第一章21 『英雄を始めた少年』
黄金の剣と錫杖が激突した瞬間、錫杖は壊れずにアルの刃を受け止めて見せる。だからびっくりした。まさか神器を受け止めるだなんて思わなったから。
すると錫杖を巧みに操りながらも剣を弾く彼は言った。
「その剣……。なるほど。そう言う事ですか」
でもアルはそんな言葉を聞いている余裕なんて全くない。今でさえ限界を通り越して足元が覚束ないというのに、奴の話なんか微塵も耳には入って何かいなかった。
アルの攻撃を彼は全部躱しきり、それどころか反撃して軽く微笑む程だ。
だからこそ口の中には焦燥の味が広がっていく。
「しっかし、その神器を持っているのにその動きとは呆れますね」
「呆れ……!?」
「例えばここ!」
すると彼は錫杖の刃が付いていない部分でアルの四肢を攻撃し始める。まずは二の腕を突いては何度か叩いて態勢を崩させる。その次に脇腹を突いては頬を遠慮なしに叩きつけた。
「まず剣の振り方がなってない。それじゃあ動きを先読みされますよ! そして腋も閉まってないし、バランスを崩した足の取り方も余分な動作が多すぎる! 視線も色んな所を見過ぎて相手の動きに対応出来ていない!!」
「っ!!」
「動きは素人その物だし動作も雑。技術がなければ才能もない。剣術さえも使えない。転機の見切りがあるかと思えばその見切りさえもままならない。どうして彼女は貴方なんかに神器を託したのか、疑問でたまらないですね」
きっと楽しみながら嬲り殺すのが目的なんだろう。彼はアルの口や鼻から血が飛び出る光景を見て少しだけ楽しんでいるみたいだった。何度打ちのめしても立ち上がるアルを見て口笛を吹きながら更にぶちのめしていく。
刃が付いている方を向けてはわざと掠めさせて血を吹きださせる。
最後に腹を思いっきり付いて吹き飛ばすと言った。
「くっ……そ……!!」
「ほぉ、凄い頑丈さですね。普通なら立ち上がれなくてもおかしくないのに」
「絶対に、負けられないから……ッ!!」
「その信念だけは評価できますね」
剣を握り締める。そうだ。絶対に負ける訳にはいかない。彼女を守る為に。みんなを守る為に。自分すらも救えない出来損ないだけど、それでも何もかもを失ったからこそ信念は強いはずなんだ。――アルはそう信じている。
だからこそこんなところで倒れる訳にはいかなかった
「けどそんな満身創痍で何が出来るんですか? ――何も出来ないクセに」
「――――っ」
その言葉は刃となって心に突き刺さる。
何も出来ない。それはアルを絶望させるに足る言葉であって、そう言われた途端に体はピタリと動かなくなってしまった。
「ちが……」
「違くないじゃないですか。現に強くもないのに助けに来て、こうしてやられて、助ける事どころか自分の身を守る事すらままならない状況で戦ってる。よくこの現状で何かが出来るだなんて本当に思う事が出来ますね」
「――――っ」
彼の言う通りアルはそこまで強くなんかない。動きは雑で素人だし技術がなければ才能も無く、剣術さえも使えないし、隙の見切りさえもままならず、とてもじゃないけど神器を手に取るに足る人物じゃないだろう。
その証拠にフィゼリアとかウルクスやライゼは普通に戦えていた大罪教徒に大苦戦した。先頭に立ったくせに並み程度に戦う事なんか出来ない。
今まで生き残れたのは神器のおかげだろう。
「戦ってこれたのもその神器が強すぎただけ。決して貴方自身の力なんかじゃない。ただ強い武器を貰っただけの子供。所詮はごっこ遊びを続けてる子供に過ぎないんですよ」
子供遊び――――。確かに、その言葉が正しいかも知れない。
今まで剣を振って来たのもきっと形をなぞりたかったから。英雄になんてアルみたいな出来損ないがなれるものじゃないのは知ってた。だからこそ形をなぞって英雄になった気でいたかったんだ。
……ずっと、ごっこ遊びを繰り返していた。前世では何も出来ずに死んだ。産んでくれた親に何かを返す事も出来ず、誰かに迷惑をかける事しか出来ないまま。
この世界でもそうだ。好奇心旺盛を被っては色んな人に迷惑をかけ続けた。笑って過ごしてくれたのだってきっと子供だったから。
何も出来ない出来損ないは何をしても変わらない。例え生まれ変わったとしても。
「ちが……。俺は、ずっと……」
何も出来ないからこそ何かが出来るフリをして自分を正当化してた。頑張ってるんだって。何も出来ない訳じゃないんだって。自分は変わったんだって。
でも、何も変わる事は無かった。
人を笑わせられる様な英雄になりたい。そんな道化の仮面を被り演じて来た「アルフォード」という自分は、出来損ないだったからこそそんな自分を殺したかった。
――違う。違うんです。
「違くない。じゃあ今私に貴方の刃を通す事が出来ますか? この世界は意志だけで何かが変わる訳じゃないんですよ。貴方はそれを知らないだけ」
人間の底は何をしたって変わらない。……彼女の言う通りだったのかもしれない。自己の為だけに全てを使う。所詮アルもそんな人間って事だ。
出来損ないの自分が何かを出来てるって思いながら道化の仮面を被り、みんなを笑わせ、自分はちゃんと出来てるんだって自己満足に浸かる。アルもそんな最悪の人間の一人。
――そんな人じゃない。アルは心から英雄に……。
「君は私に敵わない」
「っ!?」
ふと腹に強烈な蹴りを食らう。蹴られた直後に体は矢の様にして飛んで行き、やがて大きく土埃を上げて地面に激突する。
もう、体が動かない。現実を思い知らされて、彼に、世界に打ちのめされて心が悲鳴を上げているんだ。雑魚なクセに先陣を切って英雄気取り。そりゃ、そんな戦い方を続けていれば破綻するのは当然だろう。
「違う。俺は、英雄に……」
「何があってそんなに絶望してるのかは知りませんが、そろそろ潮時なのでね」
彼はそう言うと錫杖を振り上げた。きっとこのまま首を落とされて終わりだろう。アルフォードという人生も、これで終わり。
……それでいいのか。
何も出来ないのを、出来損ないなのを認めて。認めたからって諦めて。
「アル!!」
もう分からない。自分が何をしたいのかさえも。
英雄に憧れて仮面を被ったのも出来損ないの自分を誤魔化す為で、本当に心から憧れたのだろうか。本当は自己満足に浸りたいからなんじゃないのか。
そもそも物語の英雄に憧れたのは誰かを救う背中に憧れたからじゃない。何者にも縛られず、ただ自由奔走に思うがまま自分のやりたい事を実行する。そんな背中に憧れたからで、人助けの背中は影で憧れたに過ぎない。
自由になれればそれでよかった。外を走り回って、みんなと笑い合って、楽しく過ごせればそれでよかったんだ。ただ、自由になったのなら英雄も目指そうと思っただけ。そう思う自分の背後にいた出来損ないの自分を殺したかったから。
この世界で生まれたアルフォードという「自分」は何かが出来るんだって、そう言い聞かせた。……最初は何かが出来ると思っていた。でも全ての行動は必ず“本心”ではなく“被った仮面”に繋がっていく。だからその“被った仮面を本心だと思い込む”事で自分は自由奔走の英雄気質を持った少年なんだって自分に錯覚させた。
でも、そう続ける事でアルフォードという「自分」と前世の「自分」は分離して完全に二つの人格と別れてしまう。
だから、これはそんな二つの自分を食い殺す覚悟の現れ。
ずっとあの声が止んでくれない。諦めるなという父の残した言葉だけが、今もずっと頭の中で繰り返し再生されている。どれだけ諦めようとも絶対に消える事は無い、鈍い光を放った記憶の鎖。それは逃げようとするアルを縛り付けて修羅の道へと何度も引きずり戻す。
何度も何度も。逃げようとしたアルを。
自分を否定し殺す。そして何度も逃げたくなる修羅の道を歩む決意。それがアルの覚悟。きっといつか、どこかに辿り着く事が出来るから。それが英雄であっても、大悪党であっても、信念を貫いて突き進んだ事には間違いない。
何度も挫けて迷った。この道の果てに何かがあると信じて、足掻き続けては倒れて折れて、その度に這い上がって走り続けて、終わりない荒れ果てた荒野を進み続けた。
それが例え道化の仮面を被ったからこそ生まれた道だったとしても、出来損ないの自分が嫌だったから自作自演の為に用意した道だったとしても、元々は一つであった「自分」が心から英雄に憧れた事だけは絶対に揺るがない。
「それではさよならです」
「アル!! アル――――!!!」
涙の零れる音がした。
その時、壊れて動かないはずの心が大きく動き始める。
「っ!!」
「なっ!?」
振り下ろされた錫杖を弾き立ち上がった。
諦めたはずのアルが立ち上がった事に彼は驚愕し、今まで微動だにさせなかった頬をピクリと動かしては目を丸くする。
「……まだ、抗うんですか」
「ああ。確かに俺は弱い。雑魚なのも知ってる。出来損ないなのも。でも、俺は英雄に憧れたんだ。だからこそお前に立ち向かわなきゃいけない」
食い殺すんだ。自分自身を。
今こそ弱い自分を食い殺して新しい自分の養分にする時。抗い続けるんだ。道化を被った自分に。出来損ないの自分に。そして世界そのものにも。
どれだけ荒れ果てた修羅の道なのかは知ってる。そしてそれを歩むのがどれだけ辛い事なのかも。
だから声の限り、息の続く限り、この鼓動が脈打つ限り、何度でも夢を見続けてはこの修羅の道を彷徨い続ける。きっといつかその先に辿り着く事が出来るはずだから。何度挫けても、何度折れても、そう信じて歩き続ける。
これは自分が定めた道なんだから。
「例え俺が道化の仮面を被っていても、何も出来ない出来損ないでも、それでもこの願いだけは、絶対に揺らぐ事はない!!」
「――――!」
その時、アルの瞳が眩く輝いた。
真紅の瞳は強い光を放ちどれだけの覚悟があるのかを彼に伝えて見せる。
「憧れは、絶対に止まらないから!!!!」
ふと、赤いペチュニアの花弁が舞う。
剣の内側から薄赤い光が出たと思えば大量の花弁が周囲に飛び散り、暗くなりかけていた周囲を眩く照らした。
するとそれを見た瞬間に彼は更に驚愕する。
「なっ、その光は!?」
「っ!!」
動揺する程の驚愕。その隙を突いて一気に距離を詰めて刃を振り払った。彼は間一髪で避けるのだけど、その瞬間に今まで切れなかった錫杖と背後にあった木々が全て真っ二つに切り裂かれては倒れていく。
そんな事になるだなんて思わなかったからある自身も驚愕する。
――何だコレ、花弁……?
でも今はそんな事を気にしている余裕なんてない。防戦一方となった彼をひたすらに追い詰め刃を振り下ろしていく。
やがて大きくバランスを崩すから瞬時に背後へ回り込み、振り向きざまな一撃をジャンプで回避して体を大きく回転させた。剣を振り回す度に赤いペチュニアの花弁は美しく舞い散り、そして儚く消滅していく。
そんな刃を彼の首に叩き込む。
「らああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!!」
「ぐっ!?」
少しの間だけ持ち堪えるもアルの刃は完全に振り抜かれ、彼の首は空高く待って血を撒き散らした。やがて鈍い音を立てて落下するとアルも力尽きて背後に倒れ込む。……もう何も出来ない。文字通り限界を遥かに凌駕して体が壊れたのだろう。
そして、倒れ込んだアルの体を彼女が受け止めてくれる。
少ししてから重い瞼を開けると、そこには大粒の涙を流し続ける彼女がそこにいて。
「……よかった、無事で」
そんな言葉が勝手に口から零れる。
全体的に見れば彼女だって無事な訳がない。だって皮膚は剥がれ酷い火傷を負っている訳だし。それでも今は彼女が生きている事、彼女を守り切れた事、それが何よりも嬉しかった。
すると彼女はアルの体を強く抱きしめて震える声で言う。
「もう、馬鹿……っ!!」
強く抱きしめる彼女の体温を感じて思った。ああ、人の体温ってこんなにもあったかいんだなって。彼女はアルの体に抱き着いてはすすり泣きを続け、こうして生きている事を何よりも喜んでくれていた。
だからアルも動かなくなりそうな腕を動かして彼女の体を抱き寄せる。
「よく、頑張ったな」
「……っ」
気が付けば周囲には大罪教徒がいなかった。理由は単純。アル達の下に大勢の援軍が来たから。ライゼ達はアルと彼女を見付けるなり周囲を警戒して陣形を組んだ。
その後、安全が確保された二人は馬車の荷台に乗せられた。ちなみにその時にアルを運んでくれたフリューハは楽しげに荷台を引いていたらしい。
そうしてこの戦いは幕を閉じた……のだと思う。まだ分からない事が多い。だから確定は出来なかったけど、一先ず戦いが終わった事だけは確かだった。
アルに抱き着いて嗚咽を堪える彼女を抱き寄せる中、脳裏である言葉を思い出す。
英雄になりたいって言う、純粋な言葉を。