コメディ時空になれ! ……なったな。
この世界における最大の脅威とは何か。
その話は定期的に議題に上る。なぜならば、生死に関わるからだ。
だがそれ以上の頻度で議題に上るのは――
「やっぱりレフィちゃんだよな!」
興奮した様子で拳を握りしめる男を前にして、俺は無言を貫いた。迂闊な主張は自らの命の危険を招くと知っていたからだ。
「いーや、カーナちゃんだね!」
冷静に眼鏡を押し上げて主張する男に肩を組まれそうになり、俺はタコもかくやという滑らかさでその場を逃げ出した。この第3地下都市ガレフィアは、金属採掘や加工を期待されて建設された都市である。牧歌的な第1都市や研究者気質の第4都市とは違い、かなり過酷な肉体労働が要求される。
俺のような下っ端は各所に進む権限がないのでよくわからないが、採掘部屋と加工エリアがあるらしい。まあそれはさておき。
「みんなー! 集まってくれてありがと―!」
盛大に飾り付けられたステージの上で、客に向かって手を振る美少女たち。その数、7。
「今日も可愛いなぁ」
隣にいる男の言葉に、周囲の男が野太い雄叫びで応えた。帰って良いか?
「シュウ。なんだってお前はそんなに冷めてるんだ?」
「そうだぞ。これが楽しみで生きてる奴だって大勢いるのに」
『セブンス』、というのが彼女らのグループ名であり、ざっくり言うとこの都市のお偉方が抜擢したアイドルグループである。
『女神アビリオールにも匹敵する』というあまりにも不遜かつ腹立たしいお題目で擁立された、元気めな女の子の名前がレフィ。
『誰よりもクールだが趣味はお菓子作り』というあまりにも俺たちの食糧事情を考慮しない謳い文句で擁立されたのがカーナ。
他の5人にもそれぞれファンがついているようだが、俺は名前まではわからない。あまり興味がないからだ。
なぜ興味がないのか?
それはとてもシンプルで、ぶっちゃけ前の世界のアイドルの方がクオリティが高かったからだ。顔面偏差値の話ではない。顔面偏差値なら『セブンス』はわりと圧倒的である。
歌と踊りだ。
初めてセブンスのライブ(というかライブしかないが)に参加したとき、俺は知った。文化というのは、生活に余裕があって初めて発展するのだと。
地下都市に追いやられた人類の娯楽は発展の余地がなく、気付けば歌も踊りも衰退していたのだろう。そりゃそうだ。生きていくのに必要ないと言えば、必要ないからな。
今セブンスがあるのは、不満が溜まるのを避けるための緩衝材なのだろうと俺は睨んでいる。だってそうでもなきゃ、扱いが最低クラスの防衛隊だけほぼ全員強制参加の理由がない。というか、わざわざセブンスは防衛隊の人間のためだけにライブをしてくれているのだ。ありがたくて涙がでらぁな。なぜ強制参加なんだ。
「セブンスのみんなが頑張ってるから、俺らも頑張ろうって気になるんだよな!」
筋肉質な男の笑い声に、周囲の人間が一斉に同意を示す。防衛隊は男しかいない組織だ。故に、チョロい。
おそらく上の人間の狙いには、ソレも含まれるだろう。
「まだまだ慰労の時期は遠いしな! とりあえず飲め! 歌え! 騒げ!」
未だステージでは、稚拙な歌声とチープなリズムの歌が続いている。俺だってさほど詳しいわけではないが、いかに元の世界の娯楽や文化のレベルが高かったのかを思い知らされる半日だった。
ふと、この前聞いた【鯨】の声を思い出す。防衛隊の2割を死滅させた恐ろしい破壊音波だが、それでも。
「あの声の方が、綺麗だったような気がするなぁ……」
どこまでも圧倒的な、生命としての咆哮。彼はきっと、俺たち人間のことなんか気にしていないのだろうが、どうせ死ぬのならば【鯨】の声で死にたいと思う俺なのであった。
迂闊なことを言った。あれほどの馬鹿騒ぎなのだから、誰も聞いてるわけがないと思ったのだ。
「……それで、誰の歌が私たちより綺麗だって?」
腕組み、サングラス、光を吸い込む黒髪。覗く怜悧なまなざし。
迂闊だった。もしも、不満解消や不穏分子のあぶり出しが目的なら、楽しんでいない人間なんて、マークされるに決まっている。ただでさえ俺は身元不明の怪しい奴なのだし。
でも、なんで本人が来るの?
「カーナ、さん、ですよね……?」
「他の誰に見えるわけ?」
さらり、と艶めいた黒髪を靡かせて、彼女は俺を睨み付けた。
「あああああああああああ!!! もう嫌だ!!!!」
「うるっさいわね! 黙って働きなさいよ!!!!!」
俺の叫びと女の怒号が炸裂した。許せん。何が許せないって、あれだ。一定の頻度で夜の夢にクソ女神アビリオールが出てくることだ。俺の安眠の時間を返して欲しい。
「こっちの台詞よ! なんであんた、ひょいひょいひょいひょい女神と波長を合わせてるわけ!? あんたを放り込んで、とりあえず安寧の日々が訪れたと思ったのに……!」
「仕事しろやこのクソ女神が!!!!」
ぶち切れた俺を一体誰が責められるだろうか。このクソ女神の職務怠慢のせいで、俺はタチウオに首チョンパされそうになり、鯨の歌声に吹き飛ばされ、トビウオに襲われ、エイを踏んづけたのだ。人類が滅亡しかけているのもこいつのせいだ。知ってるか? あの世界の人類、絶滅しないために『繁殖部屋』があるんだぜ? お前も行くか?
「薄汚い欲情にまみれた思考を私に向けるなゴミ!!!」
「せめてCカップになってから出直せやゴミ!!!!」
勘違いしないでほしいのだが、別に俺は巨乳派というわけでもない。貧乳派でもない。ただこのクソ女神が胸のサイズを気にしているので、煽る材料として使っているだけだ。
ちなみにナイスバディになることもできるのだが、一度『惨めじゃないんですか? 自分の本質を偽って。哀れな羽虫だな、誇りすら見失ったらしい』と煽ってからやらなくなった。
「地上ではてめーのミスで生まれた魚に追われ、地下ではなんか妙なストーカー女に追われている俺の身になれ! もしくは死ね」
「はー? 女神はミスなんかしませんけど? お前が死ね」
俺の額に血管が浮き出た。
「おい……俺はてめーのミスの尻拭いをしてやってるんだ。頼み方ってもんがあるだろ? わざわざてめーの世界の問題を解決してやろうってんだ」
「冷凍カジキマグロに刺さって死んだんだから、どっちの世界でも一緒でしょ。死因が死んだ魚類か生きてる魚類かの違いだけよ」
「上等だこの野郎!」
てめーその死因を口に出したら戦争だろうが!
殴りかかる俺。なんとか引き剥がそうとするアビリオール。
以前こいつがぽろっと漏らしたところによると、色んな神としての能力が差し押さえ中らしい。だから俺との殴り合いが成立する。
いてっ、こいつ髪を引っ張りやがった! 女神が狡い手を使うんじゃねぇよ!!
「……で? なんか良い情報はないのかよ」
「ないわ。女神パワーで調べても世界状況に変化なし、このままだと人類が滅ぶ」
「人類が滅ぶとお前も消えるのか?」
よく、信仰がエネルギー源みたいな話を読むが。
「いえ? また別の世界の管理担当になるだけね。だって人類が滅んだら、たぶんいずれ魚類だけの世界になるもの」
こいつを絶対に生きて帰してなるものか、と俺は心に誓った。まだ見ぬ新たな管理世界のためにも。
「反省して、成長しろよ。仮にも女神だろ?」
「仮じゃなくて本物よ。神はその時点で完成してるのよ。反省も成長もしないわ」
「ゴミ確定じゃねーか!!!! お前なんか火をつけなきゃ燃えない燃えるゴミよりたちが悪い!!! この自然発火性質の火事ゴミが!!!」
俺の罵倒に満面の笑みを返したアビリオールのローキック。臑に直撃。このクソガキ絶対許さん。
「あんた、そういえば倒したトビウオ? だっけ? 持ち帰ってたけど、あれどうするの?」
アビリオールの質問に、俺は握りしめた拳を止めて、首を傾げた。
「あれか? 今は干して乾燥させてる。あごだしにならないかなって」
「アゴダシ? そ……それは、丸出しと何か関係が?」
「違うが? 出汁だよ、出汁。煮汁。美味いぞ?」
「ダシ……?」
今度はアビリオールが首を傾げる番だった。嘘だろ、ダシしらないの?
でも待てよ。確かに、今まで食ってきた食事はどこか味気なかった。あれがディストピア的な要素ではなく、ダシの存在を知らないが故にできあがった簡素な味付けだとすれば……?
めっちゃ美味い調味料を世界で俺だけ持ってるってこと? 最高。トビウオ、焼いて食わなくて良かった。
「食べる!? 魚を!?」
「おう、島国なめんなよ」
島は物資に乏しい。今居る世界のように、内陸地の開発も終わらずに海まで手が伸びない~なんて世界じゃない。魚だろうが貝だろうが食えるものは食う。そうやって生き延びてきたのだ。
ちなみに内陸地の発展を妨げていた魔獣とやらは全部魚どもに食い尽くされたらしい。そりゃそうだ。
「というわけで俺の方も進捗はナシだ。なんだあれ、魔力とかいうエネルギー考えた奴馬鹿だろ。人は洗面器いっぱい分の水で溺死できるんだぞ? 空中に水場を生み出して高速機動する奴に勝てるわけなくね?」
というか、スケールサイズが違い過ぎる。よしんば一匹のトビウオに勝てても、二匹は無理だ。前後から攻められて死ぬ。
【鯨】に至っては近づく方法すら思いつかん。あいつ、周囲に浮遊してる眷属の小魚を音の衝撃で気絶させて食ってるんだぜ? 俺たちの地下都市が被害を受けるのはその余波だ。ありえん。
眷属の小魚どもは音波の余波で死んだ地上の奴らを食いあさるのが目的だ、賢い奴らめ。死ね。
一度だけイワシの群れを見たが、あれはダメだ。ていうか全部基本的にダメなんだが、あまりにも巨大な水塊と一緒に移動してるから、物理的に勝てねぇ。何万匹いるんだ、あの鰯ども。
というか、この世界の生物は『魔力』という過酷な環境に突如晒されたせいで、異様な進化をしてる奴らが多い。少なくとも、俺の知ってるトビウオのヒレは、革の鎧を引き裂くほどの堅さはない。ないはずだ。全体的に体が頑強で、外敵に対する自衛手段が豊富。
そしてなにより恐ろしいのが、地上にいる奴らは海中での生存競争に敗れた弱者達だということ。
今地上は最下位争いの真っ最中なのだ。奴らは敗れ、海中の何かに追い出され、地上に逃げ出してきた。そして気付いたのだ、地上チョロい、と。
奴らは今、絶賛無双ゲーム中というわけ。あ~あ、俺も今からでいいから魚類に転生できねぇかな!!!
できないのだ。
そして地上では命を脅かされ、睡眠時はクソのような女神に精神を削られ、安住の地はストーカー被害に遭っている。
アゴダシだけが俺の心の救いなのだ。