第三章83 『託されるモノ』
「ん……」
ふと目を開けると目の前にはアリシアの顔があって、体を少しだけ動かすとそれに反応して下を向きこっちを見た。
するとかなり近い距離で喋り出す。
「アル、起きました?」
「ああ、おはよう。って言いたい所なんだけど……」
パッと目を見開いて確認する。自分は仰向けに寝転んでいてアリシアの顔が間近にあって、そして後頭部には天国の様な感覚の枕がある。そこから導き出される現状は――――。と、そんな茶番の様な推理をしているとアリシアはくすっと笑いながらも言った。
「膝枕、です。男の人はこれをすると喜ぶってライゼが言ってました」
「そうなんだ」
――なんか、後々変な事教えそうだな……。
脳裏でそう考えつつも起き上がろうとした体から力を抜く。
アルの記憶に残っているのはルシエラに喋りかけていた時までだ。そこから次の場面でこうなっているって事は、もう全部終わった後なのだろうか。
「えっと、状況はどうなってるんだ?」
「ルシエラは無力化に成功。今は敵意もありません。その後に出現した敵も無事倒せました。残ったのは、《世界の中枢》の件だけです」
「……そっか。眠ってる間にそこまで進んだんだ」
ここはまだ《深淵の洞窟》。そんな事を忘れてしまう程に穏やかな風が吹いていた。その風は荒れ果てた丘に沿って流れては二人を煽る。
第四層全体の悲惨な光景はアリシアがやった物なのだろう。いたる所が崩壊しては溶けた跡となり、ここで途轍もない戦いがあった事だけはしっかりと理解出来た。そんな中でアルは眠っていただなんて。
「夢を、見てたんだ」
「夢?」
眼を閉じてその夢を思い出す。
今まで変な夢や不思議な夢は沢山見て来たつもりだ。それでもこれだけは分かる。普通の夢なんじゃなくて何かに干渉されて見た夢なんだって。
「真っ黒の中に自分の魂が放り出されて、無数の魂に押しつぶされそうになる夢。そいつらは大罪を敵だって、殺すべきだって、心の無い奴らだって恨みを募らせてた。だからその中で必死に吠え続けてた。大罪は悪いやつじゃないんだってさ」
「…………」
「みんな知らないだけなんだ。大罪が、アリシアが、どんな思いをしてたかを。だからそれを伝えようとして必死に叫んでた。まぁ、誰も耳を貸してくれなかったけどな」
そう言って苦笑いを浮かべる。彼らだって当時の大罪を知ればある程度は理解出来るはずだ。共感まではいかなくとも理解する事は出来るはず。だからそう信じて叫び続けた。結果は言った通りだが。
するとアリシアは何故か驚いた様な顔を浮かべていて、反射的に問いかけるとすぐに表情を元に戻して顔を左右に振った。
「……どうしたんだ?」
「いえ、何でもないです」
妙な反応に顔をしかめつつも一先ず話題を変えて考え込む。
このまま穏やかな時間を過ごすのも悪くない。実際今までずっと走り続けて疲れている訳だし、アルは記憶の世界の件もあって精神的にもへとへとだ。
でも、やらなきゃいけない事がまだ一つだけ残っている。
……真実を探す。それだけの為にここまでやって来たんだ。なら最後までやらなきゃ、一緒に付いて来てくれたみんなに申し訳ない。
転生した理由。英雄の事。そして記憶の世界じゃ語られなかった、アリシアが神器になった理由。それらの真実を見つけ出して初めてこの件は幕引きとなる。
だからこそアルは起き上がるとアリシアを見つめた。
「アリシア。もうひと頑張りしてもらっても、いいかな」
「……はい!」
すると彼女は嬉しそうに笑顔を浮かべては両手をぎゅっと握りしめる。アリシアも戦い抜いて疲れているはずなのに、意気揚々と頷いては協力してくれる。それが嬉しかった。
立ち上がって手を差し伸べると手を取って立ち上がった。そのタイミングを計ってか否か、丘の向こう側……キャンプの方角からみんなが走って来る。
「アル~!」
「みんな!」
みんなも結構ボロボロになっていたけど完全回復は果たしている様だ。ただ服はボロボロだから見栄え的には違和感バリバリなのだけど。アルが目覚めた事を心から喜んでくれているみたいで、みんな近寄っては怪我や具合が悪くないかを確認してくる。
だからそれらを押さえつつもみんなに宣言した。
「はいそこでストップ。……俺達、行くよ」
「「…………」」
すると全員で黙り込んではアルを見つめた。そりゃ、せっかくこうして目覚めたのにまた危ないかも知れない所に突っ込むのだからそんなはんのうになったって仕方ないだろう。
ライゼ達は何かを言おうと口をモゴモゴさせて言葉を探している。だからこそその代わりにアリスが言った。
「いいの? せっかくゆっくりできるのに……」
「確かにゆっくりできる時間もいいけど、ある意味じゃ本番はここからだから。それにみんながここまで導いてくれたんだ。せっかくなら最後まで行かないと」
準備運動をしながらもそう言う。あれだけ頑張ってあれだけボロボロにさせておいて最悪な事を言うけど、ぶっちゃけ今までのは全ておまけに過ぎない。その最中でアリシアを救うって言う大題を達成しただけ。
だからこそ本題はここからだ。
グッドサインを突き出しながらも笑顔で笑顔で言った。
「大丈夫。絶対に戻って来るから!」
「……気を付けてね」
それに死んでしまったら英雄になんてなれない。ルシエラすらも倒す事が出来たんだ。きっと大丈夫。するとルシエラは前に出てアルに話しかけて来る。
「アルフォード。私は、こんな時に何を言っていいのか分からない。だから、本来言うべき場面じゃないかも知れないけど言いたい」
「ああ。何だ?」
「――ありがとう。と」
敵から向けられた感謝の言葉。どう捉えていいのか分からなかったけど、ルシエラはひたすらに感謝の言葉を伝えた。……二千年も追い続けた願いから解放される程、彼にとっては嬉しい事はないのだろう。
救えた、って事でいいのだろうか。
「願いを引き継ぐって言ってくれた時、凄く嬉しかった。それだけでも私の四千年が報われた。だから、お礼を言いたかった」
「……そっか」
彼の言葉を素直に受け入れる。誰かの救いになれる。それだけでもアル自身でさえ救われた気持ちになれた。誰かを救う事なんて出来なかったから。
敵さえも救って見せる。それがアルの憧れた大英雄でもあったからこそ、目標に一歩近づいたような気がした。
しかし、穏やかな時間はそう長く続かない。
突然ルシエラが目を皿にして硬直したかと思いきや口から大量の血を吐血して、そんな事になるだなんて思わなかったからこそ驚愕する。
やがて前に倒れ込んだ彼の体を支えると必死に呼びかけた。
「ルシエラ!? おい、大丈夫か!?」
けれど一向に答えずただ苦しそうな表情をしたまま血の糸を引く。黒魔術の代償とかその他もろもろを合わせて長くはないと分かっていたけど、まさかここまで早いだなんて。
彼の体を揺らす中でアリシアは隣に座ると耳元で囁いた。
「黒魔術の代償だけじゃなく真意の反動もあります。恐らくもう……」
「そんな、だってようやく自由になったばかりなんだぞ!?」
「世界を一時的にでも書き換えたんです。その反動は、彼自身も分かっていたはず」
「…………」
そう言われてルシエラを見つめた。二人がどんな激戦を繰り広げたかなんて知らない。だからこそ「世界を一時的にでも書き換えた」って言葉に驚愕する。その状況から見て恐らく真意も全力以上に酷使したのだろう。
やがてルシエラを見ると彼は喋り始めた。それも、アルが彼を倒した時と全く同じ構図で。
「分かってましたよ。もうすぐ死ぬって」
「なんで……」
「そりゃ願いを引き継いでくれるだなんて思ってもいませんでしたからね。自分なりの道を進んで、自分なりに願いを叶えようとしてましたから。……でも、それももう大丈夫」
ルシエラにも色んな考えがあったのだろう。何百年も何千年も誰とも出会わず救済もなく、ずっと願いに縛り付けられながらも走る事は辛いだろうから。
彼にもアルみたいに誰かが傍にいてくれてたら、変わったのだろうか。
「……ルシエラ。お前のやった事は誰からも許される事じゃない。確かに自分なりの正義があった事は確かだ。その正義が俺個人よりも遥かに大きかったのも事実。でも、だからって罪が許される訳じゃない」
自分なりの正義があるからこそ許されるのならアリシアは大罪になんてなっていない。きっと、こんなに苦しんでなんかいない。例え時間を巻き戻せたとしても罪を犯したって事実は揺るがないだろう。だって自分の記憶の中にずっと仕舞われているのだから。
アリシアだってそうだ。何をやっても罪は許されない。
「俺はお前を許さない」
「そう……でしょうね」
彼はアルの家族や親友も殺したんだ。例え仲間だったとしても許さないだろう。……許せるはずがない。時に自我を忘れるくらいの殺意を覚えた相手なのだから。
でも、アルは間を開けて喋るとハッキリ言った。
「けれどお前の夢は絶対に叶える。それだけが俺達の一緒の所だから」
「…………」
二人とも一緒だ。ただ傍に誰かがいなかっただけで、大罪の事を知ってるのも、世界の残酷さを憎んだのも、世界や誰かを救いたいと思ったのも、全部一緒なんだ。だからこそアルは彼を許さずに願いを引き継ぐ事が出来る。
それこそがアルのやりたい事だから。
やがてルシエラは天井に向けて手を伸ばすと言った。
「……強欲なのは承知の上です。でも、もう一つだけ、託してもいいですか?」
「ああ。何だ?」
「多分、これが終わってから数十年後、私の友が動き出すはずです。だからそれを止めて貰いたい。アルフォードの優しさで、救ってあげて欲しい」
「――分かった。任されたよ」
するとルシエラは目を瞑って息を弱くしていく。
本当ならもっと生きて欲しい。だって二千年も縛られ続けて、ようやく解放されたのだ。やりたい事だって多いはず。それなのに死んでしまうなんて――――。
次の瞬間、ルシエラの手は力なく地面へと落ちて行った。
「これで、本当に、私の四千年は……報われ、た……」
本来敵の総指揮官が死んだのだから喜ぶべきだろう。けれど誰も喜ぼうとはしなかった。……喜べる訳なんて無かった。だからこそ周囲には静寂が流れ込む。
大罪教徒との闘いは本当の意味で幕を閉じた。同時にアルの復讐劇も、予想外の形で幕を閉じる。これで残された事を果たせば全て解決しただろう。
でも、今は違う。また新しい目標を作ってしまった。
――世界を救う。そんな英雄みたいな目標を。




