第二章22 『修行』
翌日。
神秘の森じゃ絶対にならないはずの轟音が鳴り響いた。その音で周囲の動物は一斉に逃げ去り、剣を交えていたアルでさえも衝撃で吹き飛びそうになってしまう。
対してアルの全力を完全に受け切ったアリスは苦しい表情は微塵もせずに済ました顔を浮かべていた。
「ぐっ! ううぅっ……!!」
「もっと体重を乗せる事を意識して。それと攻撃をする瞬間に息を止める事もコツね」
「ああ!!」
剣を離すと左足を軸にして回転し、遠心力を乗せたまま剣を高く振りかぶってもう一度アリスに攻撃する。全体重を乗せる事を意識し、攻撃をする瞬間にだけ息を止め、全力の一撃をアリスに叩き込んだ。それでも彼女は地面が抉られる程の一撃を軽々と耐え切って見せる。
――これも耐え切るのか!?
すると離れた所で見ていた――――というよりかは正確に言うと暴れない様に縄で縛られたクリフは小さく口笛を吹いた。その隣で見ていたジルスも。
アリスは剣を斜めにすると攻撃を全て受け流し、衝撃波を全て地面に向け、同時に剣が滑ってバランスを崩したアルをその衝撃波で軽くダメージを負わせる。攻撃を受け流しつつも相手にダメージを負わせるなんて、どうやったらそんな事が可能になるのか。
「とまぁ、剣を全力で振り過ぎるとこうもなるから注意してね」
「普通それ自体が不可能だと思うんだけど……」
やがて互いに距離を離すとそう言われる。でも普通なら神器の攻撃を受け切る事自体で精一杯だと思うのだけど……。まぁ、一応覚えておきながらも立ち上がる。
アリスは顎に手を当てると深く考えだし、アルには何が足りないのか、それをアリシアとはまた違った視線でそれを伝えてくれた。
「そうね、アルは全体的に目がいいからそっちに気を取られやすいのかもしれない。もう少し相手の気や息に集中した方が良いかも知れないわ」
「気? 息?」
「相手の視線からどこを攻撃しようとしているのかを読む能力。それと相手の息を聞き分けて攻撃する瞬間を見極める能力。どっちも身に着けた方がいい能力には変わりない」
「息はともかく気って……」
息は分かる。息は。アルがやるとそっちに気を取られるだろうけど、耳を澄ませれば聞こえる訳だし。けれど気を読んで次の攻撃を予測するだなんて歴戦の戦士じみた事、出来るはずが――――。
するとアリスは指を鳴らして少しだけコツを教えてくれる。
アルにとってはあまりにも現実味がなくて覚えづらい事なのだけど。
「攻撃する瞬間、さっき教えたみたいに息を止めたりする人が多いの。だからそれを聞き分けると格段にフェイントとかが見分けやすいわ。ポイントは息が途切れた瞬間ね」
「瞬間……。それを聞き分ける上に相手の気を読んで攻撃を先読みしろと?」
「そう言う事」
「うん、無理!」
ハッキリそう言うとアリスが少しだけ驚いた。
そもそもアルは“普通の人間”。ライゼ……じゃなくてフィゼリア辺りなら可能だろうけど、アルには到底無理な話だ。耳を澄ませるだけでもそっちに意識を持ってかれるというのに、更に気を読むだなんて不可能だろう。
「俺はまだ剣の振り方自体も完璧じゃなくて、剣術すらもダメダメなんだ。そんな俺に息を聞き分けるだなんて到底……って言いたいんだけどさ」
「なに?」
「……この布、何の為にあるの」
今の俺には無理だと伝えようとする。のだけど、その最中にも目元に布を巻き付けて目の前を見えなくさせるアリスに問いかけた。
何か嫌な予感をひしひしと感んじながらも質問すると、彼女は予想通りの言葉を投げ返して来て、内心で途方に暮れながら絶望する。
「せめて息の聞き分け方くらいは習って貰おうかと思って」
「いや聞いてた!? まだ剣術すらも習ってないんですけど!?」
「まぁまぁ、騙されてやってみた方が良いわよ」
「騙されたと思ってでしょ? 何で最初っから騙す気満々なの」
さり気なくボケるアリスに対してツッコミつつも姿勢を正されるので一応指示通りにする。きっと目を封じて息や気を感じろって意味なのだろうけど、アルにそれをやれって言われるとやっぱり自信がないと言うか何というか。
やがてアリスは準備を整えるといきなり無茶振りを繰り出す。
「軽口を叩ける余裕があるなら大丈夫。じゃあ今から攻撃してみるから、息を捉えて回避してね」
「んな無茶な!?」
「平気平気。今は息を聞いて回避するだけだから」
「大丈夫なのかソレ……」
文句を言いながらも急に始まった無理難題の多い修行を受ける。
既に目は見えない訳だけど、目を耳に全ての意識を集中させた。戦闘中なら高確率でこんな感じになって他の事へ集中が行かなくなるのは確実だろう。だからこそ練習である今だけは耳に全ての集中力を費やす。
そうしているとアリスは軽く剣を振るって風圧を発生させた。恐らく息をしてると勘違いさせようとしてるんだろう。
そして、捉える。
「――――っ」
「そこだッ!!」
息が聞こえた瞬間に回避行動を取った。するとアルの髪の毛に剣が掠っては文字通りの間一髪で回避する事に成功する。
のだけど、今の感覚にアルは目隠しを取りながらも叫んで。
「――今本気で当てようとしなかった!?」
「避ける動作に入ったからより実戦っぽくしてあげようかと……」
「心臓に悪いわ!」
そう愚痴りながらも成功した事自体には嬉しく思う。しかし容赦がないと言うか何というか……。少しの間だけアルの愚痴を聞いていると、それを全てスルーしたアリスはもう一回目隠しを付けようと何とか後ろに回って布を型結びしようとする。
でもアルはそれを拒もうと全力で抵抗するのだけど、精霊の腕力には逆らえずに一瞬で縛られ目隠しが簡単には外せなくなってしまう。
「ちょっ、だから今出来ても実戦じゃ必ずモロが出るんだって!」
「それでもやるとやらないじゃ天地の差よ? 大丈夫、これはみんなが通る道だから。……少なくとも普通の人が通る道ではないけど(小声)」
「今なんて言った?」
「何でもない」
「絶対普通じゃどうのこうのって言ってたよね!?」
さり気なく放った小声を聞き取りながらもそう言うとアリスはまた剣を振り回して風を発生させる。他にも色々と言いたい事はあるのだけど……もうこうなりゃヤケクソだ。やるだけやって出来ないのなら努力するだけ。
まぁ、結果的には今までやって来た事と全く一緒である。それにアルには努力する事しか出来ないんだから、精一杯ぶつかって砕けないと。
と思っていたのだけど、駆けつけたらしいフィゼリアの声にアリスは反応する。
「みんな~! 例の子目覚めたよ!」
「本当!?」
そうしてアリスは目隠しを付けたままのアルを放って走っていってしまう。何故かフィゼリアも無視してアリスを案内し、音しか聞こえないから判断しずらいけど恐らくジルスも二人の後を付いていってしまう。
だから呼び止めようとした頃には既にその場には縄で縛られたままのクリフしかいなくて。
「あれ、アリス!? これ外して……ちょっ、えっ!?」
「……大丈夫か?」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「大丈夫? どこか痛む所とかない?」
「…………」
例の少女が目覚めた後、ノエルが優しく問いかけると少女は素直に頷いてくれる。それを見ただけでもアリシアはこの子が凄く冷静なんだって事を知った。まだ幼いというのに目覚めた直後に見知らぬ人に囲まれても慌てず動じないなんて、きっと状況判断力が相当高いのだろう。
その後もノエルが質問するのだけど彼女は全て素直に答えてくれて、あまりの冷静さにノエル自身も違和感を覚えながら名前を聞いた。
「自分の名前って分かるかな」
「……ナナ。ナナ・クルスフィー」
「家名があるって事は、少なくともどこかの街の生まれだな」
そして名前を聞いた瞬間からライゼがそう判断した。もし世界そのものが生んだバグなら名前もないと思っていたけど、アリシアとは違い名前があるって事は本当に黒魔術の影響を受けて落ちて来たのだろうか。
その真相を知る為にもノエルは続けて質問する。
「ナナちゃん、自分の出身とかって言える?」
「…………」
しかしここに来てまさかの否定。顔を左右に振った事によって一番大事そうな情報を引き出せない事を知り、みんなが少しだけ暗い表情になってしまう。けれど即座に気を入れ直したノエルは根気よく他の事を質問して何とか彼女から情報を引き出そうとした。
色んな質問をぶつけては少女の反応を見て正体を探ろうとする。
「じゃあ、お父さんとお母さんの名前とかは?」
「…………」
「自分の種族については?」
「…………」
「最後に見た光景はどんな物だったの?」
「…………」
けれど返ってくるのは無言と否定のみ。ノエルの質問には全て答えられず、また彼女も本当にそれらを知らない様だった。
名前しか覚えてないなんて事、あるのだろうか。アリシアは名前だけを忘れるって現象を引き起こした訳だけど、それでもまだ自分の出身や両親については覚えてる。……ただ、話す勇気がないだけで。
その現象についてみんなも深く考えこんでいた。彼女が本当に世界が間違って生んだ存在なのか、黒魔術を影響で現れたのか。それらを考えるにはあまりにも情報が足らなさすぎるから。
やがて小屋のドアが開かれるとアリスとフィゼリアとジルスが入って来て、目覚めた少女をみるなりすぐに駆け寄った。のだけど、そこにアルとクリフがいない事に気づいて。
「起きたのね。よかった」
「……あの、アルとクリフは?」
「えっ? あ、置いて来ちゃった。まあ二人なら大丈夫でしょう」
「適当なんだ……」
さり気なく適当に受け流したアリスを見つめると軽くサムズアップされる。まぁ、クリフがいるのなら大丈夫だとは思うけど……。確かにアルの事は気になる。けれど今は目の前の少女に集中しようと視線を向けた。
「何か分かった事は?」
「名前はナナ・クルスフィー。名前は覚えてるけどその他の事は何も」
「名前だけは覚えてる、か……」
そう呟きながらも少女――――ナナに目の高さを合わせて座った。すると真正面からナナの瞳を見つめ、アリスは真剣な眼差しで捉えると言う。
「ねぇ、ナナ。――自分が生まれた時の感覚、覚えてる?」