだ意識があるのか……!?」
「本当に化け物、ですね」
真意で攻撃されると傷が回復されないのだろう。だからこそ傷を回復させないまま二人を見つめていた。
アルは既に限界を出しきった。その証拠として黒魔術は解除されているし、まだ息を荒げている。いくら強いとはいえ精霊術じゃ黒魔術に敵わないし物理攻撃も意味はない。だから、この中で戦えるのだとするならアリシアだけ。
しかし、アリシア自身も限界を迎えていて。
「終わりにしましょう」
――もうやるしか。でも、あの顔が……っ。
声が。顔が。眼が。頭の中から消えてくれない。一種のトラウマでもある記憶を抱えたまま力を解放するのは絶対に無理だろう。それすらも「ちっぽけだ」と思えるような一つがない限り――――。
そんな選択から逃れるかのようにアルへ視線を向ける。すると純粋無垢で何一つ曇りのない瞳がアリシアの瞳を捉えた。過去に囚われ迷い果てた霧だらけの瞳を。
――そうだ。……そうだった。
そのおかげで冷静さを取り戻す。
死は直前まで迫っている。当然落ち着いている余裕なんてない。本来はもっと焦らなければいけない場面だし。それでもアルの瞳は互いに交錯するだけで冷静さを取り戻してくれた。
何を焦っていたんだろう。「ちっぽけだ」と思えるような物なら、既に目の前にあるというのに。
――アルを失う事に比べたら、こんな心傷、どうって事ない。
ふと口元に微笑みが浮かぶ。おかしいだろって自分でも思った。こんな状況で微笑みが浮かぶだなんて明らかに異常だから。……いや、元々異常なんだ。だからこそこうしてアルを見ただけでも冷静さを取り戻し、決断する事が出来る。
「アル、少し下がっていてください」
「え? でも、そしたらアリシアが――――」
「大丈夫。私がいますから!」
「……!!」
アルに向けた明るい笑顔。それを見た途端に面を食らった表情をしてその笑顔を見つめた。
もう大丈夫。今は守りたい物を守って、救いたい人を救うだけ。全て純真で貫き通せばきっとその先に道は見えるはずだ。
ルシエラの前に立ち塞がると、表情の変わったアリシアに反応して見せた。
「何か覚悟が決まった顔ですね」
「ええ。――私はもう、何も迷わない」
服ごと胸の前で拳を握りしめる。
迷わないとは言っても恐怖が無くなった訳じゃない。まだまだ怖い事は沢山あるし、きっとこれが終わった後にアリシアは自分で行った行動に絶望する事になるだろう。それが嫌だったからこそこの力を拒んでいた。
……正直、これだけは絶対に使いたくなかった。これを使うと過去の自分に戻った気がして、気がくるってしまいそうだから。でも、そんなのアルを失う事に比べてしまえば息をする事よりもちっぽけな事だから。
「私の全力、見せてあげる」
すると周囲には黒魔術を全力使用している証でもある薄赤い光が立ち込めた。それらはアリシアの周囲を旋回すると次第と体を囲んで行った。
やがて体に変化が訪れる。
――黒魔術の禁忌に触れた代償。かつて封印したソレを意図的に解いているのだ。
皮膚からは黒い鱗が生成されて醜い姿へと変形していく。それと同時に薄赤い光は完全にアリシアを閉じ込め、次の瞬間には巨大な円となって弾け飛んだ。
そして現れた姿を見てアルは驚愕する。
「え――――?」
そりゃそうだろう。
だって目の前に現れたのは、漆黒の竜だったのだから。




