第一章1 『転生』
意識がある。空気の匂いも、物に触れる感覚も、自分が生きているという感覚も。でも死んだんじゃなかったっけ。確か、家族に看取られながらも病死して、それで誰かの声が――――。
ふと目を開けてみる。
すると明るい茶髪をした女性がこっちを覗き込んでいて、何かしゃべりかけていた。
――誰だろ……?
口が開いていても言葉は聞こえない。いや、聞こえるんだけど凄くくぐもっては聞き取るのが難しかった。何が起こっているのかと首を傾けると赤髪の男もこっちを見ては女性と何かを話している。
助けられたのだろうか。でも看護師が髪なんか染めるはずがない。
となるとこの人達は一体……?
「―――――」
「――――」
そうしていると女性の方が自分の体を持ちあげて眩しいばかりの笑顔を向けた。男の方も筋肉質な腕を伸ばしては頭を撫でて来る。
さっきから謎に愛情を注がれる事に違和感を感じつつも口を開いた。
でも、
「うー。あぅ~」
聞こえたのは第三者の声。どこかにもう一人の声の主がいるのかと体を眼を動かしてみるけど、それらしい人はどこにもいなくて。
ここはどこ? あなたは誰? そんな事を言おうとしても上手く言葉が話せなくて、というより意味がある単語さえも口から出す事が出来なかった。そして聞こえるのは赤ん坊の様な声ばかり。
すると二人ともびっくりした様な表情を浮かべ、直後に少し話し合っては笑顔で抱きしめて来る。まさか生き返ったのはいいけど頭がやられたのだろうか。いや、でもそうだとしたらこんな思考さえも出来る物なのか……。
そんな憶測が飛び交う中で頬をつつかれる。
反射的に大きな指を掴むと男は嬉しそうに微笑んだ。
――指、でかい?
握った指は明らかに大きかった。男の年齢は三十代前半には見えるけど、自分だって歳は十七でも身長は平均的なんだから、大人の指を握ったってさして違和感はないはずだ。でも男の手は片手じゃ包めないくらいに大きくて。
「―――――」
「―――――――」
「――――」
今度は不思議そうな表情をしてこっちを覗き込んだ。
さっきから色んな表情をしては話し合う二人に違和感を抱き始める。というか、この現状にさえも違和感を抱く。
だって二人の服装はとても普通の服とは言えないし、例えるのならどこかの民族衣装と言ってもいいくらいだ。それに言葉だって全く聞いた事のない未知の言葉みたいだった。だからここは日本じゃないのかって憶測を立てる。
――まさか、ね……。
流石にそういう系の物語にハマり過ぎただろうか。これが俗にいう明晰夢って可能性だってあるのにそんな可能性が脳裏をよぎる。
でも、死を自覚した瞬間に聞こえたあの言葉が頭から消えなかった。
『君の願い、受け取ったよ』と言う言葉――――。あれは家族のものではないし、看護師のものでもない。そしてもちろん自分の声でもなかった。何もかもが遠ざかる中で唯一鮮明に聞こえた言葉だ。
まるで魂に直接語りかけているみたいに。
そんな事を考えながら、今がどうなっているのかの状況把握に努めようと決意を固めた。きっと“もしかしたら”の可能性があると思うから。
――――――――――
二か月後。状況は全て把握した。
どうやら自分は正真正銘の異世界に転生してしまったらしい。何故か記憶を維持したままこうして新たな世界へ降り立ってしまった。その事実を知るのにはそんなに長い時間は必要とせず、ただ、こうして受け入れるのに長い時間を費やした。
信じられないとか諸々そう言うのがあったのだけど、何より本当に最期の願いが叶ったのだから。
始めに見た二人が自分の両親らしく、言葉はまだ理解出来ないけど相当仲はいいらしい。母親の方は二十代といった所で、父親は三十代前半。そんな二人の間に自分は子供として生まれた訳だ。
それから二人からの愛情を込められて日々育てられている。
ここが異世界だと断定出来た要素は三つ。家の中に剣や武器が置かれていた事と、文字が自分の知っている文字じゃなかった事と、服装や言葉が明らかに地球の物ではない事。
まだ二人が何を言っているのかは分からない。こうして通常の思考は出来るものの、学習能力や言語能力は赤ん坊そのものみたいで、いきなり未知の言語を聞いている訳だから何をどうすればいいのか何一つ分からない。
そして、判明した事がもう一つだけある。
これは何度も試しては失敗した事だ。自分にとって何よりも大事な物で、命の次に大事であった物でもあって――――。
自分を含む関係のあった人の名前が全て記憶から消失していた。
織田信長とか夏目漱石とかの無関係な人の名前は記憶に残っている物の、家族の名前、友達の名前、そして自分の名前すらも記憶から全て消失していた。
覚えているのは物や数式等の知識だけで、“自分との関係者の名前は全て”思い出せない。
でも、そうだったからこそよかった事もある。どうやら自分は「アルフォード」と名付けられたらしく、過去の自分の名前を全て忘れてしまったからこそその名前を受け入れる事が出来た。
ただ、本来なら何も知らずに“正真正銘二人の授かった子供”としてアルフォードが生まれたはずなのに、こうして自分が割り込んで生まれてしまった事には度々罪悪感を覚えた。
でも、そんな事も忘れてしまうくらい二人は愛情を注いでくれた。それも過去の両親以上に。
――――――――――
やがて半年の月日が流れた。
最初はちゃんとこの世界の言語を話せるか不安だったのだけど、半年も同じ言葉を聞いていれば流石に話せるようになって来た。自国語に囲まれると慣れる~みたいな話は本当だったらしい。まぁ、赤ん坊の学習能力の発達があってこその事だろうけど。
まだパパとママしか言えないけど、それ以外の言葉も理解出来始めていた。
半年も経てば体も順応するみたいで、二人の教えもありハイハイは普通に出来る事が出来た。手助けがあれば歩く事もギリギリ可能だ。
体が動けば色んな所へ行ける様になり、家の中での探索が出来る様になる。
その度に母親から心配されるのだけど。
「こんな所にいたのね。もう、あまり遠くに行っちゃダメよ?」
「心配性だな。これくらい元気な方が強い子に育つんだよ」
「でも流石に元気過ぎると思うの。だってまだ半年よ? 大きな怪我でもしかねないわ」
「男は沢山怪我をしては学んで強く生きていくんだ」
そりゃ、まだ半年なのに一人だけで外に出ようとしたらそんな反応になっても仕方ないだろう。けれど母に対して父はその行動にしてくれて、むしろもっと自分勝手に動かせた方が良いと促してくれた。
アルフォードだって心配させたくてやっているんじゃない。ただ知りたいだけなのだ。この世界がどんな世界なのかを。
まだ自分の知っている唯一の世界はこの木造の小さな家だけ。窓越しに外を見た事はあるけどどうしても気になって、実際に自分の手で触れたくて仕方なかった。
……きっと、体を動かす事が楽しいからだと思う。前世で走る事さえままならなかったから。後半では歩く事さえままならなかったかだ。だから、いち早く外へでて新鮮な空気を吸いながら走り回りたいんだと思う。
どうしてこの世界で生まれ変われる事が出来たのか。赤ん坊が考えるにはあまりにも哲学的な事だったけど、アルフォードはいつしかそんな理由をずっと考察するようになっていた。
確かに死ぬ直前であの本みたいな世界に行ければいいなって生まれて初めて全てを捧げて願った。そして死を実感した時に今まで聞いた事もない人の声も聞いた。
でも、だからと言ってそれだけの理由で片付けていいのだろうか。そんな超常的な事を願いが届いたなんて理由だけで……。
それから数日後の出来事だ。アルフォードがそんな事も忘れてこの世界に熱中していくのは。
カンッ、カンッ、と金属を叩く甲高い音が響き、アルフォードはそれに釣られる様に裏口へと導かれた。それから近くにあった椅子に昇り鏡越しに何が起こっているかを見る。
そして見た。父が熱烈な視線で金属を見つめながらハンマーを振り下ろしている光景を。そんな光景に見惚れて窓に手を触れようとすると重心が傾いては落ちそうになってしまって。
「あっ!? 危ない!!!」
そんなアルフォードを母が受け止めてくれた。
直後に椅子の大きな音が響いて全力で安堵してくれるのだけど、そんな母を尻目にアルフォードは鍛冶に集中する。
「……ん、パパの事?」
すると母がアルフォードを窓に近づけてくれるから食いつくように眺めた。
その姿に若干引いているような手付きになったけど、そんなのも気にせず父の姿に熱中する。どうしてかは分からない。でも、今は何か一つの事だけに全てを注ぎ込む父が凄くかっこよく見えた。
そうしていると母が言う。
「パパはね、この村一番の鍛冶師なのよ。私なんか無視してずっと鉄を叩いてるの。酷いよね」
「あぅあ~」
相槌を打ちながら曇りなき眼で見つめ続ける。
理由を付けるのだとしたら、自分の知っている世界で唯一物語に出て来た英雄に似ていたのかもしれない。他の事を忘れてしまうくらい一つに全てを注ぎ込んでは高みを目指す。父の姿がソレに似ていたから。
――似てる。あの瞳も、背中も、姿も。
アルフォードは主人公じゃなくてもいい。ひと時の幻でもいい。こんな世界で笑いたい。そう願った。……そして、今自分の中での憧れが目の前にいる。
もしこの世界で生きる事が許されるのなら。そう考えた。
誰が転生させたのかも、どうして転生できたのかも分からない。もしかしたら死の直前に聞こえた誰かの声かも知れないから。
でもアルフォードはこの世界で生きている。過去の名前を消された事により生前の自分は死に、そして“この世界に生まれたアルフォード”として生を受けた。
なら、今を全力で燃やし尽くさなきゃならない。
どこかの誰かが繋いでくれた命なんだ。何一つ不明なままだけど、それでもまだ生きているのなら、願いを叶えるチャンスを授かったのなら、全力で突き進まなきゃ。
――笑顔……。
窓に映った母の笑顔。もし彼女の様に心の底から笑える時が来たなら、アルフォードは一体どれだけ救われる気持ちになるだろう。
笑顔の練習は何度もした。その度に心から笑えない事を実感した。
何度も作り笑顔を見せびらかす内に本当の笑顔さえも分からなくなってしまって、果たしてこれが笑顔なのかと疑問に思う事だって何度もあった。
――決めた。
この世界で生きよう。物語の主人公になれなくても。主人公の様に英雄になれなくても。それでも自分の理想を追い求めようと決めた。
もしかしたら神様が世界を救わせる為に転生させてくれたのかもしれない。でも、この命は神様の命じゃなくて自分の命なはずだ。
だから命の使い方は、選ぶ道は、自分自身で決める。
――俺は、この世界で生きるんだ。
その日。数多の物語が存在する異世界で、たった一つの物語が幕を開けた。