第一章2 『少年の憧れ』
あれから十年。歳で言えばもう小学四年生辺りだ。振り返ってみれば神速で過ぎ去った十年はとても色濃い物で、それらはアルフォード――――いや、最早アルというあだ名が本名みたいになった彼にとってはかけがえのない宝物だった。
様々な事を試しては色んな事に興味を持ち、その度に母から叱られ父からは褒められる。そんな楽しい生活を送っていたのだ。
歩ける様になってからは行動範囲が増え、鍛冶場に入ってはその熱さにやられて倒れたり、外に出ては石につまづいて顔面から地面に突っ込み、階段を上ろうとすれば足を滑らせ派手に怪我をした。……それに至っては父も若干引くくらい。
でも決して諦める事はしなかった。
何としてでも鍛冶場に入ろうと水を被って入ったりもしたし、足元だけを見て外を歩き、四つん這いになって階段を上ったりと、沢山工夫した。まあ最後のは結局また滑って父にキャッチされたのだけど。
文字が書けたり読める様になれば沢山の本を読んで一気に言葉を覚えた。時には父の協力を得て魔道書を盗み見て激しく叱られた。
アルは決して強い訳ではなかったけど、それでも魔法を使おうと練習し始める。どうやらこの世界の魔法は詠唱によって効果を発揮するのではなく『マナ』という物質を使って魔法を引き起こすらしい。
水を生成するのなら水素を集めるイメージ。炎を生成するのなら摩擦などで起きた火種が酸素によって大きくなるイメージ。魔道書に酸素や水素と普通に書いてある辺り、この世界の科学レベルは思ったより高いのかもしれない。
科学レベルと文明レベルが明らかに噛み合っていない事には流石に疑問を抱いたけど。
でも、いくら諦めが悪い(と父から評価された)アルでも魔法に関しては挫折せざるをえなかった。何故ならアルにはマナが使えないらしくて、根本的な問題として魔法が操作出来ないかららしい。それを聞いた時に初めてこの世界で絶望した。
だからと言って剣術の腕がいい訳でもなく、チートよろしく状態でもなかった。これも異世界に転生した代償なのだろうか……。
走れる様になれば魔術の道は完全に諦め体力を付ける為に沢山努力した。生前で走れなかった分、外で自由に走り回れるのが何よりも嬉しかったのだ。
もう病気やベッド、そして点滴に縛られる必要もない。
何でもできる。自由だ。心からそう思い飛び上がる様に走り回った。相当嬉しかったのだろう。気が付けば夕方になるまで走り回っていた時もある。
一度は夢見た「筋トレ」も毎日こなした。だからと言って腕立て伏せは十回も出来ない訳だけど。まぁ、年齢がまだ六歳とかその辺りだから仕方ないといえば仕方ない。その後筋肉痛で痛い目を見たのでしばらく止める事になったのはまた別のお話。
それから父と色んな所へ行く様になる。鍛冶をして剣を売っていて、それもかなり鋭い切れ味を誇っているらしいから立ち寄った冒険者が買うらしく、ちょっとした冒険ならすぐにできたのだ。
だからこそ父とは色んな所へ“冒険”しては沢山の光景を見る。
それは見渡せば水が流れる水の都。
それは天を突く様に高くなった巨大な山。
それは海の様に大きな湖。
それは綺麗な虹を描くおおきな滝。
その他にも酒場や宿に立ち寄る冒険者から旅の話を聞くのが大好きだった。時には暑苦しい冒険者から情熱の話を聞き、時には美少女の冒険者から(割って入って来た父と一緒に)魔法を教えて貰う。
彼らから聞く冒険の話はどれも魅力的な話ばかりで、アルが冒険者に憧れる様になるのはそう時間を必要とはしなかった。
立ち寄る冒険者から話を聞く内にそれが習慣となってしまい、夜になれば必ず酒場へと向かい話を聞き、どさくさに紛れて奢ってもらったりもした。
冒険者の方も自分達の話を聞き入るアルを気に入ったみたいで定期的に村へ寄ってくれる様になる。隣町じゃ「自分達の冒険の話を熱心に聞いてくれる子供がいる」と噂になったりもしたらしい。売り上げが右肩上がりでありがたいって酒場のおじさんも喜んでいた。
そんな時だった。父がとある英雄譚を持って来たのは。
英雄譚には様々な物語が書かれていて、アルは冒険者の話と平行して英雄譚にも熱中する事にもなる。ちなみに英雄譚で歴史も少しだけ学んだ。
何よりも好きだった物語は世界を救った大英雄の物語。
三百年くらい前。《世界衝突》なる現象によって世界は終焉を迎えたという。本来干渉出来ない別世界との交錯。それはあっという間にして世界の五割を書き換え、同時にその五割を消滅させた。
二つの世界が重なった事で互いの世界は敵対関係になる事に。互いに領土を奪おうと世界を巻き込む大戦争が勃発し何億人もの命が犠牲となる。
だがそこに一人の英雄が立ち上がった。その英雄は自らの力を代償に戦争を終わらせ、世界を平和へと導いたのだ。己の命をも惜しまない犠牲で二つの世界は均衡を保ち始め、後に人々はその英雄を世界の救世主と呼び《大英雄》と称えた。
そうして、大英雄は今も救世主として称えられている。
……かなり省略した話だけど、アルはそんな大英雄に憧れ、生前でも同じ様な背中に憧れていたと過去の記憶を想起させた。
だからこそアルは決めた。例え選ばれなかった者であっても英雄を目指そうって。
その憧れの中で父が言ってくれた言葉で更に熱が籠る。
「アル、いいか。掴みたい物があった時、それに向かって全力で手を伸ばすんだ。それでも届かない時はもっともっと、腕が千切れちゃいそう~ってくらい伸ばせ。それでも届かなくても絶対に諦めちゃ駄目だ。自分が底から憧れた物なら絶対にな」
諦めちゃ駄目だ。その言葉がアルの憧れを加速させては心から焦がれた。「英雄になれればいいな」って願いは「英雄になりたい」っていう願いへ昇華し、その為なら絶対に諦めないという覚悟を抱かせてくれる。
だからアルは絶対に諦めようとはしなかった。その手で理想の憧れを果たして見せたいから。心の底から焦がれ憧れてしまったから。
それからは鍛冶の手伝いをしながらも英雄になる為に全力で努力する日々が始める。無茶を押し通し過ぎて倒れてしまう日もあるけど、その度に両親はもちろん隣の家にも心配されながらも“笑顔で”応えて昇進し続けた。
村全体のお手伝いを筆頭に頼み事を引き受け、対価や見返りなんか求めず心から喜んでそれらを引き受ける。
……嬉しかった。誰かに頼られるのが。
生前は頼ってばっかりだし、あんな体なんだから誰にでも頼られる事は無かった。だから頼られると自分が誰かの役に立っているんだと実感できて凄く楽しかった。
たったそれだけで幸せだった。これまでにないくらいに。村のみんなと笑い合って暮らすのは凄い楽しいし、家族と触れ合って愛情を与えられるのも凄く満たされた。このまま死んでも後悔はないってくらいに。
一生をかけても出来なかった心からの笑顔が、この世界じゃ僅か九歳にして出来る様になっていたのだ。ここまで幸せだって思った事は生前じゃ一度だってなかったと思う。
きっとこの為に転生して来たんだって何度も思う時があった。アルはみんなを助ける為にこうして転生したんだって。
そう思う事で自分に意味があると実感する事が出来たから。
ここまで英雄に憧れ満たされたのには、存在する意味が欲しかったからだろう。何の為に存在しているのかも分からない前世の自分。そしてみんなに必要とされている今の自分。そう比較すると自分がどれだけ求められているかは明確になる。
でも、それと同時に前世の自分がかけ離れている様な気もした。
比較する度に過去の自分と今の自分が分離していく。名前という“存在”を奪われた事で現代に生きていた自分は死んでしまい、そこから派生して生まれたのがアルフォードという名を持った新たな自分。そう感じる事が多くなった。
だからそれから逃れる様にもっと英雄になる事へ集中した。
そんな風にして奔走しているアルを見て憧れたのだろうか。気が付けばアルの後ろを追いかけて来る仲間が増えていた。友達として仲良くなった四人は【英雄少年団】とかいうグループを立ち上げ、村をもっとも盛り上げようと、もっと人助けをしようという方針で動き始めた。
成り行きでリーダーへと押し上げられたアルはみんなを先導しながらも村を駆け巡り、それからはみんなで楽しく英雄を目指す日々が始まった。
そんな行動を十歳の少年少女が起こしたと話が広まった時は流石に父にもびっくりさせられたけど。
仲間が出来た事によってアルの心はより一層軽くなり、更に前世の事を忘れて今を燃やし尽くそうとこの世界に熱中した。
けど、時々激しい虚無感がアルを襲う。
やっぱり怖いんだ。前世の自分が分離してしまう事が。
自分が自分じゃなくなってしまう様な気がして、そう感じていても尚憧れは諦めきれない。だからこそ迷いながらもアルは自分の選んだ道を突き進もうと足を動かす。
そんな悩みは誰にも話せるはずがなく、この事はアルの胸の中に抱えて生きていく事になった。誰にも話せず自分でもどうにも出来ない。そんな人は英雄になれるのかと問い続けながら、アルは道を歩んで行ったのだ。
決して諦めきれない憧れも抱えたまま。
日々努力し続けていると日にちが経過するのも早く感じ、その度に精神面は強くなっていった。だからみんなを導く事が出来るし、ノリ的な感じじゃガキ大将みたいなポジションに立つ事が出来る。
でも、だからこそあんな事が引き起こってしまったのかもしれない。
アルが英雄に憧れてしまったからこそ、もう一度絶望する事になってしまう。
そう。英雄に憧れてしまったせいで。




