第一章22 『名前と名前』
己の信念を貫くが為に血に塗れるその姿――――。
自身の弱さを知っても尚、かつて憧れた物を目指し修羅の道を行くか。
だが、お前のその血塗れた掌では何も守れないだろう。人を殺めたその掌では、誰も救う事は叶わない。かけがえのない者でさえその手で壊し尽くすだろう。
愛する者も憎む者も、憧れ目指した夢も無くし、何もかもが朽ち果てた世界で、ただ一人泣き喚くがいい。
それこそ、お前に相応しい結末よ。
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「ん……」
目覚めると、目の前に映ったのは木製の天井。どこかと思い周囲を見渡したので察した。ここ、アル達が泊まっていた宿だ。
彼女を抱きしめた所からの記憶が全くない。というか不自然に途切れているから少し妙な感覚が訪れる。
――終わった、のか?
起き上がると右手に誰かの手が握られている事に気づいて、手の先を視線で辿る。その先にはアルのいるベッドに突っ伏しながらも眠っている彼女がいて。
……あの時、アルが絶望の渦に呑まれていた時、彼女の声だけが唯一の救いだった。きっと彼女が声をかけてくれなければアルは死んでいただろう。あの温かい声だけが震える心を優しく包んでくれていたから。
「よかった」
彼女の頭を優しく撫でる。
アルがここにいるって事は戦いは終わったのだろう。誰も死ななかった訳じゃないけど、それでも防衛には成功したはず。
撫でていると表情が緩くなってはもっと撫でてと言わんばかりに頭を動かす。
――あの大罪教徒……。
でも脳裏に浮かんだのは名乗らずに彼女を攻撃していた謎の男。他の大罪教徒とは違って顔を出し、普通に喋っていた所を見ると、彼は他の奴らとは何かが違うのだろう。それも殺してしまったのだから確認の仕様がないのだけど。
考えるべき事は沢山あると思う。気にしなきゃいけない事だってまだまだあるだろう。
だけど今は彼女を守り切れた事だけが何よりも嬉しかった。
そうして頭を撫で続けていると彼女は目覚めて。
「ん、アル……」
「おはよう。でいいのかな」
最初はうとうとした瞳でこっちを見ていたのだけど、やがてハッキリ目が覚めると咄嗟にアルの体へ抱き着いた。
いきなりそう来るからびっくりしてベッドに倒れ込む。
「……っ!」
「ちょわ!?」
あれ、確か彼女って男みたいな名前を付けられたからって思いっきり距離を突き飛ばしてなかったっけ……。アルの中で彼女の認識は完全にツンツンしていたから飛びついて来た事に凄く驚愕する。
だって強く抱き着いては本当に嬉しそうに顔を擦りつけているのだから。
「えっと、どうしたんだ? いつもならこんな事……」
「まぁ、その、ちょっとした心変わりがありまして」
何かしらの理由があるのだろうけど、彼女は一切顔を見せずにその理由を説明した。まぁ、その顔を見せない理由って言うのも耳が真っ赤に染まってる事で察するのだけど。
「……あの時、アルに助けられました」
「ああ。だって助けるのは当たり前の事だろ?」
「それが―――――んです」
「……えっ?」
でも最後に言った言葉が小さくて聞き取れなかった。
つい聞き直してしまうのだけど、彼女は少しの間だけモジモジして更に耳を真っ赤に染めてはハッキリと大きな声で言う。
「だから、それが嬉しかったんです! 心の底から!! ……何度も言わせないでください!」
すると今度は顔を近づけて言う。さっきから妙に落ち着きのない彼女をなだめて落ち着かせると、また顔を見せずにアルの胸へ顔を擦りつけた。そうして何だか感情の騒がしい彼女を見ている内にアルのエンジンも掛かって来て調子が出て来る。
きっと自分が知っている人間の件だろう。その予想は見事に当たって彼女は淡々と語り始めた。それも自分の過去も含みながら。
「……私の知ってる人間は自分の為に全てを使う人です。みんな、自分に必死で他人に構う余裕なんてない。だからこそ助けを求める人がいても助けてくれない」
「――――」
「人間不信、って言った方が分かり易いかも知れないです。だから私は常にアルの陰に隠れてた。……でも、あの時、アルは自分の方が傷だらけになって、もしかしたら死んじゃうかも知れないのに私を守ってくれた。それが嬉しかったんです」
「――――――」
それは違う。そんな言葉が零れかける。
アルだって彼女の知っている人間と一緒だった。あの時に自分が追い詰められて、絶望して、自分を守る事しか出来なかったのだから。
彼女を守れたとは言ってもそれは結果論でしかない。その過程でアルは彼女の事なんか忘れて自分の事だけに必死だった。
……英雄を始めようと思っても過去の行いが消せる訳じゃない。二人の自分を食い殺しても、その二人の歩んだ道は絶対に消えてなくならないのだ。
だからこそ過去も今も背負って歩いて行かなきゃいけない。英雄になりたいと叫べるのなら尚更。
「アルの背中を見た時、凄い悲しい物を背負ってる様に見えた。きっと苦しんでるんだって、すぐに分かった。でもアルはそんな中でも私を守ってくれました!」
「ああ、そうだな……」
「――自分は英雄じゃない。道化の仮面を被った出来損ないだ。そう思ってたんですよね」
「っ!?」
急に思考が読まれるから驚愕する。あの時の考えは口に出てないはずだ。なのにどうして彼女がその事を――――。そんな疑惑はすぐに解消された。
彼女はアルの頬に手を触れると優しい瞳で言う。
「私達は神器で繋がってる。だから、たまに互いの思考が繋がって相手の意志が分かるんですよ」
「…………」
「英雄じゃないなんて事ないです。アルは私を命懸けで守ってくれた、立派な英雄ですから」
その言葉に何も返す事が出来ない。だって、アルは本当に英雄なんかじゃないから。思考が繋がっているなら彼女も分かっているはずだ。アルがどれだけ自分自身に必死だったかを。
……それなのに彼女は英雄だと言い続けた。
「そんな事、出来てない。俺は――――」
「それでも私を守ってくれた事実だけは絶対に揺るがない。大丈夫です。自信を持って」
いいのだろうか。自信を持って。あれだけ「英雄に憧れた」とか「憧れは止まらない」とか言っておいて、いざ戦いが終わるとこれほどなまでに弱気になる。それ、英雄と言えるだろうか。
でもそう言われていたからこそ自信が持てるようになる。
「……英雄に、なれるかな」
「なれます! だって既に私の英雄なんですから!」
「英雄……」
誰かの為になりたかった。それが前世から引き続き受け継いだ願い。でもその願いがたった今叶ったのだとしたら――――。
自信を持っていいんじゃないのか。彼女がここまで言ってくれるんだから、自信を持たなきゃ。
「……っ!」
「アル?」
目を瞑って頬を思いっきり叩きつける。それも頬が真っ赤になるくらい全力で。
馬鹿か自分は。いいや馬鹿だ自分は。元々自信満々で英雄を目指したのに、何で今になってその自信を無くしてしまっているんだ。子供の頃は何も恐れないくらいの覚悟で色んな事に挑めていたじゃないか。
それは今だって変わらないんじゃないのか。
幼い頃の憧れを取り戻すんだ。
「あのさ」
「はい?」
何も恐れない。何も怖がらない。恐れるべきなのは何もしない事だ。何もせず何も出来ない事の恐ろしさはずっと前から知っているから。
アルは真剣な眼差しで彼女の瞳を見つめる。
すると彼女は少しだけ頬を染めてアルの瞳を見つめ返す。
「前に言ってた、名前の件なんだけど」
「……はい」
初めて名前がないと聞いた時は驚いた。そして自分と同じだからって変に共感してそのまま放ったらかしにしていた。だからこれは、その時に彼女へ与えてしまった違和感を晴らす為の言葉。
自分が異世界人であると証明しようと口を開いた。いつまでもモヤモヤさせた気持ちにさせるのは後味が悪いから。
だけど唇を人差し指で押さえると言って。
「俺は、実はこのせか――――んむっ」
「……名前、付けてくれませんか?」
「えっ? ……えっ!?」
何で遮ったのかは分からない。けれど今は何よりも驚いた。
前に名前を付けてあげようと思ったら自分の名前を思い出したいからと否定していたから驚愕する。どうして今になって名前を欲しがったのだろうか。ジンって名前が嫌だったから?
と、そんな憶測を立てるも彼女は完全にいつもとは違う柔らかい表情で続けた。
「アルは私にとって心から信頼出来る人なんです。だから、私の名前はその信頼できる人に付けて貰いたい」
「で、でも前に自分で思いだしたいからって……」
「確かにそう言いました。でも、アルと一緒にいる内に考えが変わったんです。この人に名前を付けて貰いたい。そう思えるくらいに」
もう彼女の瞳には前みたいな曇りはない。今は足元の泥を見る様な瞳じゃなくて、遥か彼方の青空を見つめる瞳をしていた。だからこそ理解する。彼女は本当にそう思ってるんだって。
するとまた考えを読んだ様に言う。
「名前、ずっと考えてたんですよね」
「へっ!? な、何でその事を!?」
「隠すのが下手過ぎです。いつも私が寝てから一人静かに名前を考えてたの、知ってるんですよ? ……ずっと、助けたいって思ってくれてたんですよね」
何もかも見通されてる気がして肩を落とす。……確かに、いつか彼女に名付ける事があったなら今度こそちゃんとした名前を付けようって思っていた。
でも名付けるって事は一つの存在を生み出すって事にもなる。そして過去の記憶を持ち名前を忘れた人にそれをするって事は、過去の自分と今の自分で分離させるって事にもなってしまう。だから彼女がそうなってしまう事が怖かった。
なのに彼女は自ら名前を望んできて。
「俺なんかでいいのか……?」
「アルでいいんです。アルじゃなきゃ嫌なんです」
「そ、そっか。じゃあ――――」
初めて存在を生み出す訳だから少し緊張する。でも彼女は今から付けられる名前を楽しそうに待っていて、綺麗な翡翠色の瞳でずっとアルの事を見つめ続けた。
ずっと考えていた。彼女にはどんな名前が似合うだろうかって。
彼女には何か壮大な過去があり、その過去にいた英雄はアルを導いて彼女を引き合わせてくれた。どうしてそうなったのかなんてもちろん分からない。だからその真実をずっと知りたかった。探す当てもない真実を。
真実。それが彼女に名付けた名前の意味。ギリシャ語でアルティアと言い、それに由来する英語の名前は――――。
「……アリシア。で、どうかな」
「アリシア?」
「うん。アリシア」
すると彼女は何度か「アリシア」という名前を繰り返しては口に馴染ませた。後に一回だけ頷くとアルに笑顔を向け、眩ばかりの表情で言った。
「ありがとう、アル!!」
そんな眩しい笑顔を見て思い出す。かつては自分も同じ様な笑顔を普通に見せびらかしていたんだなと。彼女の――――アリシアの表情を見ただけで分かる。今、心の底から救われてるんだって事を。
その他にも潤んだ瞳で抱き着く動作でどれだけ嬉しがっていたのかが目に見えて分かった。
だからそんな彼女の頭を優しく撫でる。
次の瞬間、アリシアの感情が流れ込んできて。
――これ、アリシアの感情……?
これがさっき言ってた思考が繋がるってヤツなのだろうか。何か、いきなり流れて来るから妙にびっくりする。
でも、その言葉は色んな感情を引き連れて来た。
今までずっと孤独だったからこそ抱いた絶望。そんな中でアルが現れてくれたからこそ抱いた希望。自分と願いが似ていて、何もかもを失ったからこそ彼女は手を差し伸べてくれたんだ。
自分と同じように望み過ぎて破綻し、何もかもを失った。それでも憧れを諦めきれない覚悟。アリシアはまだ英雄になりたいと叫ぶアルを見て、この人なら本当に救ってくれるかも知れない。そう思ったからこそ契約してくれのだ。
そして森の中でアルが抱いていた絶望。それらは全てアリシアに繋がっていた。だから励ましてくれていたのだけど、アリシアはそこでもアルの覚悟に憧れる事になる。
現実に思い知らされ打ちのめされても尚諦めない心強さ。ソレに強く惹かれた。
折れない訳じゃない。折れた上で、ボロボロになり、心を磨り減らし、それでも見苦しく立ち上がる。そんな背中を見て憧れた。
そして、今まで誰も救ってくれなかったのに対し、彼は命を賭けて救ってくれた。だからこそ彼に心の底から信頼できると思ったのだ。
ずっと誰かも分からない存在の中で迷い続けていた。思い出したくても思い出せないから。
故にアルに名前を付けて貰って喜んでいた。ようやく「アリシア」という今の自分今の自分を見付ける事が出来たから。
「……ずっと、辛かったんだな」
「えっ?」
一部ではあるけど、アリシアの感情を受け入れて奥歯を食いしばる。
今までこんな辛い思いをしていただなんて気づけなかった。だから自分を責め続ける。どうして気づけなかったんだって。
彼女の体を抱きしめると言った。
それもたった今出来たばかりの仮初の覚悟を。
「もう大丈夫。――俺がいるから」




