第二章6 『言えない秘密』
「フリューハって結構速いんですね。少し見誤ってました」
「荷台を引かなくてもこの速度だからな。きっと馬車を引いたら普通よりもずっと速いぞ」
新衣装に着替えた二人は早速フテラに乗り、“彼”の脚を借りて今のアルが始まった原点でもあるあの洞窟へ行こうとしていた。
あの時の様に物凄く速さに驚きつつも必死に背中に抱き着く。
やがて頭を撫でると嬉しそうに声を上げた。
「……そろそろだな」
「あれ、もうそんな所まで来たんですか?」
「足が速いから目的地に着くのも早いんだよ」
進めば進む程見慣れた光景が目に映り、懐かしさと同時に心に刻まれた傷が疼き始める。脳裏の中であの時の光景が再生されつつも尚前に進み続けた。
嫌な記憶なのは変わりない。でも、そんな嫌な記憶だったからこそアルはアリシアと出会う事が出来た。だからそんな記憶を嫌いつつもフテラを前に進ませる。
そして、見た。
「……!」
焼かれたまま放置され、たった今死体などの処理が行われている村。それを見て奥歯を強く噛みしめた。だから反射的に目を背けながらも洞窟があった方へ向かう。確か、このまま森の中を突っ切って行けば洞窟があったはず。
森の中に入ってからはフテラから降りて歩いて移動した。
「ありがとう。後は歩いて移動するから、付いて来て」
「くえー」
馬とかだったらここら辺で手綱を木に結び付けたりするのだろうけど、まあ、フテラの大きさならあの洞窟に入る事は簡単だろう。
木々の間を進みつつも記憶は蘇り続ける。ここは左目が斬られた場所だとか、ここは魔法が撃たれて大きくバランスを崩した所だとか。そんな記憶は勝手に脳裏で再生されながらも悔しさを募らせる。
「っ――――」
……やっぱり来るべきじゃなかっただろうか。別にここに来るのならアリシアだけでも十分だし、アルがいなくたってアリシアの方が何とかするはず。分かってはいたけどこの心苦しさには耐えきれなさそうな“痛み”が存在していた。
そんな中でアリシアが肩に手を触れてくれる。
「大丈夫。私がいますから」
「……ありがとう」
ほんと、どっちが救おうとしているのか分かった物じゃない。相変わらずアリシアを救う事が出来るのかと疑問に思う中で洞窟を目指す。
心が拒絶する程の痛みに触れても過去や記憶が変わる訳じゃない。だからこそ、今は辛くても前に進むしかないと言い聞かせて進み続けた。――――やがてついにその入り口が視界に入る。
「ここか。結構歩いたな……」
「あの時は飛行しましたから短く感じたんですね」
そう言いつつも互いに頷いて中へ入った。
入口にはまだアルの零した血が張り付いていて、その跡であの時の自分がどれだけ危険な状況だったのかを再認識する。奥へ進めば進む程血はべっとりと壁などにもつき、本当に自分が出した血なのかと疑い始めた。
「あ、ここ壁があった所か……」
アリシアが洞窟からいなくなったからだろうか。あの時にアルを戸惑わせた魔法の壁は綺麗さっぱりに消滅していた。魔鉱石もある放つ光がある程度まで弱くなってしまい、前よりも鮮明に影が映っていない。やっぱりアリシアがいないんじゃ何かが違うのだろう。
ある意味実家と言っても過言じゃないアリシアは周囲を見渡していて、その度に「はぇ~」と言葉を漏らしていた。
入口から進んで少し経つ。この前なら四十分は掛かったであろう道を五分で辿り着き、あの時の歩く速度が物凄く遅かった事を今一度実感する。あの時は色々とヤバイ事になっていたから仕方ない気もするけど。
やがて洞窟の最深部へ到達するともう一度一面が魔鉱石に囲まれた空間に辿り着く。本当に英雄を目指したアルが始まり、アリシアが始まった場所に。
「何だか懐かしいな」
「そうですね」
ここを旅立ってから先の戦いが起るまで一週間。そしてそれから今日に至るまでで一週間。まだ二週間程度しか離れていなかったのに、それだけでもここが懐かしくなってしまう。
二人でアリシアが刺さっていた所に歩み寄ると細長い穴を軽く撫でた。なんか、アリシアが刺さっていたって言い方だと大分語弊がある気がする……。
――約三百年、アリシアはここで眠っていた。なら例の英雄が何かしらのメッセージを残していたっておかしくないはずだ。何かは分からないけど、何かしらの……。
そんな身も蓋もない言葉を脳裏で並べる。他力本願にも近しい頼み事だけど、そうでもなきゃ現状でのアリシアの正体は分からない。だからこそ周囲に何かがないかを調べ始めた。
そんな中でアリシアが問いかけて来る。
「もし、何もなかったらどうするんですか」
「その時はその時だ。元より無駄足覚悟で来てる。憶測だけで行動するのはよくないって分かっていても、今はこれしか方法が浮かばなかったからさ」
「…………」
憶測だけで行動すればどんな事になるかは分かっている。実際、アルが村を襲うかもって憶測だけで動いたからこそあんな事になってしまったんだし。
でもアリシアにはあまりにも謎が多すぎる。だからって憶測の域が出ないからといつまでも行動しない訳にもいかない。何もしない事がどれだけ恐ろしい事なのかも、アルはこの魂に刻んでいるから。
けれど忘れちゃいけない。アリシアから見てもアルは謎が多い人物なんだって事を。――だからこそ二人きりになった今が謎を聞く時だった。
「わっ。アリシア?」
ふとアリシアが背中に抱き着いて来る。いきなりそんな事をされるからびっくりしていると、アリシアはいつもとは違うトーンで喋り始めて。
その声だけで何を聞こうとしているのかがすぐに悟れた。
「……アルは、いつも違う所を見てる」
「違う所って?」
「何処かは分からない。でも、私達が見つめている所よりも遥か先のどこか。自分がどれだけ傷ついてるかも知ってるのに、それでもアルは遥か先にある何かを見据えてる」
「…………」
何も言えなかった。まさにその通りだから。
――アルは憧れに囚われている。だからこそいつだって到底手の届かない、遥か先にいる英雄に手を伸ばしていた。自分の事なんかどうでもよくて、アリシアを救うって思いながらもそんな余裕は無くて、いつだって早く英雄になりたいと望んでる。もちろん今だって。
きっと、全ての理由を「英雄になりたいから」で片付けてるから。
「そうかも知れないな。俺は自分がどれくらい傷ついて、血を流してるのかも知ってるのに、いつだって英雄の事ばかり気にしてる」
ふとお腹の方に手を回したアリシアの手を触れる。とっても温かい手を。
アリシアを、全ての人を救いたい。その気持ちに嘘はない。だけど自分の中のどこかで食い殺したはずの自分が吠えているんだ。自己満足の為に英雄になりたいんだって。
「どうして、そこまでするんですか」
「そうだな……。英雄に、憧れたからかな」
憧れたはずだ。心の底から憧れて自由奔走に人を救う背中を目指したはずだ。なのにいつからこんな捻れ曲がった道に迷い込んでしまったのだろう。
そう答えるとアリシアの体は震えて。
「……死なないで」
「うん?」
「もう、私を独りにしないで」
「…………」
突如聞こえた切実な願い。
きっと過去に壮大な物語があるからこそそんな言葉が出て来るのだろう。唯一の心の拠り所が失われる辛さ。それはよく理解している。
でも、アルだって全く同じ事を思ってるのだ。
「俺は絶対に死なない。アリシアを救いたいから。それに――――俺だって独りになるのは嫌だから」
「えっ」
「俺ももう独りにはなりたくない。アリシアとは、離れたくない」
アリシアがアルを心の拠り所にしているみたいに、アルだってアリシアが唯一の心の拠り所なのだ。一度粉々に砕け散った心を誰よりも預ける事が出来る、アルにとって何よりも大切な人。それがアリシア。
抱き着いた手に触れると体を震わせる。
「アリシアを置いていなくなったりなんかしない。独りになる辛さは、死にたくなるくらい知ってるから」
「アル……」
病室でいつも孤独で過ごす時間。それがどれだけ嫌な物なのかは知っている。その痛みを知っているからこそアリシアの気持ちが凄く理解出来た。だから絶対に独りにはしないと言える。自分の知っている誰かが自分と同じ思いをするのは嫌だから。
――タイミングは悪いけど、過去について聞くなら今しかない。
そうして振り返った。
するとアリシアはアルの真剣な眼差しで何を聞かれるかを察してすぐに覚悟を決める。だからこそハッキリと言った。
「教えてくれるか。アリシアの過去を」
「…………」
アリシアを救う。神器の定義からかけ離れている真実を知る。今はその二つだけを目標に動いている。そしてこの場に来たのは神器について手掛かりがあると思ったから。――そして、アリシアとこの話をしたかったから。
正確にはフテラもいる訳だけど、人の言葉を完全に理解出来る訳じゃないのだから問題はないだろう。
アリシアだって複雑な心境のはずだ。救われたいけど過去は話したくない。でも、人はただ身の安全だけ確保されたからって救われる訳じゃないのだ。心の底から救ってこそ、本当の救済と言えるんじゃないのか。
するとアリシアは手を胸の前に持って行って両手で握り締める。
「っ……」
やがて奥歯を噛みしめた。
話したくない事はあって当然だろう。アルだって家族でさえも異世界人なんだって事は隠したままであった訳だし。
大きく戸惑い数歩だけ後ろに下がった。それから不安定に揺れる瞳でアルを見つめると淡々と喋り始める。
「私は――――」
でも、既にそこから言葉が引っ掛かって声が出なくなる。
……いくら距離が縮まったからって「自分の全てをあげる」なんて事は絶対になる事は無い。アリシアだってアルは“ただの心の拠り所”であって、“全てをあげるに足る人”じゃない。
「その……」
だからこうなっても当然だ。アルだってきっと正体を聞かれたって答えられないはずだから。この人は心の底から信頼できるかどうか。それがアリシアを救うに当たって最大の難所。
いくら英雄に導かれたからってそれが簡単に突破出来る訳でもない。
アリシアが今の所言ってくれてる過去の性質上、人間性や心の余裕さ、それが今後の全てに関わって来るだろう。
「えっと、あの……」
つまりまだアリシアはアルを心から信頼しきっていない。今はただ仲間として認識してくれてるだけ。それでも好意を向けられてる事は間違いけど、重い過去を持っている人ほど容易に過去を話さないのは当然の摂理だ。
勇気を振り絞っても言葉が出ない時なんて何度でもある。実際前世でも似たような経験は何度もして、最終的には話せなかったし。
故にアリシアの頭を撫でると少しだけ詫びる。
「……ごめん。まだこの話は早かったかな」
「そんな事ないんです! ただ……ただ、私が臆病なだけで……」
「いいよ。言えない秘密は誰にだってある物だから。今は何か手がかりがないかを探そう」
「……はい」
今一度アリシアがどれだけ壮絶な過去を持っているのかを確認しつつも作業に戻る。いつか話せる時が来ればいいなって願いながら。
その時だった。洞窟――――いや、街全体をも揺るがす程の地鳴りが周囲に行き届いたのは。




