第一章10 『森の異変』
「ここだな。最近魔獣が増えては勝手に悪さをしているらしい」
「はるほど」
翌日。ライゼ一行は依頼を達成する為に魔獣が発生してるという場所へ向かっていた。昨日の今日でまだ精神的ダメージはこれっぽっちも抜け切れていない。でも、いつまでもクヨクヨしていたらアルに勇気を抱かせてくれた父に示しがつかないから。
その事をライゼは知っていて、小さく心配してくれる。
「アル、大丈夫か?」
「大丈夫。英雄はこんな程度じゃへこたれやしないからな」
否、未だ精神は悲鳴を上げている。……現実が受け入れられてないんだ。いくら強がったって何も変わらない。それどころか傷は癒えるより腐って一層と悪化してしまう。
でも、その傷から逃れる様に意識を森へと向けた。
「基本的に討伐系の依頼は規定数を超えると終わりだ。ただ、生態系を一方的に崩す魔獣や魔物に関しては倒せば倒す程報酬はよくなる」
「自然の盗賊を倒してる訳だから……だっけ」
「ああ。そして見習い冒険者は倒した敵の数と達成した依頼の数で全てが決まる。危険になったら即時カバー。それ以外はアドバイスで援護っていうのがマナーだ」
「なるほど。するつもりはないけど人目がない場所じゃ不正し放題って事か」
しっかりしている様で緩いマナーにそう言いながらも互いに目を合わせた。倒した数だけランクが決まる。となれば魔物を掃討する程いい結果が待ってるって事だ。やる気を出しながらも足並みを揃えて森の中へ入った。
「飛ぶのは禁止だぞ」
「分かってます!」
そう言うと手の甲で胸を叩かれる。
あの夜から一気に突き放されたアルは全く距離感を縮める事が出来ず、二人になると気まずい雰囲気が流れてしまうのだ。早く修復したい所だけど既に「ジン」の名前で通っているから今更名前を変えたって無理な訳で。
あれからアルはどうしようかとずっと頭を抱えているのだ。
魔獣――――。それはかの大罪である《怠惰の賢者》が産み落としたと言われる最悪の化身。《怠惰の賢者》によって世界が崩壊した時、その黒魔術に当てられた狼が大いに狂い始めたらしい。それからは恐るべき速さで増殖し、二千年が経った今でも絶滅できない。
特徴としては常に涎を垂らし、赤い眼光で獲物を睨む。その狂い様から狂犬病と似たような物、と認識した方が分かり易いかも知れない。
そこまで考えていた時だ。アルが魔獣の気配を感じ取ったのは。パキン、という枝を踏む音で反応し即座にそっちの方向を向いては剣を柄を握った。
彼女も同じ様にして何かを感じ取ったらしく、アルとは斜め左の方向を向いた。
「来るぞ」
「分かった」
その声を合図にライゼ達も臨戦態勢に入る。目の前からは複数の赤い眼がゆらゆらと動いていて、それらは急速な動きで走り出すと牙を剥き出しにしてついに目の前に現れた。
けれどアルの放った一閃で真っ二つに引き裂かれ真紅の血を大量に噴き出す。
「うわっ。これこんな切れ味あったのか……」
彼女から“神器”と聞いた時点でかなりの鋭さや強度があると思っていたのだけど、まさか触れただけで相手が真っ二つになるとは。だから次々と飛び出して来る魔獣に対して刃を当てるだけで半ば勝手に相手から倒れてくれる。
けど、いくら切れ味が良いからって使い手が下手じゃその威力は進化は発揮しない。
実際に彼女をの方を見ると舞の様な美しい動きで次々と魔獣を一掃していった。
――俺も負けてられない!
今こそ十年にも渡って鍛え続けた剣の腕を見せる時だ。数々の冒険者に手ほどきしてもらったこの技なら魔獣相手には十分快勝するはず。まぁ、それは想像上の問題であって実際の動きは全然ダメなのだけど。
……と思っていた時だ。数匹の魔獣を斬った後に違和感に気づく。
死角からの攻撃を防いでくれていたライゼ達もそれに気づいたみたいで。
「なぁ、何かおかしくないか」
「やっぱりか。妙に数が多い」
ウルクスとライゼの声で周囲を見渡した。全員で合わせれば既に数十匹は斬り殺したはずだ。なのに周囲の影からはまだ赤い眼がこっちを睨んでいて、その数に若干背筋が凍りそうになってしまう。
三十。いや、見えないだけならもっといる。
依頼書には周囲に確認出来た魔獣は最高でも二十匹って書いてあったはずだ。なのにこれほどの数がいるだなんて、明らかにおかしい。
「一応聞くけど、何匹いるか分かる?」
「大雑把にいえば“四十”はいますね」
「よんっ……!?」
そう言われて絶句した。彼女の索敵魔法は多分完璧。いくらアルを嫌ってるからってこんな状況で嘘を付く人とも思えない。となると本当にそれくらいの数が――――。
周囲から響き始める野獣の唸り声。きっと攻撃するぞって合図されているんだ。
彼女の力を使えば何とかなるだろう。でも何故かみんなから避けようとする彼女に注目が集まった時、どれだけ拒否反応がでるかも分からない。
「しゃーない。これを使うしかっ!!」
と、考えていた。アルが荷物からある物を取り出して地面に投げつけると薄緑色の煙が出現し、それらは一瞬にして周囲へと広がっていった。煙幕、みたいな物なのだろうか。
するとさっきまで威嚇していた魔獣たちはすぐに怯えては逃げ去っていく。その隙にライゼはアルの手首を握ると引っ張り始め、アルは彼女の手首を引っ張ってその場から撤退していく。
「な、なぁ、今の何なんだ?」
「魔獣用の逃亡アイテム! 二人なら使う事はないって思ってたけど、あんな数がいちゃ使うしかないだろ!!」
「あんな数……」
依頼主が嘘を付くとも思えない。っていうか、そもそもただの森にあれだけの魔獣がいる事自体普通じゃありえないのだ。山育ちだからって分かる訳でもないけど、明らかに何かがおかしいって事だけは明確に判断できる。
――誰かが意図的にやってるのか……?
でも魔獣を使役するだなんて聞いた事がない。そんなのが出来るだなんて、それはもう異常の域に到達してる人だ。
しかしその他に魔獣があの場所へ集められていたという説明が付かないのも確か。
そう思っていた時だ。
「――危ない!!!」
「うわッ!?」
彼女がアルの体を引っ張って無理やりブレーキをかける。すると目の前に何かが振って来ては大きな土埃が周囲に行き渡った。あまりの威力にバランスを崩すと彼女はアルの手を引っ張って浮いてるかのような速度で前へ動かした。
「ほら、走って!!」
「あ、ああ!!」
何かに狙われてる。それも殺す事も厭わない連中に。
……既に憶測は出来ていた。昨日の今日で襲撃を仕掛ける連中なんて一つしかないって。でも昨日散々彼女にやられておいて今日にも奇襲を仕掛けるだなんてありえる話なのか。立て直す時間とか、作戦を練り直す時間とか――――。
振り返ってみると、地面に刺さっていたのは黒装束の持っていた紅いナイフで。
「なぁ、今のって!」
「間違いなく昨日の連中でしょう。まさかもう奇襲を仕掛けて来るだなんて……!」
その後、五人は全速力で森から飛び抜けた。森から出てしまえば魔獣も黒装束の連中も追っては来なかったけど、それでもアルの心の中にはしっかりと傷跡が刻まれた。
奇襲して来たって事は何かしらの理由があるはずだ。そしてアルを狙って来る辺り、ライゼ達に用は無く昨日と同様にアルを殺す事だけを目的としているはず。
そんな事なんて全く知らないライゼ達は息を切らしては驚愕していた。
「び、びっくりした。何であんな数の魔獣がいるんだよ……」
「それにさっきどこかから攻撃されてなかったか?」
「されてた。確実に」
何だか三人を巻き込んでる気がして罪悪感が沸いて来る。奴らの狙いはアルなんだろう。恐らく殺し損ねたから息の根を止めようとしてる。でも、こうして失敗する度にその存在が浮き出るっていうのに、どうしてそこまでして殺す必要があるのだろうか。
そう考えていると彼女が耳元で囁いて。
「奴らならまた襲って来るはず。どうするんですか」
「そうだな……。ずっと外に出ないって訳にもいかない。だからと言って今回みたいになるのも危険すぎる。でも何もしなきゃ冒険者にもなれない。どうにかして対策を取らなきゃな」
命を狙われつつも依頼を達成していく。かなり辛い条件だ。
別にそんな事をしなくたって上に頼めば何とかしてくれるかもしれない。けどいつまでも殺されない様にってじっとしてちゃ到底英雄なんかにはなれないから。
……魂の奥底に刻まれた憧れは、絶対に止まる様な物じゃない。
そうしていると起き上がったライゼが真剣な表情をしながらも提案する。
「と、とにかく、街の付近で魔物が大量発生したとなれば大惨事になりかねない。ここは早く戻ってギルドに知らせよう。明日には討伐隊が組まれるはずだ」
「そうですね」
彼の案にフィゼルが肯定しながらもこっちを向いた。もちろんアルだってその案には大いに賛成する。でも、これはきっとその程度じゃ済まないはずだ。黒装束の連中――――大罪教徒が関わっている限り、この問題は簡単には解決されないだろう。それも目標を達成しない限り向こうも引かないはずだ。
その目標って言うのがアルを殺す事のはずで……。
瞬間、森の奥から大きな叫び声が届く。
「っ!? 今のって!!」
「まさか俺達みたいに依頼を受けて来た人がいるのか!?」
直後に大きな爆発が起っては黒煙が立ち込めた。その光景にウルクスとフィゼルは絶句し、ライゼはその場所を睨み続ける。
アル達以外にも森に入っているという事は、まさか。そう思った時には体が勝手に動いていたのだけど、彼女が手首を掴むから無理やり引きとめられてしまって。
「待って!」
「何で止めるんだ、あそこにまだ人がいるんだぞ!?」
「ついさっき殺されかけた事忘れたんですか!?」
「っ……!」
けれど次に飛んで来た強烈な言葉に喉を詰まらせる。
確かについさっき殺されかけたばかりだ。彼女が体を止めてくれなきゃアルは今頃脳天にナイフが突き刺さったままみんなに囲まれていただろう。
でも、
「それが……。それが人を見捨てる理由になるのか」
「は!?」
「殺されかけたからって、それでまだ生きてる人を見殺しにする理由になるのか!!」
そう言うと彼女は何を言ってるのか分からないと言う様な表情を浮かべてアルを見た。彼女からして見れば意気揚々と自殺をしに行くのと同じだろう。でも、アルからして見れば英雄になる為の一歩でもあって、本音を吐き続ける心へ叛逆する為の一歩でもある。
すると彼女は肩を掴んではアルの瞳を見て叫ぶ。
「相手は何をしてでも殺す事を厭わない連中なのに向かうんですか!? そんなの自殺行為と同然の事って分かってます!?」
そんな事知ってる。最悪森に火を点けて全てを燃やし尽くしたって何らおかしくない連中だ。そんな奴らを相手に人助けの為に突っ込むだなんて、文字通りの自殺行為。
本当の事を言えば逃げたい。生きてますようにって祈りながらこの場を離れたい。でもそれはアルの魂に刻まれた憧れに反してしまうから。
アルも同じ様にして肩を掴むと真剣な眼差しで彼女の瞳を見る。
「分かってるよ! そんなの俺が一番よく分かってる! ――でもまだ生きてるかも知れないんだ! 生きてる人がいる限り、救える人がいる限り、俺は全力でその人達の事を助けたい!!」
「っ……!」
それが心へ叛逆する意志で、魂から出た叫び。
アルの言葉に当てられて彼女は黙り込んだ。だから一人でも向かおうとするのだけど、彼女は声のトーンを変えると別人の様な声で問いかけた。
「……救おうと望み過ぎて、全てが崩壊してもですか」
「――――」
何でそんな事を質問したかなんて分からない。もしかしたら彼女の過去が分かるかも知れない情報だけど、今は全てを無視してその質問に答えた。
魂から出た答えを。
「構わない」
似たような事ならつい昨日も経験したばかりだ。みんなを救おうと自分勝手に動き、その結果が村の場所を知らせる事になり全てが崩壊する。彼女の過去に比べれば圧倒的に傾いてしまうかも知れない。でも、それでも今はそう答えたかったから。
すると彼女はアルと肩を並べながらも言った。
「……馬鹿ですね」




