クロスオーバー
「……ここで、殺し合え、と?」
アルンが見上げた先に、冷たい目があった。
──世界の監視者・アークワン。その名は記号でしかなく、真の名は誰も知らない。
「殺し合えとは言っていない。『生き残るのは、ひとりだ』」
「意味は同じだろう」
デネヴが睨み返す。しかし、巨竜の双眸は、無感情に、戦士たちを見下ろすだけだった。
コロシアムに呼び出されたのは、九名。なぜ選ばれたのか、理由は知らされていない。
ただひとつ。──望みを叶えるには、生き残れ。そして、望みを叶えられるのは、ただ一人。告げられたのは、それだけだった。
──白の塔。
コロシアムの後方に聳える、世界を覆す力を持つとされる、伝説の少女が眠る巨塔。全ての願いを叶える力を手に入れるため、そこに入れるのは、ただ一人なのだ。
「私は、そんな事、できない……」
聖獣を従えた少女・セツナが、震える声を上げた。
「何の恨みもないこの人たちに、刃を向けるなんて……」
「私は構わない」
尖った角を頭に生やした魔王・ベルゼブブは腕組みをした。
「強者の望みを叶える、それは理に叶っている」
「それに……」
ピエロの姿をした小悪魔・ピリキナータが小首を傾げた。
「『ここで死んだ人を生き返らせる』って願いも、アリなんじゃない?」
「馬鹿げている」
雷神・トールが吐き捨てた。
「命を賭けた死闘の報酬だ。己の真の望みを賭ければよい」
「真の望み、か……」
老練の守護天使・ザフキエルがアークワンに鋭い眼光を向けた。
「貴様の真の望みとは?」
「我々を集めた、真の目的を聞きたい」
竜戦士・牙刀が、光る刃を巨竜に向けた。
しかし、始原竜は何も答えず、冷徹な視線だけを一同に落とした。
「……ならば、俺からいこう」
声を上げたのは、吸血鬼・アルカードだった。
「この世界の支配者となるのは、この俺だ」
手に血の色をした剣が現れた。それを斜めに振り下ろす。その切先から放たれた衝撃波が、一同を薙ぎ払う。
「──クッ!」
石の床に叩き付けられたアルンは、強かに打った肩を押さえて起き上がった。
「貴様……」
「卑怯な!」
剣を抜くザフキエルを見下ろして、アルカードはニヤリとした。
「殺し合いに卑怯などあるのか」
「その言葉を悔やむがいい」
アルカードの背後から、鋭い爪が心臓を貫く。崩れ落ちた身体の向こうで、ベルゼブブの爪から、赤い雫が滴る。
「この世界の支配者となるのは、ルシファー様以外に有り得ない。傲慢の罪には、死こそが相応しい」
「それがおまえの望みか」
赤い石の輝く杖を構え、デネヴが暴食の魔王に向き合った。
「そうだ。ルシファー様のためなら、この世界全てを喰らい尽くそう」
赤い爪が動いた。しなやかな肢体がばねのように跳躍し、五本の刃がデネヴを狙う。
「───!」
デネヴの杖がそれを受ける。赤い石から光が発し、ベルゼブブの視界を刺す。
「助太刀いたす!」
魔王の背に太刀が迫る。牙刀の一閃はだが、棘のある強靭な尾に弾かれた。
「貰った!」
一瞬背後に気を取られた魔王の頭上に、赤い閃光が奔る。しかし、赤き竜鱗の剣が、ベルゼブブに届く事はなかった。
「好きに貪れ」
ベルゼブブの周囲から湧き出すように、蝿の群れが現れた。黒い煙となったそれは、アルンの身体を包み覆い隠す。
「……ウッ!」
いくら剣を振ろうが、死蝿の群れは振り払えない。身体中に張り付き、呼吸すら困難だ。
「アル!ビレオ!」
デネヴの声が響いた。空の彼方から二頭の小竜が、風を切って現れる。口を大きく開き、アルンに向かって火炎放射を放った。
瞬く間に、蝿は燃え尽き、灰となって地面に散った。
「フン、共闘か」
ベルゼブブは目を細め、竜人たちを見遣った。
「我々竜族は、力を合わせる事で、神や悪魔と対等に戦ってきた。言葉にせずとも、心は通じている」
「上等だ、受けて立とう。
……しかし、ひとつ忠告しておく」
ベルゼブブはデネヴに刺すような視線を送りながら口を歪めた。
「生き残るのは、ただ一人。つまり、最終的には、仲間を敵に回す事になる。
その覚悟はあるのだな?」
「………」
「我々悪魔に仲間など不要。己の力のみで、世界を手にしてみせよう」
「ならば……」
その視線の先に、トールが踏み出した。
「貴様は一人で死ぬ覚悟があるのだな?」
トールの槌が振り下ろされる。激しい雷撃が地を揺らすと同時に、何かが弾ける音が響いた。
「はい、残念でしたーっ!」
透明なボールのようなものが、渾身の一撃を弾き返したように見えた。トールがもんどり打ち、石畳に叩き付けられる。
「アタシの存在、忘れてたぁ?」
不意に姿を現したボールの上で、ピリキナータが腕を大きく開いた。
「必殺!☆ワナワナ★ッ!アタシがいる限り、魔法は使わせないヨッ!」
ボールの目が見開き、口元をニッと歪めた。
己の雷撃をまともに喰らい、トールは起き上がる事ができない。
「貴様ら……!」
怒りの声を上げるザフキエルを、ベルゼブブは見返した。
「共闘をしないと言ったばかりだろうという目だな。
勘違いするな、我々は共闘などしていない。それぞれの欲望に従ったまでだ」
「ならば聞こう」
アルンがピリキナータに竜鱗の剣を向ける。
「おまえの望みとは何だ?」
「アタシの望み?うーん……」
ピリキナータは顎に手を当てた。
「勝ち負けとかいいからぁ、楽しむこと、とか?」
「ふざけるな!」
トールが怒声を上げた。
「そのように身勝手な理由に、命を賭けるとは……!」
「そう言う貴様の望みは?」
ベルゼブブに問われ、トールは奥歯を噛んだ。
「……ヌアザを探し出し、倒す!」
「それが身勝手とは言えぬのか?」
トールはケッと、血の混じった唾を吐いた。
「ならば、最も尊重すべき望みを優先するのか?」
ベルゼブブは腕組みし、一同を見渡した。
「全員、望みを言ってみろ」
面々はお互い顔を見合わせた。
「我の望みは……」
まず口を開いたのは、ザフキエルだった。
「この世界を護る」
「ありきたりだが、まあよい。次は?」
「剣の道を極め、武を極める」
牙刀が太刀を振って見せる。
「俺は、白の塔に住む伝説のお嬢さんが、どれほどの美人なのかを見てみたい」
冷たい視線がデネヴに注ぐが、本人は気にする様子はない。
「──貴様は?」
ベルゼブブの視線がアルンに止まった。
「私、は……」
アルンは言葉に詰まった。──全く、思い浮かばない。
何を望んで、戦うのか。何を目的に、生きているのか。何を……。
「こんな事やめましょ!」
セツナが声を上げた。
「誰かの命を代わりにしなきゃいけない望みなんてないわ。こんな事やめて、この場から出ていく。それが私の望みよ!」
「それは認めない」
アークワンの声が響く。
「このコロシアムから出られるのは、一人のみだ。もし、逃げ出そうとするならば、我が抹消する」
「そんな……!」
セツナは膝を折り、顔を覆った。聖獣・クオンがそっと寄り添う。
「……ならば簡単だ」
トールがゆっくりと立ち上がった。
「ムカつく奴から、倒す!」
巨体が跳躍した。振り下ろした槌の先にあるのは、ピリキナータのボールだった。
「だから、魔法は……」
「魔法しか使えぬ軟弱者と思ったか」
鍛え抜かれた腕力で、ボールを叩き割る。
「キャッ!」
転がったピリキナータに、雷槌ミョルニルが襲いかかる。
「───!」
雷撃は対象を焼き尽くし、跡形もなく消し飛ばした。
「……次は誰にしようか」
「クオン!彼を止めて!」
セツナの合図で、聖獣の翼が動いた。低空を跳ね飛び、トールへ迫る。
「アル!ビレオ!行け!」
二頭の小竜も螺旋を描いて雷神に突っ込む。
「上等だ!」
ミョルニルが雷を放つ。光の刃が空間を引き裂き、六枚の翼を穿つ。
「キューン!」
悲鳴を上げた獣たちは、次々と地に墜ちた。
「クオン!」
セツナは駆け寄り、ぐったりとした蒼い首筋に抱きついた。その頭上を、雷槌が狙う。
「───!」
二人の間に、純白の翼が立ちはだかる。守護天使は雷神に怯まず、剣を構えた。
「先に死にたいか?」
「我が身を盾とし、この世界を守り抜く」
「その女を守って何になる?それで貴様の望みは叶うのか?」
「この者を見捨てるくらいならば、我が命の価値などない」
「この期に及んでそのような戯言を!」
ミョルニルが風を切る。唸る雷槌を見据え、ザフキエルは動かない。
「義に感じ入った。力を貸す!」
牙刀の太刀が閃く。それは計算された精密さでトールの手首を貫いた。
「──貴様!!」
血に濡れた手から、ミョルニルが離れる。それは弧を描いて彼方に飛んだ。
「アルとビレオを、よくも……!」
怒りを込めたデネヴの杖が、烈火を纏って雷神を襲う。
「ぐああっ!!」
恒星の煌めきの劫炎はトールを呑み込み、消し去った。
「……三人消えた、か」
ベルゼブブが腕組みをしたまま薄笑いを浮かべた。
「一番厄介だと思っていた者を始末してもらい、礼を言おう」
「……まさか、貴様、それを狙って……!」
「どうとでも言えばよい。死に逝く者に言い訳は不要だ」
魔王の手が動いた。
「苦しみに悶えるがいい!」
数億、数兆の蝿の群れが、コロシアムを闇に沈めた。その中で、鋭い爪が舞う。
「ぐわっ!」
「キャッ!」
複数の悲鳴は、だが羽音に掻き消された。蠢く闇を斬り裂くように、閃光が迸った。
「恒星の炎よ、全てを焼き尽くせ!」
羽虫たちが一瞬で灰になる。拓けた視界にあったのは、デネヴの背後に迫る爪だった。
「仲間まで焼き殺すとは、愚か者よ」
血の色の爪が光った。
「あの世で悔やめ」
「その言葉、貴様に返す!」
デネヴの影から真っ直ぐに突き出されたのは、竜鱗の剣だった。
「───!」
な……ぜ……!?
ベルゼブブの口が、そう動いた気がした。崩れ落ちた魔王の心臓から剣を引き抜き、アルンは答えた。
「人の姿をしてはいるが、私は火竜だ。この程度の炎は平気だ」
ベルゼブブは動かない。魂を失った事を示すように、石畳に染みが広がっていく。
「………」
言葉を失って立ち尽くすアルンの肩に、デネヴが手を置いた。
「俺たち生き残る手段がひとつある。結婚しよう。一心同体って事で……」
アルンは荒々しくその手を振り払い、剣を構えた。
「断る」
「それは残念だ。素敵なレディに手を上げたくは無かったんだが」
「ふざけるなッ!」
竜鱗の剣が踊った。デネヴの杖がそれを受け止め──ずに、手から離れた。
「───!?」
切先は遮るものなくデネヴの身体を斬り裂いた。
「……なぜ、だ……?」
震える声に、穏やかな笑いが答えた。
「だから、レディに手を上げるの、は、……俺の主義、じゃない……」
ゆっくりと倒れる姿を振り返る事ができない。剣先から滴る雫を感じながら、アルンは硬直した。
「決まったな。勝者はおまえだ。望みを叶えるがいい」
アークワンの声が響き渡る。
その時、アルンは決断した。
竜鱗の剣を動かし、見下ろす巨竜に向ける。
「──許さない」
「………」
「例え、世界が壊れようとも、貴様を倒す!」
アルンの腕に鱗が現れる。赤く光るそれは皮膚を侵食し、全身に広がっていく。そして鎧を突き破り、翼となって羽ばたいた。
「それが、私の望みだ!」
一陣の疾風となり始原竜へと飛ぶ。竜鱗の剣が灼熱を帯びる。
「リセットだ!再起動しろ!」
聞いた事のない声がした。
途端に、世界が闇に呑み込まれる。身体が凍り付いたように動かない。光もない、虚無の空間に放り出されたようだ。
「……何だ?何がどうなった?」
アルンの瞳は、僅かに光る、前方の細い空間を見つめていた。
「……急に大きな声を出すから、ビックリしたじゃないですか、プロデューサー」
彼女は不機嫌に振り返った。
「で、大丈夫だった?」
宥めるように僕が聞くと、彼女は閉ざしたパソコンをポンと叩いた。
「あの一瞬で再起動は無理ですって。とりあえずスリープしたんで、後はお願いします」
彼女は立ち上がって、僕に椅子を譲った。
「だけど、このプログラム、一体何ですか?」
「キャラクターをAI化して戦わせたら、どうなるかなって」
「趣味、ですか?」
「いや……」
僕は椅子にもたれて、パソコンに貼られたゲームのロゴを見た。
「この先の世界観の方向性を見てみようかとね。人間が考えるよりも、キャラクター自身が世界の行方を決めるってのは、話題性もあるし、面白いだろ?」
「私も、開発に関わってきたから、興味はありますよ。でも……」
彼女は首を傾げた。
「なんか、このAI、リアル過ぎるというか……。何となく、怖いんですよね」
「まぁ、感じ方は色々かもしれないな」
「じゃあ、私は定時なんで。後はよろしくお願いします」
お先に、と挨拶を残して、彼女は去った。
パソコンを見下ろして、僕は腕を組んだ。
──失敗だ。
キャラクター自らが世界の滅亡を望むとは。元も子もないじゃないか。
愛着を持ってAIを作り上げてきたが、まさかこんな結末を導き出すとは、予想していなかった。
アークワンは、こちら側、つまり僕の分身だ。これを壊されたら、ゲームデータ全てが破損しかねない。
この実験データを再起動して、AIを設定し直す必要がある。しかしそれには、この実験を終わらせなければならない。とりあえず……
「アルンを、何とかしなきゃな」
アークワンが倒されるより前に、アルンを、消去しなければ。
僕は慎重に、パソコンを開いた。
急に降り注いだ光に目が眩む。しかし、身体が動くようになったのは分かった。アルンは目を閉ざしたまま、剣を振り上げた。
「おりゃあああ!!」
竜鱗の剣は画面を突き破り、目の前の人物に向かった。