第二章44 『憶測と決断』
アルの体が大きく跳ね上がった途端、虚ろな目をしたまま力なくアリシアの腕に身を委ねた。だからそれを見た瞬間にクリフは叫ぶのだけど、今は無理やりにでも彼女を納得させるしか無くて。
「アリシア、お前何した!?」
「強制的にですけど黒魔術を解除させました。これで代償を支払い続ける心配もなくなったはず……」
そうして気絶したアルをクリフに預けるすぐに立ち上がって神器を握った。
けれど彼女は気づく。アリシアが強く奥歯を噛みしめていた事に。だからクリフは問いかけて来るのだけど、アリシアは何も答えずに前を睨んだ。
「アリシア……」
「アルをお願いします。あいつは私がやっつける」
音が出るくらいに神器の柄を握り締める。
……正直、アルには使ってほしくなんて無かった。“こうなる事は分かっていた”し、黒魔術を使う可能性だって十分に考え着いていた。でも、まさか本当にこうなるだなんて。
感の良いアリスは既に気づいているみたいだった。
「ちゃんと、説明してくれるのよね」
「……元から話そうとしてた事ですから」
そう言うとアリシアは表情を伏せながらも前へ歩き出た。
アルに話そう。――一体、何度そう思っては話せなかっただろうか。助けられたいのに話せない。そんな矛盾を抱えて今までずっとアルと一緒にいた。
アルだって聞きたかったはずだ。アリシアの過去。真実。だけどそれを話せずにいた。それだけで彼がどれだけ優しい心の持ち主なのかが伺える。
傷つく事の痛みを知っているからこそ傷つけたくはない。例え話してなかったとしてもそんな心の声は常に聞こえていた。それが神器を介していないものだとしても。
やがてアルの背中にクリフは話しかけて。
「アリシア。戻って来なきゃ許さねぇぞ。アルの隣にいるべきなのは、お前だ」
「……分かった」
アルの隣にいる資格なんてない。そんな言葉を押し殺しながらも前へ歩いた。仮にアルの隣にいる資格があるとするなら、それこそクリフの様な人の方が最も似合っているはずだ。素直で、やんちゃで、甘えん坊なクリフこそが。
唯一信頼できる人のクセに過去を話す事は出来ない。そんなアリシアに彼のとなりにいる資格だなんてないだろう。
……それでも、そうだったとしても、諦めたくない。
ようやく見つけた大事な人だから。命を賭けてでも護りたいと、本気で思える人だから。
「全く、複製体作るのも苦労するんですよ?」
「そんなのは全く知らない。――掛かって来なさい」
その言葉遣いにクリフは少しだけ驚いていた。そりゃそうだろう。いつも明るい表情で敬語を使っているのに、瞳に殺意を灯らせながらも低いトーンでそんな事を言えば驚いて当然だ。自分でも分かる。今はいつも通りの自分なんじゃないって。
一言で言うのなら――――過去の自分だろうか。
そう言うとルシエラは引きつらせた笑みを見せて楽しそうに言った。
「……いいでしょう。そろそろ幕を下ろしましょうか」
今、自分にどんな感情が宿っているかも、どんな表情をしているのかも、どんな事を考えているのかも分からない。感じるのは真っ白な世界の中に漂う「ああ、また失うのか」という予兆だけ。いや、もしかしたら諦観なのかも知れない。
アリシアは翡翠色の瞳でルシエラを睨むと力を解放した。
「この力ってまさか!?」
「アリシア、あなた……」
周囲に薄赤い光が立ち込めては周囲に飛び散った血が黒い霧に変わっていく。それは神器を構えるアリシアの周囲で旋回するとアリシアが使用者なんだと証明してみせた。
そして何よりも確定付けていたのが顔の右半分に現れた黒い紋様で。
「ここからは全身全霊。――地獄があんたの行先よ」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
深い深い意識の底。誰の意識かも、どんな世界なのかも、全く知らない所へと放り投げられたアルが見た先は見慣れた光景だった。
魔鉱石に囲まれた空間に、一匹の竜――――。
「あれ。確かさっきまで外にいて、それで……」
そうして思い出そうとするも竜の息によって服が煽られ意識がはっきりとした。目の前にいた竜はアルが気づくなり何度か瞬きをすると問いかけて来る。
「何故、死ぬと分かっていても戦うのをやめなかった」
「えっ?」
「何故死ぬのを悟っていながら戦うのをやめなかった」
「…………」
きっと黒魔術の発動中の事を言ってるんだろう。確かにあの時には既に死ぬんだって事は悟っていた。いきなりあんな事になるとは思えないし、それの代償は途轍もないと思ったから。
たどたどしい口調ながらもアルは答える。
でも、次に飛んで来たのは静かな怒号で。
「……独りにさせたくなかった。きっとあそこで戦い続けなかったらアリシアは絶対に連れてかれたと思う。だから諦めたくなかった」
「独りにさせないも何も、自分が死んでしまったら元も子もないだろう!」
「そ、そうだな」
全く以って正論の事に何も言い返せずに目を背けた。
続ければ死ぬ事は分かってた。でも死んだらアリシアは離れる事よりも悲しむだろうし、アルとてまだまだ死ねない。けれど、アルの中でアリシアと別れ離れになるのは死ぬにも等しい事だから。
「そこまでして諦めたくなかったのだな」
「ああ。俺の中でアリシアは唯一の心の拠り所でもあって、ずっと一緒にいたい人でもある。……家族以外に初めて一緒にいたいって思った人だ。だから、諦めたくなかった」
今一度口に出してからアリシアがどんな“人”なのかを改めて認識する。
無愛想で、作り笑いでしか笑顔を見せられなくて、常に自己矛盾を抱える様な、そんなアルにアリシアはずっと寄り添ってくれた。きっとアルも隠し事をしているのに気づいていたはずだ。それなのに何も聞かずに隣にいてくれた。
正直言って、そんな優しい人はアルの隣にいるべきじゃないと思う。もっと別の……例えばライゼ達の様な、そういう人達と一緒にいるのが似合うはずだ。
それなのに彼女は一緒にいてくれる。
ごめんもありがとうも何も言わず、ただ一緒の道を歩いてくれるのだ。
そこまでされたら応えるしかないしかないじゃないか。唯一の心の拠り所だから。ずっと一緒にいたい人だから。
「なぁ。黒魔術が使える理由って、君だろ?」
「……そうだ」
「やっぱり。神器解放を意識した瞬間からそう思ってたよ」
アルは黒魔術どころかどう言う訳か通常の魔術すらも行う事が出来ない。だからこそ黒魔術とアリシアに言われた時には物凄く驚愕した。
って言う事は黒魔術は竜に関係している。そして、竜はアリシアに関係している。次第と解き明かされる情報にアルは脳裏で必死になって考えた。
目の前の竜が神器に宿っていて、神器解放で黒魔術が使えるようになったって事は、この神器の本質は黒魔術って事だ。それを解放したからこそアルでも間接的に黒魔術を使えたっていう事だろう。つまり遠まわしで言えばアリシアでも黒魔術を使う事が出来ると言う事。
……あの時、アリシアは確実に黒魔術の解除方法を知っていた。となるとアリシアは以前にも神器解放で黒魔術を使っていたのか?
でも彼女自身の言葉によるとアルが神器から解放するまではずっと剣の中に独りぼっちと言っていたし、そんな事はないはずだ。明らかに辻褄が合わない。
剣の中で神器解放を行えるとも思えないし、残る可能性としては例の英雄と戦っていた時代にアルと同じ経験をした事くらいなのだけど、それもそれであり得ない。剣になる前の姿はどうであれ人間である事は変わりないはずだから。
「君はどうやって生まれたんだ。アリシアが神器にされたって言うなら、君はどこから来てどうやって神器の中に入った?」
「…………」
けれど竜は答えない。黙り込んだまま目を瞑った。
アリシアは英雄の手によって神器にされた。その言葉通りだとするならそこに竜が介入する余地何てないはずだ。アリシアと竜が一心同体と言うなら理解出来なくもないけど、そう言った言葉や匂わせる言葉が出て来る事も一度も無い。
ふと、脳裏で今までの出来事が全て再生される。
英雄との繋がり。竜との繋がり。黒魔術との繋がり。幸いって言った方がいいのか、運悪くって言った方がいいのか、アルは元から想像力が豊だったから一つの結論に辿り着くのにそう時間は掛からなかった。だけどその結論って言うのが自分で考えておきながらも信じられない物で。
そして今の質問に竜が答えなかったのを見て更に確信を強めてしまう。
「……そういう、事だったのか」
辿り着いた結論。それは考えた本人でもあるアルを驚愕させながらも動揺させる。……そんな現実を受け入れたくなかったという点もあるのだけど、何よりそうする事で今までの彼女の反応が全て説明できてしまうから。
間違いであってほしい。そう思いながらも否定する事は出来なくて。
確かめなくちゃ。今、アルに出来るのは真実に迫る事とアリシアを助ける事しか出来ないんだから。
どれだけ危険な事を考えているのかは分かっている。竜にその事を言えば絶対に止められるだろうし、既に死地の中にいる様な現状でそんな事をすれば確実に死ぬだろう。そうすればアリシアは絶望し、みんなは悲しむ。アルは英雄になると言う夢を叶えられずに本当に消滅する。
でも、仮にそうだとしてもやらなきゃいけない。
アリシアの想いが伝わってくるから。
「――もう一度俺に黒魔術を使わせてくれ」
「……何を言っているのか、分かっているのか」
「分かってる。次に黒魔術を使えば高確率で死ぬんだって事も」
黒魔術の代償。それがどれだけ恐ろしい物なのかはさっき味わったばかりだ。体が冷たくなって、視界が霞んで、死を実感して。だけどそれがなきゃ駄目なんだ。そこまでしなきゃルシエラは倒せない。
胸の前で服ごと拳を握りしめると言った。
「なら、何故そこまで分かっていて黒魔術を――――」
「アリシアを助けたいんだ! ……前に言った事とは矛盾するかも知れない。でも、使わせてくれ! じゃなきゃアリシアが死ぬかもしれないんだ!!」
神器の中にいるからだろうか。アリシアの感じている事が直接伝わって来る。目で見えなくてもどれだけ激しい戦闘が行われているのかも。助けてって言葉も、同時に。
「もう誰も失わないって、失わせないって、誓ったんだ。アリシアには死んで欲しくなんかない。だから、使わせてくれ」
「…………」
「もしかしたらアリスやノエルが手助けをしてくれるのかもしれない。仮に黒魔術を使ったとしても、俺の努力は無駄になるかも知れない。……それでもいい。ただ助けたい人を助けたいんだ!!」
必死になって呼びかける。
すると竜は目を瞑って深く考えこんだ。真実を確かめる為にも、アリシアを助ける為にも、今は死ぬ確率が高くなっている黒魔術にしか頼るしかないんだ。そしてそれが神器解放であるが為に竜からの使用許可を取らなきゃいけなくて。
「……死ぬな」
「当たり前だ」
そう言われるからすぐに返した。
目を開けると大きな瞳はアルの真剣な瞳を捉える。……やがて感慨深そうに目を閉じると納得してくれて、苦渋の決断ながらも力を与えてくれた。
「――絶対に、助けるから」




