第一章3 『守り神』
「きゅ~じゅ~きゅうっ!!」
アルが斧を振り木に命中させる度に甲高い音が鳴る。そうする度に小さな木片が飛んで行っては跡が刻まれていった。
そして最後に一番大きく振りかぶっては全力でその後へ叩きつける。
のだけど、勢いと共に的を大きく外して腕に途轍もない衝撃が訪れた。だから咄嗟に手を離しては地面に横たわって腕の痺れにもがく。そんな光景を見て仲間達は軽く噴き出して。
「ぷっ。はははっ。わざと大振りで振ったりするからそうなるんだよ! 普通に狙いを定めればそんな事にはならないのに!」
「だって格好つけたいじゃん!」
赤銅色の逆立った髪を揺らしながらも垂れた金髪の少年へそう言い返した。アルはこの中じゃ一番体力のある人間なのだけど、技術面では最低評価と言っていい程腕前が低い。と言っても、今まで斧じゃなく剣ばっかり振って来たから体が剣の動きに縛られてしまっているだけなのだけど。
金髪の少年――――クルトはめり込んだ斧を引き抜くといつもの様に斧を振るコツを教えてくれる。
「いいかいアル君? 斧っていうのは体全体じゃなくて腰の捻りを使うのだよ。こやって振りかぶり、捻る様にして勢いをつけてっ!!」
すると見事に刻み跡の真ん中に命中し、アルよりも多くの木片が飛び散った。そして上手く刻む事が出来るとドヤ顔で振り返りながら言う。
「……こうやるんだ」
「何かその顔がやけにムカつく。なら俺だって――――」
彼のドヤ顔に妙な感情を抱きつつも立ち上がってもう一度斧を振ろうとした。けど、百回交代制で斧を振るってルールがあるから、アルの行動はすぐに残っていた二人に止められる。
背後から同時に肩をロックされると静止の言葉がかけられた。
「ちょっ、まだ百回振った直後じゃ疲労が抜けきってないって!」
「それに疲れ切った状態で振ると大怪我するって爺さんにも言われただろ」
「くっ……。それもそうか」
ベージュ髪の少年と青髪の少女の制止を聞いて大人しく座り込む。そうだ。前も同じ様な状況で斧を振っては大怪我して酷く怒られたっけ。
四人で百回。それを午前に二週と午後に三週と分けられてノルマが設定されている。まあ、アルが体力が多い分余分に振ったりする事もあるのだけど、毎日そうして斧を振り木を伐採するのがアル達の仕事だ。
元々は大人がやってくれていたのだけど、村を広げる為にはまだまだ人手が足りないという事で、村一番の問題を自分達で何とかしようと立ち上がったのだ。そうして微かながらも月に一個という目標で大人達の手伝いをしている。
十歳が木こりをするという異例の事だったけど、物は試しと実践しては大人たちが納得してくれたからこうして毎日斧を振っている。体力も付くしお金も貰えるしで一石二鳥だ。
「アルは小さい頃から剣ばっかり振ってたからね~。そりゃ、斧の動きに順応できなくても仕方ないよ」
「あれ、サリアが優しい」
「どういう事ソレ! いつもは厳しいみたいじゃん!」
アルのちょっとした呟きに反応したサリアは抗議し始めた。のだけど二人でなだめる事で無事落ち着かせる事に成功する。
そんな三人を無視してクルトはずっと斧を振り続けていた。
やがて近くに落ちていた枝で地面に絵をかきつつも歩いて来た道を見る。今まで四人で木を切り倒して来た事で出来た道を。
「……どうしたの?」
「いや、ちょっと思う事があってさ」
すると同じ場所ばっかりを見つめるアルを気にかけてサリアが問いかけた。いつもだったら何か理由を付けて誤魔化すのだけど、今回だけは誤魔化さずに気になった事をみんなにぶつける。
「今までずっと思ってたんだ。俺達、今日までに十本くらいの木を倒して来ただろ? でもいくら村を広げるとか資材が足りないからと言って、苗木も植えずにずっと伐採したままでいいのかなって」
「いいのかって、何でそんな事を?」
「森の守り神は怒らないのかなって思ってさ」
そう言って今度は森の奥へ視線を向けた。
これは村長とかから聞いた話だけど、この森の奥には守り神がいるらしい。大きな獣だって説もあれば竜なんじゃないかって噂もある。
その守り神は大きな森を生やす事で魔物等の進行を妨げ、自然を豊かにし、周囲の村や街を守っているという。ちなみにこの話は隣町にも伝わってるとか何とか。
だからその森を苗木も植えずに伐採していいのかなってずっと思っていた。
「守り神……。そう言えばそんな伝承もあったっけ」
するとベージュ髪の少年――――ウルカラはその話を懐かしそうに思い出した様子。この話は年長者しか信じない傾向にあるらしく、若い内は迷信程度に留めている人が多いらしい。まぁその中でもアルは誰よりも熱心に伝承を聞いていたのだけど。
サリアはアルの言葉を聞くと腕を組みながらも頷いた。
「確かにアルの言う通りだね。今まで気づかなかったけど、勝手に森林伐採したら神様が怒りかねない……と言っても何が起こるかも分からない訳だけど」
「でもこの森はかなり広いんだろ? 俺達の村だって最初はこの場所をくり抜いて作られた訳だし、ちょっとくらいは削ってもバレない気もするけどな」
やっぱり二人も迷信程度に留めている様子。元から本気で信じているのはアルだけって言うのは自覚しているけど、いざこうして伝わらないと少しだけ悲しい気持ちになる。
――けれど、そんな軽い空気はふと流れて来た風で塗り替えられる。
「……なに、今の」
「なんか普通の風じゃなかったよな」
二人がそう感じ取った様にアルも察した。今の風は普通の風じゃないって。妙に生暖かくて、不規則に発生し、そしてどこか獣臭のする風だったから。アルは父の手伝いもあって何度か狩りに出た事があるから分かる。これは野生じゃない、もっと別の獣の匂いだって。
――野生の獣じゃない。狩りの時と違う……。
突如発生した風に不信感を抱いた。この森で何かが起ってるんじゃないかって。
腰には小型のナイフを下げてる。狼程度なら一人でも倒せるだろうか。そう見切りを付けようとして腰に手を伸ばすと、サリアがさっきの話に釣られてふと呟いた。
「もしかして守り神が怒ってるとか……」
「そんな訳ないだろ。だってそんなの噂程度だし――――」
「でも、神話じゃ人間が勝手に森林伐採して森の神様が怒って全滅させる~なんて話はよく聞くぞ」
するといつの間にか規定回数を終わらせて近寄って来たクルトが言う。確かに彼の言う通りだ。前世で読んだ神話にも、この世界の神話にも、人間の勝手な動きに激怒した神様が罰で全滅させるなんて『よくある話』だ。
だからこそ彼女は今の風に守り神の話をくっ付けたのかもしれない。
しかし最終的には同じ結論に至ってしまって。
「……けど、人助けは“良い事”のはずだ。守り神だって許してくれるさ」
「そ、そうだよね!」
今度はサリアが斧を握って木の前に立った。それから今さっきの出来事を忘れるかの様に意識を刻み跡に向け、大きく振りかぶっては思いっきり叩き込む。
でもアルはそれだけで片付ける事が出来なかった。
これは母から引き継いだ心配性なだけかもしれないけど、それでも何かが起っていると思ってしまう。
「アル、どうした?」
「ううん。何でもない」
――気のせいだ。きっと。
妙な不安が心を急かす。だからソレから逃げる様に反対側を向いて村を見つめた。……そう。ここは何もかもに心配していたあの世界じゃない。“信じる者は救われる”がモットーない世界だ。だからきっと大丈夫。
そう思い込むしか逃げる方法は無かった。
次の日の朝。今日は週に一度の休みという事で【英雄少年団】は各自行動で村の人の手助けをしていた。そしてアルは引っ掛かって仕方ないこのモヤモヤを払うべく森の中へ入ろうとしている。
普通の動物なら近づくだけで逃げるという特殊な石を手に持ち、腰にはナイフの他にも投擲用の針を装備した。
もし問題が近づこうとしているのなら先に払わなきゃいけない。森の奥があんなにも騒がしくなるなんてそうそうあるはずがないから。
アルなら狩りで森に慣れているし凶暴なクマから逃げ切ったりもしている。本当にヤバくなったら木の上に昇れば危機は一時的に回避できるし、ターザンの如き動きで森の外へ出れば動物は諦めて自然と奥の方へ帰って行く習性があるのだ。きっと大丈夫。
「薬草の採取なんて嘘がバレたら怒られるだろうな」
そう呟きながらも森の中へ足を一歩踏み入れた。
――瞬間、全身が危険を感じ取って硬直する。ただ恐怖してる訳じゃない。明らかに誰かに見られていて、更に敵意すらも向けられていた。
この中に入ったら危険だ。本能でそう感じ取ったからすぐに後ろへと下がる。
――何かいる。獣でも何でもない、それ以外の何かが……。
せめて正体が何なのか知ろうと数歩前へ動かそうと力を振り絞った。でも、まだ子供であるこの体じゃその恐怖に耐える事は出来なくて、あまりの恐怖に腰が抜けてしまいそうになる。
異変――――。そう言うのが正解だろうか。明らかに何かが起っていると知ったアルはすぐに振り向き村へ引き返した。
――何なんだ。
今まで怖い思いは何度もして来た。クマに殺されかけた事もあったし、棚から落ちて来た剣に串刺しになりそうだった事や、洞窟の底へ落ちそうになった事だってあった。でも今ばかりは全てが違う。命が危険信号を出す程の何かがそこにいて。
――何なんだよ……!
その日、アルは英雄に憧れた者として初めて何かから逃げた。父に話していいかも分からなくて、その夜はずっとベッドで震える様に眠る日となった。
ただヤバイ事が起きているのは事実だろう。でもそれを解決できるのか……。
そんな恐怖と違和感をずっと抱えていた。
怖かった。もしかしたらこの世界でも若い内から死んでしまうんじゃないかって。その時にある言葉を思い浮かべた。「ひと時の幻でもいいから」という言葉を。
確かに今の生活はひと時の幻と言っても過言じゃない。むしろ本当に幻で夢なんじゃないかって思う事さえあるくらいだ。
だからこそ怖い。明日、この幻が終わってしまうと思えてしまったから。
――大丈夫。何かあったら父さんや村に泊まってる冒険者が何とかしてくれるはず。きっと大丈夫……。
そう決めつけて眠りについた。いつもに増して格段と眠りづらかったけど、それでも羊を数えて無理やり夢の世界へと入り込んだ。
明日には良くなっていると信じながら。
この世界は現実なんだって信じながら――――。