第二章14 『ロウソク程度の覚悟』
「アル、大丈夫!?」
「あ、ああ。何とか……」
吹き飛ばされた後、咄嗟に起き上がったアリスにそう言われて手を上げながらも答える。でもどうしていきなり電撃なんか流れ込んで来たのだろう。
その問いはアリスによってすぐに解が出される。
「何で急に電撃が……?」
「きっと記憶の中で見られる事を拒絶したのよ。その拒絶が私の力を反発して押しのけた。だからこうなってるの」
「拒絶?」
「ええ。アリシアが無意識の内に私の力に干渉して押しのけた。……神器を依代にしてた辺り、元から強いとは思っていたけど、まさか力に干渉して来るだなんて」
そう言いながらもアリスは奥歯を噛みしめた。
無意識の内に力へ干渉する程の拒絶――――。口では大丈夫と言っても、それ程なまでに見られることが嫌だったんだ。
今一度どれだけ壮絶な過去を背負っているのかを頭に刻む。
「……どうする?」
「止めた方がいい。無理やりアリシアの拒絶を押しのけると自我が崩壊しかねないから」
「自我が!?」
「過去の記憶に干渉してるの。その記憶が反動で破壊されれば人格すらも変わりかねない」
予想よりもハイリスクな事をしてた事に驚愕する。
でも、そんな事をしなきゃ真実が知れないくらいアリシアの心が拒絶していただなんて……。事態はより深刻な物になっている気がしてたまらなかった。
どうすればアリシアの拒絶をなくせるのだろう。そんな事だけを必死に考える。
「……アリシアは三百年間ずっと孤独でいたんだよな」
「ええ。記憶の通りならね」
その言葉に拳を握り絞める。立とうとして力を入れようとしていた足からも力は抜け、その場に尻餅を着いて座り込む。アリスが心配するけど微塵も構ってられる余裕は無くて。
大丈夫? 大丈夫な訳がない。俺がいる? だからどうしたって言うんだ。
アリシアにはアルがいたって絶対に払えない闇が存在する。アルが放つ光なんかじゃ絶対に払えない様な漆黒の闇が。
――俺がアリシアを救う、か。
今一度それがどれだけ過酷で遥かな道なのかを知る。
アルが歩もうと決意した修羅の道なんかじゃ到底届かない。アリシアの歩んだ、三百年にも及ぶ永遠の道には。
頭を押さえて考え込む。
「アル?」
「ちょっと、考えさせてくれ」
どうして英雄はこんな選択をしたんだ。何でアリシアを剣に――――。全く以って理解出来ない。当時の英雄は何を考えていたのだろうか。
何度考えたって答えは出ない。というか理解すらもしたくなかった。
本当にアルなんかにアリシアは救えるのか。もしかしたらもっと別の人が導かれるべきだったんじゃないのか。そんな事ばかりが頭の中で渦を巻いていた。
だって、アルは普通の人間でしかない。……いや、もとより普通の人間ですらない。
自分を食い殺した今だって心の何処かで食い殺した自分の欠片が叫び続ける。新しい自分の養分にした過去の自分は“血肉と化した過去の自分”として体の中を巡り、抱いた決意をこれでもかと壊そうと吠えているのだから。
今も昔も、生まれた意味さえ分からない。どうして自分はこの世界に、前の世界に生まれて来たのか。誰の為に、何の為に、何があって生まれたのか。全て分からない。
英雄になるんだって覚悟を抱いてもソレは決して変わる事は無い。だからこそ呼びかける。そんな意味さえも見いだせない様な自分に彼女を救えるのかって。
「アリス」
「ん?」
「俺は、どうすればいいんだろう」
アルの心象を映したかのようにランプのロウソクは淡く揺れる。
いつだって自分に押しつぶされそうになる人間なんだ。だからこそこんな大事な状況なのに他人に選択を委ねる事しか出来ない。
するとアリスは淡々と答えて。
「自分の好きな様にしたらいいと思う。例えどうすればいいのか分からなくたって、歩む道を止まる事は許されない。だから本能の赴くまま進めばいい」
「本能の赴くまま、ね……」
逃げたい。それが一番早く浮かんだ言葉だ。
こんな運命なんて投げ捨てて、憧れなんて破り捨てて、何も背負わず軽い背中でこの世界を過ごしていたい。それが本心だ。
でも「諦めるな」という言葉が頭の中から消えてくれない。それはアルを縛り付けては絶対に逃がす事を許さない。前へ進めと、手を伸ばせと、引き千切れるくらいに伸ばせと、何度も何度もそうやって吠えてる。
――逃げたいは本当に魂の底から出た言葉なのか。それはこんな状況が辛いから言い訳してるだけなんじゃないのか。
現実には何度だって押し潰された。世界にも何度だって打ちのめされた。それでも鳴り止まない意志ならここにある。弱々しくて、息を吹きかけただけでも消えてしまいそうな、ロウソクみたいに小さい灯火が。父の言葉がそれを思い出させてくれる。
「諦めたくない」
「…………」
アルの呟いた言葉に黙り込む。そりゃそうだ。アリスからしてみれば干渉できない精神の話でしかなく、これに関してはアルの気持ち次第でしかない。
だからこそアリスは何も言わずに黙っていた。
やがてアリシアに近づいて毛布をかけてあげると小さく言う。
「私の仕えてた人がよく言ってた言葉があるの。――今を燃やし尽くせって」
「今を?」
「そう。地獄を知っても、世界を知っても、それでも今を燃やし尽くせ。黒か白の灰になるまで絶対に止まっちゃいけない。己で定めた修羅の道なら尚更だ。ってね」
今を燃やし尽くせ。その言葉が父の諦めるなという言葉に響が似ている気がして、アルの心は少しだけ揺り動いた。
己で定めた修羅の道なら尚更――――。なら、アルは絶対に止まる事は許されないんじゃないのか。
地獄を知って世界を知ったからこそその言葉の重みが理解出来る。どれだけ重い物なのか。そして、どれだけ希望を抱かせてくれるのかも。
この道はアルが自分自身で定めた修羅の道だ。自分自身に抗いながらも世界に否定され英雄になると吠えては歩き続ける果てしなき旅路。赤ん坊の頃からずっと変わらない覚悟は消える事なんてない。絶対に。何があろうと。
諦めたくなんてないから。
「仮に見れるとしたらどんな条件が課せられる?」
「……あんなに拒絶する過去をアルに話せるくらい信用される事。それが条件かな」
「えらい無茶振りだコトで……」
「逆に言えば、現状じゃ私はもちろんアルも信用されてないって事になる。過去に囚われ塞ぎ込んでる子ほど救う事は難しいわよ」
アリスからハッキリとそう言われた。だからあまりにも難しい壁が存在する事に苦笑いを浮かべてしまう。
それでもアルはアリシアを救いだしてあげたいから――――。
「大丈夫。大切な仲間一人も救えないで、憧れた理想の英雄にはなれないから」
そう言って立ち上がった。
これに関してはただの強がりでしかない。でも、そうだとしても強くあろうとする心は正しい事のはずだ。だからこそ自信満々でそう言う事が出来る。
するとアリスは問いかけて来て。
「聞かせてくれない? アルの憧れた英雄像」
「英雄像? え~っと……」
顎に手を当てて少しだけ考えだす。最初は少し細かく伝えようとして考えたのだけど、でも、ありのままの憧れを伝える為にはストレートに伝えた方が早いと決めつけて英雄像をありのままで伝えた。
「何にも縛られず笑顔で誰にでも手を差し伸べられる様な、そんな英雄」
「……そっか」
孤独で自由になれなかったからこそ自由な背中に憧れた。そして、人に救われる事しか出来なかったからこそ誰にでも笑顔で手を差し伸べられる様な背中に憧れた。誰かが薬などを投与してくれなかったら、アルはもっと早く死んでいたから。
アリスは意味ありげに微笑むと言う。
「その憧れを絶対に忘れない限り、アルの心が負ける事はないんじゃないかな。いつだって英雄を突き動かしているのは魂の底から溢れる憧れだから」
「……知り合いに英雄って呼ばれてる人がいたって言ってたよな」
「ええ。まあ、ごく一部ではあるけどね」
「その人の事、教えてくれないか」
そう言うと意外そうな顔をしつつも瞼を閉じて感慨深そうに想起し始める。
単純に知りたかったのだ。英雄と呼ばれた人がどんな人物だったのかを。英雄にだってそれぞれの個性がある。だからその人がどんな憧れを持っているのか、それを知りたかった。
するとアリスは何の躊躇いもなく喋ってくれて。
「彼は凄い人だった。自分の夢を諦めてまで人を救おうとする馬鹿みたいに優しい人で、自分が死ぬかも知れないのに私の事を救ってくれたの。そんな彼に私は憧れて、焦がれてた」
「…………」
語られた英雄の根底。そしてその彼が好きだったアリスの気持ち。それを聞いた今度はアルの方が黙り込んだ。
彼の事が好きならきっと辛かっただろう。何も言わない辺り彼は人間で、アリスは精霊。だからこそ想い人が先に旅立つという現実は辛かったはずだ。――でも、アリスは笑顔を見せると言って。
「けど寂しくはないの。彼と過ごした記憶は、今も私の中に宿り続けるから。……人を本当に殺すのはその人が忘れられた瞬間。だから私は絶対に忘れる事はしない」
「……強いんだな。アリスは」
「正確に言うと強くあろうとしてるだけよ。今の言葉だって彼の言葉を借りたに過ぎない。私だって、本当は弱虫だもん。ただ、その心に憧れたから」
「憧れた、か」
するとアリスは右手を月へと伸ばして拳を握った。
――強くあろうとする心に憧れる。それは痛いほど理解出来た。アルもその心に憧れたからこそこうして強がっている訳だし。
アリスはそのまま喋り続ける。
「誰もに自分を否定されたって、世界に必要とされてなくったって、それでも彼は絶対に諦める事をしなかった。一番怖いのは失敗なんかじゃない。何もしない事だ~ってね」
「何もしない事……」
「アルもきっと出来ると思う。アリシアを救う事が。だって、英雄に憧れたんでしょう?」
そうして肩にポンと手を置くと歩いて行っては毛布を投げてくれる。もう寝ろって事なのだろう。
……そうだ、アルは何が一番怖くて、何に一番憧れてるのか、それをよくわかってるんじゃないのか。何も出来なかったからこそ憧れた物があって恐れた物がある。
彼女の言う通り、それさえ忘れなければきっと大丈夫。この灯火が消えない限り負ける事は絶対にないから。そう言い聞かせてアルも寝転がる。
これからどうすればいいのかなんて分からない。どうなるかだって分からない。
だけど、確証もないけど大丈夫だって思えた。
弱々しい覚悟でも抗えるんだって事を、アリスに教えて貰ったばかりだから。




