第二章16 『竜』
「深層意識……」
「そう。深層意識に潜り込んで宿り主と対面するの。まあ、アル場合はアリシアだと思うけど。そうする事でもしかしたらアリシアの正体を掴めて来るかもしれない」
あまり現実味の帯びない話に顔をしかめる。アリシアと対面すると言っても記憶を見ようとした時にどれだけの拒絶反応が出るのかは十分知った。だから今回もあの時の様になってしまうのではないか。そう思う。
まだ納得していない様な表情を浮かべていたからか、アリスは更に説明を加える。
「同じ神器が二つある事はありえない。だからこそアリシアには何か別の力が働いてるはずなの。深層意識ならその力の原因や仕組みを探れるかもしれない」
「要するに、俺がこの神器の深層意識に潜り込んで、その世界でアリシアがこの神器から離れた原因とかを探せばいいって事だよな」
「そう言う事」
言いたい事は分かった。でもやっぱり現実味は少ない。
昨日アリスがやって見せたように、アリシアの深層意識に直接潜り込むのならまだ納得は出来る。しかしよりによって神器自体の深層意識に潜り込むだなんて――――。
そんな事が出来るのだろうか。そう思っているとアリスは言って。
「初めて契約した時の事覚えてる?」
「あ、ああ」
「その時と同じようにしてやれば大丈夫。つまりイメージね」
「イメージ……」
妄想なら得意分野である。魔法が使えない分使える様になった時の為に何度もイメージを固めていたのだから。
初めて契約した時……。あの時はとにかく生きる事と死ぬたくない事に精一杯で特に意識していなかったけど、感覚自体はまだ覚えている。剣に意識を集中させて、自分の意識が剣の奥底に引き込まれる様なイメージをすれば出来るはずだ。
そうして集中しているとアリスからコツを教えて貰う。
「自分の魂が剣に引き込まれるイメージよ。腕を伝って剣に流れ込み、そして奥底へと落下する感じで……」
「それ大丈夫なの!?」
的確なんだけど怖い言い回しをするからツッコミつつも集中する。
意識は右腕を伝って剣に流れ込み、深く、深く、真っ赤な花弁を舞い散らしながらも深層へと引き込まれていく。真っ暗な世界に存在するのは自分と微かな光だけ。その他には何もなくて、アルはその光を目指してもっと深くへと潜り込む。
ふと、血管の様に幾つもの筋が光へ集って行くのを見た。一カ所に集まっては光を次第と強くしていき、その光は伝授されて白い筋にも輝きが灯って行く。そんな中で唯一他の色彩を放っていたのが真っ赤な花弁だけ。赤いペチュニアの花は白に塗りつぶされる世界でもしっかりと輝いていた。
やがて更に深い深層へと手を伸ばす。
神器の中枢……って表現の方が分かり易いかも知れない。
その瞬間に世界が変わった。
「――――っ!」
目が覚めた瞬間に起き上がって周囲を見た。のだけど、自分が寝転がっていた事に疑問を抱いて地面などを確かめる。今さっきまでは芝生の上だったのに今は渇いた岩盤の上。だからここが深層意識なのかと疑問に思いながらも前を見る。
そして、見た。
「あ……」
目の前に映ったのは魔鉱石の空間で寂しそうに佇む一匹の竜。その空間に――――アリシアが剣に宿っていたまま放置されていた空間にどうして竜が。そんな事を考えても何も分からないままだ。
……きっと、これがアリシアの正体や神器から離れた事に関係しているはず。そう思ったからこそアルはその竜に対して問いかけた。
「君は、誰?」
すると竜はギラリと鋭い瞳でアルを見つめた。
この竜とアリシアがどう関係しているのかは分からない。でも、それでもこの世界の何処かに鍵は眠っているはずだ。
「どうしてここにいるんだ?」
「…………」
竜は何も言わずにアルの瞳をじっと見つめる。正直それだけで腰を抜かすには十分の重さを持っていたのだけど、竜はそれでもなおずっとアルを見つめていた。
やがてようやく喋ってくれる。それもあの時と全く同じ声で。
「汝に話すいわれはない」
この世界がどこの時間軸なのか。この竜が誰なのか。そんなの全く分からない。だけど神器の深層意識に入り込んでこの竜が出て来たという事は、この竜が何かを握っているとみて間違いないはずだ。
話す必要なんかない。そう言われてもアルは何度も問いかけ続けた。
「どうしてここにいる」
「…………」
「何で、俺と契約してくれたんだ」
「…………」
「君とアリシアにはどんな関係がある」
けれど竜は何も答えずに黙り込んだままだ。このままじゃ何も情報は得られない。そうは分かっていても答える答えないは向こうの自由な訳だし、アリシアの過去どころか神器の真実すらも知る事なんかできない。どうにかして話せるような状況にしなきゃ。
やがてアルは質問の仕方を変えた。
「俺は君を助けたい。だから、何があったのかを教えてくれないか」
ほんの微かな静寂。
真剣な瞳で竜を見つめるとようやく話してくれて、それは答えじゃなかったけど会話をする事には成功する。
「……口先だけの人間なら大勢見て来た。誰が信じる」
「例えそう言われても、俺は君を助けたい。本気でそう思ってる」
「それは誰かに言われたからじゃないのか」
「っ――――」
けれどその言葉で息が詰まってしまって。
……その通りなのかも知れない。アルは今まで英雄になりたいからアリシアを救おうとしてきた。でも、それはアリシアを救うという使命を半ば強制的にかけられたから、かも知れない。だからこそアリシアを救う事に固執して――――。
違う。例え使命があってもなくてもアルは救おうと決めていたはずだ。あの時に見せたアリシアの瞳があまりにも曇っていたから。
使命だなんて所詮免罪符でしかない。本当は逃げたくて仕方がなくても、使命という言葉を使えば嫌でも自分を突き動かすのだから。
でも、アルは絶対にそんな事はしないだろう。心の底から、魂の奥底から英雄に憧れた。だからこそ使命なんて言葉を使わなくても、元から使命なんて課せられてなくても、アルは誰かを救う事を諦めない。逃げたくても「諦めるな」って言葉がアルを突き動かしてくれるのだから。
「……違う。使命だから助けるんじゃない。助けたいから助けるんだ。その他には何の理由もない」
「それが偽善である事に気づいていてもか」
「そうだ。“元々”俺の助けたいって気持ちは偽善に過ぎない。でもそうあろうとする心、掲げる理想、目指した夢は間違いじゃないはずだ。だからこそ助けたい」
今も昔も英雄を目指している。それは絶対に変わる事は無い。でも以前までは本当に文字通りの偽善者だった。自分が満足したいが為に誰かを助けて「俺は何かが出来るんだ」って自分に見せつけ、愉悦に浸っていた。
だけど今は違う。今は昔の様になりはしない。
愉悦に浸るだけじゃなく、憧れたからこそひたすら走り続ける。それが今のアルなんだ。
「どんな時でも笑える様な英雄……。それは変わらない。でも俺はもう前みたいに迷ったりなんかしない。出来損ないでも、何も出来なくたって、限界まで振り絞って全力で抗うと決めた。だから、助けたい」
そう言って竜のおでこに手を当てた。
弱いからこそ抱いた理想。それそのものは間違ってなくても本質は間違っていたんだ。だからこそ今はもう迷ったりなんかしない。いつだってどんな時でも笑える様な英雄を目指す。何者にも縛られず全ての人を助ける様な、そんな英雄を。
すると竜は鋭い視線でアルをもう一度見る。
「大丈夫。必ず助けるから」
今度は怖がらずにアルも真剣な視線で見つめ返した。まだ竜とアリシアの関係は全く分からない。それどころか本当に関係あるのかと疑う程だ。それでもアルは竜の事も助けたかったから。
やがて竜は瞼を閉じると言う。
「……どの時代も変わらぬな。汝も、あやつも」
「あやつ?」
誰の事だろうか。気になったからこそ聞こうと思ったのだけど、アルが口を開くのよりも遥かに早く竜は続けて喋った。
「もし本気で助けようと言うのなら、やってみせるがよい」
「やってみせるさ。もう、誰も失わせたりなんかしない」
たった今ここでその覚悟を誓う。
あの時にアリシアは言っていた。独りにしないでと。アリシアにとってアルは唯一の心の拠り所で、アルにとってアリシアは唯一の心の拠り所。だからこそもう誰も失わないし失わせたくない。
竜は眼を見開いてまたアルを見た。
「……あやつを、頼む」
「頼むって、誰を――――」
その瞬間に察する。あやつってもしかしてアリシアの事を言ってるんじゃないかって。
アリシアだって過去に英雄を目指していた。だからこそ似てるって言ったんじゃないのか。そうなるとアリシアとこの竜は何かしらの関係があってこうなっていると。
なら尚の事不思議だ。アリシアは神器に宿っていたのに、どうして今はこの竜がこの神器に存在しているのだろう。
一緒にこの神器に宿っていたのだろうか。そしてアルが契約したからこそアリシアが神器から抜け出して……? ならあの時に契約を交わしたのはこの竜って事になるし、それだとアリシアが外に抜け出す理由にはならないはずだ。
最初は竜とアリシアは一心同体だと思っていたけど違うのか? しかし竜の話し方だと別々の個体の様に思えるし、一体どんな繋がりがあるのだろう。
「待って! 君とアリシアってどんな繋がりがあるんだ!?」
「それは―――――」
アル!
「わ―――とか―――は、元々―――――――」
アル!!
「起きてってば!!!」
「っ!?」
瞬間、アルは突然アリシアに呼び覚まされて深層意識から無理やり引きずり出されてしまう。どうしたのかと思ってアリシアの表情を見ると、思った以上に深刻そうで。
少し経つと彼女はアルに向かって唐突な事を言った。
「アル、敵が襲って来てる!!」
「……は!?」




