第一章5 『覚悟』
「っ!?」
黒装束の振りかざしたナイフは咄嗟に庇った左腕を貫き血を流させる。直後に思いっきり蹴り飛ばし、何十メートルも吹き飛ばしては木に激突させた。
そのせいで口からも吐血して更に苦しさを増幅させる。
「ぐっ……ゴ、ごぼっ……」
けれど吐血してる暇さえない。気が付けば黒装束は目の前まで迫っていて、手の甲で頬を叩いてまたアルを吹き飛ばすのだから。
きっと徐々に痛めつけてはなぶり殺しにするのだろう。奴にはそんな殺気以外の何物でもない物を感じた。
すると奴だけではなく更に二人、三人と集まってはアルを囲い始める。これで逃げ場はなくなり絶体絶命となった訳だ。もうどうしようと逃げられない。腕の骨も折れたみたいで、持ち上げると折れちゃいけない所がぐったりと垂れ下がっては折れていた。
だから察する自分の死はここなんだって。
「―――――」
「――――――」
何か言っている。殺す手段でも話しているのだろうか。
……もう、いいや。今まででも十分幸せだった。こんな幸せはもう二度と掴めないだろうってくらい。何度もここで死んだって悔いはないと思った。だから、もういい。確かにひと時の幻を望んだ。要するにここが幻の終わりなんだろう。
何もかもが奪われた夕刻の時。アルはその時を受け入れようと目を閉じた。所詮どこかの誰かに繋がれた借り物の命なんだ。使い方は自分次第なはず。
諦めた。生きる事も、英雄を目指す事も、笑う事も。どうせあと数秒の命なのだ。最期くらいは思い出に浸って終わりたかった。
……はずだ。
何もかもを奪われて諦めたくなったはず。長く続いた人生に今度こそ終わりを告げようって思ったはずだ。
――諦めるな。
なのにどうしてだろう。何で、こんなにも諦めたくなくなるのだろう。
生きたい。生きて、生きて、この思い出をずっと抱えていたい。生まれて初めて幸せだと感じた時間を。
父が言ってくれた言葉が脳裏で蘇る。このままでいいのかって質問を抱かせてくれる。だから、もう一度今を生きたいって思う事が出来る様になった。
「……たい」
睨むような眼光で目の前の黒装束を見る。
痛みなら既に慣れた。血の出る感覚も既に熱で埋め尽くされている。骨折の痛みだって焼切れる様な暑さで感じなかった。
「生きたい!!」
依然体にはまだダメージが残っている。だから少し鈍くなってしまうけど、それでも黒装束に襲いかかり武器を奪い、そして脳に突き刺すのは容易な事だった。
他の二人が反応するのよりも早く仕留める。右手で握ったナイフは近くにいた敵の脳天に突き刺し、一番目に倒した敵を三番目の奴に押し付ける。そうして体をどかす内に近づいては首に何も躊躇わずに突き刺した。
力の割には反応速度は常人並なんだろう。
一瞬にして三人を奪ったアルだったけど、自然と人殺しをしたって感覚は心に残らなかった。それどころか殺す事に対して逆に動きが機敏になった事に驚く。今まで人なんて殺した事は無かったのに……。
そうしていると急に全身に激痛が流れ始めた。
「っ!? 何だ、急に……っ!」
左目にも一番最初の様な激しい痛みが訪れる。今さっきまでは平気だったのに、どうして今になって。
と、考える暇もないらしい。痛みに苦しんでいると複数の足音が聞こえて、それが残った連中が駆けつけているのだとすぐに察した。
見つかれば死ぬ。そう思ったから森の中を駆け始めた。
「やばっ……!」
きっとアドレナリンとかで緩和されているのだろうか。走る度に痛みは微かに和らいでいった。
どこに走ればいいのかも分からない。きっと村へ行ったって隠れる所はどこにもない。きっと、匿ってくれる人さえも。
そんな中でどこへ行けば助かる? どこまで走れば助かる事が出来る?
――少なくとも俺の知ってる所に安全な場所はない。となれば、森の最深部……。
足を引きつらせ走りながらも考えた。
狩りをした範囲じゃ駄目だ。もっともっと森の奥、最深部に到達するくらいじゃないときっと助からないだろう。
――あれ、森の最深部ってどこだ!?
森の全貌は地図でしか見たことがない。そして今はどこにいるのかも分からない。一先ずはまだ姿を確認されていないみたいだけどこのままじゃマズイ事だけは確か。
と思っていたのだけど、背後から火の弾が飛んで来て咄嗟に体を傾ける。
「うわっ!?」
その次にもむやみやたらに様々な魔法を解き放って来た。相当執着している様で、全く関係ない方向にも飛んでいる限り「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」戦法なのだろう。だから風魔法の一撃が脹脛を掠めて血を吹きだす。
「ッ!!!」
――もう限界だ。もう……。けど、嫌だ!!
英雄に憧れた。自分のせいで全てを失い何もかもを守れなかった弱虫だけど、それでもまだ願いの欠片なら心の奥底に残ってる。まだ、熱なら心に灯っているから。
そんな風にして一心不乱に森を走っているとある物を発見して。
――洞窟……。リスキーだけど、これしかない!
目の前に映ったのは大きな山に掘られた洞窟。生き残る為には、もうやるしかない。
姿勢を低くして魔法の誘導を狙い足元で爆発したのを合図に動き始めた。洞窟が横にあって爆煙で見えていないとなればやれることはただ一つ。
―――――――
―――――
――――
爆煙から奴らが抜けた後、すかさず洞窟の中へと入って行った。そしてすぐ後に出て行ったのを確認してようやく殺していた息を沢山吸う。……山になった落ち葉の中から顔を出して。
その直後に洞窟の中へと駆け込んだ。奴らとて一度確認した所には入って来ないはずだ。
「今のうちに……」
洞窟に入った後、血の跡で入った痕跡を残しながらも奥へ奥へと進み続ける。例えもう一度この洞窟へ来たとしても一番暗い場所なら見つかりにくいから。
そしてようやく一息つけるとアルは壁に寄りかかった
これからどうしよう。そんな事を考える。助けを求めるんじゃ隣町へ行くのが妥当だろう。でも、馬車で半日かかる道を一歩も止まらずに進める物だろうか。それもまだ奴らがいる状態で。
数日ここでアルを探し続けられると結局は餓死するはず。だから、奴らがどう動こうと最終的には自分から命を張って行動しなきゃいけない。
「何だ、これ」
足を引きずりながら更に奥へ進むと、いかにもダンジョンですよ的な雰囲気の装飾物が設置されてあった。こんなのがあれば村でも噂になるはずなのだけど……。今はどうでもいいと更に奥へ進んだ。命が助かれば何でもよかったから。
道中には大きな池や鉱石が山ほどあり、鍛冶師ならよだれを出して飛びつくものばかりだった。鉱山……なのだろうか。
それでも更に奥へ奥へと進む。魔鉱石なる鉱石の放つ光で洞窟の中は案外明るく、自分の影がハッキリと見える程だった。そんな不思議な洞窟を奥まで進む。
――本当に奴らはこの洞窟を全部見て回ったのか……?
こんなに長い洞窟じゃ一分やそこらじゃ最深部まで辿り着けないだろう。なのにどうしてあんなにも早く出て来たのだろう。
そんな疑問はすぐに晴らされた。
「あれ、見た目の割には案外短いんだな。まあ、今はいい……うわっ!?」
ちょっと進んだ所で行き止まりだったから壁に背中を預けようとした。すると体は壁を通り抜けて背後へと倒れ込み、アルは頭から水溜りに突っ込む。そうして起き上がってから発覚する。これは視覚妨害の魔法なんだって。本でしか読んだことないけど。
でもどうしてそんな物がこんな所に……?
「なるほど。そりゃ、すぐに引き返すはずだ……」
奴らとてあれだけ全力で走るって事は余裕がないのだろう。つまりここで行き止まりに見えたのなら折り返して当然だ。
だからこそアルは更に奥へと進む。この先に何かがある事を信じて。
どれだけ歩いただろう。体内時間は既に四十分を超え、それなのにこの洞窟に果ては見えなかった。明らかに何かがおかしい。そう感じても既に後戻りする事は出来ないから、不安を感じても更に奥へ進み続ける。
そして、五回目の魔法を突き抜けてようやく到達した。洞窟の最深部へ。
「うっわ……」
一面が魔鉱石で構成された大きな空間があり、その真ん中には一本の剣が突き刺さっていた。如何にも「勇者だけが引き抜けますよ」って言う様に。
周囲には透明な水が流れていて、その中には小さな魚達も何匹か泳いでいる。
ふと、脳裏に伝説の話が蘇った。
「まさか伝承の話の……? 英雄が伝説の神器を突き刺したっていうのが、ここなのか……?」
村長から何度も聞いた伝説の話。かの英雄は森の中に無数に存在する洞窟の何処かへ入り、愛剣であった神器を地面に突き刺した。やがてその神器は森の守り神となり人間たちの生活を密かに見守っているのです。というお話だ。
どうしてこんな所に。そんな疑問は尽きなかった。
けれどこれで助かるのなら何でもいい。水もあるし、最終手段で魚もある。まぁ、魔法は使えないから生で食べるしかないのだけど。
「助かるのなら、それでいいや」
そうして膝を付いた。体力精神ともに大きく削られたのだ。もう、疲れた。だからここで休もうと思ったのだけど、そう言う訳にもいかなくて。
壁の魔法を突き抜けて入って来た黒装束は一斉にアルへ向かって攻撃を仕掛ける。
「なっ、嘘だろ!?」
咄嗟に飛び退くも右足を焼かれて激痛が走る。でもやらなきゃやられる。そう思ったから反射的に黄金の剣の柄を握り締めたのだけど、その時に奴らは驚愕して動かなくなり。
――なんだ、急に動きが……?
その時だ。急に背景が歪んだのは。
自分と剣以外の全てが暗闇に染まり世界が塗り替えられていく。驚愕して剣から手を離すけど世界が戻る事は無い。それどころか更に驚愕する物が目の前に現れて。
『……何故、剣を欲しがる』
「ひぇっ!?」
目の前に映し出されたのは巨大な竜。急に表れたソレは大きな瞳でアルを見据えたまま、今問いかけた質問の返答を待った。
どうして急に竜が。そんな考えは当然だけど一先ず先に問いに応えようと頭を回転させる。剣を欲しがる理由……。そんなの一つだけだ。
「え、えっと、剣を欲しがるのは――――」
でもその先の言葉が詰まって出て来ない。
生き残りたいから。死にたくないから。そう考えたはず。なのに心は別の返答を望んでいる。もっと別の、折られてしまった憧れを。
英雄になりたい。それが今のアルを生かしている原動力だった。前世で読んだ様な主人公みたいになりたくて、英雄譚に出て来た大英雄の様に誰もかもを救いたい。その熱は既に誰も守れなくなった今でも燃え続けている。
既に、守りたかった人さえも死んでいったのに。
「俺は……」
竜は戸惑うアルを見つめ続ける。
果たして生きていたいのだろうか。きっとこのまま生きて行けばみんなが死んだという後悔を背負いながらも“英雄を目指すクセに誰も守れない”という自己矛盾を抱えるはずだ。今でさえ心が擦り切れて辛いと言うのに、そんな物をずっと抱えられるかどうか。
なら、ここで諦めてしまった方が――――。
――諦めるな。
その度に父の言葉が蘇る。その言葉は何もかもを投げ捨てたくなったアルを縛り付け、苦しみの運命を背負わせようと押し付けて来る。
もういいんだ。苦しいのだ。それなのに父は決して諦めさせない。
全て自分のせいでこうなってしまったはず。アルがいち早く問題を見付けようとしたからみんなが死んでいった。だから、自分もみんなと同じ場所に行ったっていいのではないか。
――絶対に諦めちゃダメだ。
胸を締め付け続ける。苦しくて、辛くて仕方ない。こんな自己矛盾や強迫観念にも近しい思いを持つのならいっその事死んでしまいたいくらいに。
……でも、これは自分が望んだ事のはずだ。
叶った願いに「英雄になる」が入っていなくたって、物語の主人公でなくとも英雄になりたいと心から望んだ。その為ならどんな努力だって惜しくないと。
なら、全力で抗わなきゃいけないんじゃないのか。自分で望み選んだ道なら、どれだけ憧れが踏み潰されようと、理想をへし折られようと、進まなきゃいけない。
それこそが自分の望んだ道なのだから。
「俺は……」
黄金の剣を握る。まだ付け焼刃で決めた覚悟だけど、それでも心の底から願う程の憧れなのだ。きっと大丈夫。
もし、もう一度英雄になりたいと叫んでいいのなら。
もし、もう一度笑える強さを手に入れたいと願っていいのなら。
「どんな時でも笑える様な、英雄になりたい」
その時、黄金の剣は光り輝いては世界をもう一度塗り替えた。




