ただでさえ飛ぶじゃん?
「やっぱり、俺らのこと飯食い虫だと思ってんだろうな……」
俺とウェストは、『防衛隊』という組織に属している。損耗率ナンバーワンの最悪の組織――ということを、所属して一ヶ月後に知った。ウェスト以外にも数人できた知り合いはみんないなくなってしまった。同期で生き残っているのは俺だけだ。
「はっはっは。上が考えることなんてどこも一緒さ!」
浅黒い肌とは対照的な白い歯を見せて笑うウェスト。いわゆる古強者と称されるべき彼は、なんともう10年も防衛隊に所属しているのだという。
もちろん年数で言えば彼以上の人材もいる。だが、10年現場にいて生き延びているというのは驚異的だ。
「というわけで行くぞ、シュウ!」
「はいはい、よろしく頼みますよ、ウェスト先輩」
今回の仕事は、隊を組んでの食料調達だ。とは言っても地上はすでに魚どもに食い荒らされていてろくに食べ物がないので、他都市へと物資の交換に赴く行商のようなものだ。
ここ、第3都市ガレフィアは、地下の金属物資を目当てに建設された都市らしい。食料は第1都市が生産しているため、そこには余剰分が存在する。一応、各都市は共通する巨大な地底湖を水源としているのだが、この湖が危険なのだ。表層から水を吸うだけならともかく、あまり長時間行動すると、普通に行方不明になる。ただでさえ『水』はアンタッチャブルなのだ。
ゆえに、他都市へと向かうなら陸路となる。
地下が危険だからといって地上が安全なわけではない。つまるところどこもかしこも危険なのだが、比較的地上の方がマシというだけだ。
「よろしくお願いします!」
俺は右も左もわからぬまま、ウェストという頼れる男にちょろちょろついて回っていただけなのだが、いつの間にかウェストの相棒のような立ち位置に収まっていた。今回の隊は、ウェストを隊長にして俺が副隊長、そしてヒラが5人。いずれも新人。計7人。
紅一点みたいなのがいれば紹介もやぶさかではないが、残念ながら防衛隊に女はいない。むさくるしい男だけだ。
「おう。まあ、今回は防衛戦でもないし、気楽な輸送任務だ。力抜いて行こうや」
ウェストの邪気のない笑顔に、新人達の肩から緊張が抜けたのがわかった。だが俺は知っている。防衛戦は一度の攻防で多量の死者が出るため恐れられているが、輸送任務でも生存帰還率は70パーセントほどであることを。3割の確立で全滅すると思えば危険すぎる任務だ。
というわけで、出発である。
俺は出発前の儀式として、心の中でクソ女神アビリオールへありったけの呪詛を吐き出してから出発した。
昇降機――つまるところ、エレベーターで地上に出る。魔力で動いてるらしいが、詳しいことは聞いてもたぶんわからないので諦めた。俺も元の世界で電力の全てを理解していたわけじゃないからな。
「ここが、地上……」
俺とウェストにとっちゃ見慣れた景色だが、新人たちにとってはほぼ初めての景色なのだろう。今日は運良く晴れ。若干だが、気温が高い方が魚どもの動きが鈍い気がする。
「う、うわっ! こいつ!」
新人の一人が勢いよく飛び下がり、剣を引き抜いた。震える切っ先は、地面をのんびりと這う数匹の魚に向けられている。
「そいつは【鯊】だ。ずっと地面にいて、危険性はない」
もそもそと動く灰色の魚は、砂を口に入れては吐き出して捨て、たまにぽつんとある水球に戻って呼吸をしているようだった。
「お、俺の親父は……魚に……!」
剣を振り下ろそうとする新人を、俺は慌てて止めた。
「おい、やめとけ。血のにおいを嗅いで寄ってくる魚もいるんだ。余計な血を流すな」
俺の言葉に、ビクッと肩を跳ねさせた新人は恐る恐る剣を収めた。足下をちょろちょろと動き回る【鯊】をそっと避け、俺たちは歩き出す。
「よし、行くぞ」
茶色の布をかぶせてカモフラージュした荷馬車を押して、俺たちは進み始めた。一応、3人で荷馬車を押して、4人が周囲を警戒する役割だ。俺とウェストは荷馬車押しを免除されているが、周囲の警戒に関しては流石に新人に負ける気はない。
「……血が魚を呼ぶなんて、初めて聞きました」
「そういう奴もいるんだよ。鼻がいい奴がな」
たしかだが、元の世界ではサメやウツボが代表的だった。水中に垂れた僅かな血液の匂いを嗅ぎ分けると言われていた。もっとも、今は水がつながっておらず、空中や地面に垂れた血をどこまで嗅ぎわけられるかは未知数だが、要らないリスクを踏む意味はない。
そうそう、踏むといえば。
「お前ら、足下にも気をつけろよ。砂とか地面に潜むタイプの魚もいるからな――と言ったそばから、居たぜ」
先頭を歩く俺が見つけたのは、薄茶色の鱗を持つ平べったい魚類――エイだ。こいつはおそらくアカエイだろう。毒も持っている危険な奴だが、自分よりも大きな敵は襲わない。
踏まずに、そっと避けることを選択する。
「地面が不自然に盛り上がってたら避ける。これが鉄則。安全なのは俺たちが通った道だけだと思え」
第1都市――タハティの入り口まではおよそ歩いて半日。その間だけ危険な魚に見つからなければ生きて帰れる。
「シュウ。新人ども、剣を出しな」
だが、基本的には――何かしら、危険な相手には見つかるものなのだ。
「え、え、ウェストさん、どうしたんですか?」
「敵だ。左斜め前方から、水塊を6、7、8個確認。速いぞ!」
ウェストの言葉に従い、その方向に向き直り、剣を構える俺と新人達。水塊を使って、遠距離からこちらを補足、かつ高速で迫る魚――
「チッ! 【飛魚】だ!」
【飛魚】――ウェストの声を聞いた瞬間、俺はそばに立っていた新人を引きずり倒した。
「うわっぷ!?」
直後、新人の首があった位置を、銀の閃光が貫いた。
トビウオ。俺の元いた世界では、捕食者から逃げるためにヒレを広げ、空中に活路を見いだした魚だ。かといって、空に逃げれば空は空で鳥に浚われるという悲しい最期があったりするわけだが――この世界のトビウオは違う。
仕留め損ねたことに気付いた【飛魚】は自分の飛来先に水塊を生成、水しぶきをあげながら着水。ヒレを畳み、全身を波打たせて加速する。
気付けば、俺たちの周囲は合計9個の水塊に囲まれていた。周囲に6、上空に3。
「来るぞ!」
水塊の中を奔る銀光が速度を増した。俺は咄嗟に剣の腹を自分の前に広げてガードの体勢を取り、直後自分の判断が間違っていなかったことを知る。
衝撃。金属に弾かれた【飛魚】は、全身をびちびちと動かしながら空中に放り出される。
「チャンス!」
「馬鹿、やめろ!」
新人が、その様子を隙だと判断したのか剣を振りかぶる。俺の制止は間に合わなかった。
【飛魚】の眼前に出現した水の道。細長く作られたその道を勢いよく泳ぎ、【飛魚】は襲いかかってきた剣を見事に躱して見せた。
そして――その水の道は、剣を振下ろした新人の背後の水塊へとつながっていた。
「あ」
その声は誰が漏らしたものだったか。
銀閃に首を掻き切られた名も知らぬ新人のものか、それとも俺のものか。
一拍遅れて、吹き出す鮮血。水塊の1つを赤く染め上げ、新人は倒れ伏した。
今すぐ止血すれば、もしかしたら助かるかもしれない――
「アレス!」
「動くな!」
名前を叫んで駆け寄ろうとする新人を怒鳴りつける。
「敵を見ろ! 自分の命を最優先に……!」
体を横に投げ出す。俺の右腕があった場所を、銀の閃光が通過する。背中に大量の冷や汗を掻きながら、水塊の中を高速で移動する【飛魚】の姿を目で追う。僅かに曲がることはできても、その攻撃は直線的だ。
「ウェスト! 合わせろ!」
狙いが自分に向かったと判断した俺が叫び、ウェストと【飛魚】が動き始めたのは同時だった。
俺に向けて剣を振りかぶりながら走り寄るウェストの横から、高速で飛来する【飛魚】を再び剣の腹で防御した。
今度は、水魔法を使う隙も与えない。生物が当たったとは思えないほど硬質で甲高い音を立てて弾かれた【飛魚】の体を、すかさずウェストの剣が両断し、俺たちはなんとか勝つことができた。
俺たちはアレスという新人を見捨てた。多少のリスクを事切れていた彼の遺体を運ぶスペースは荷馬車にはなく、血を流し続ける彼を運ぶことは膨大なリスクを伴う。
遺品として血の匂いがついていない足首のサークレットを回収し、俺たちは遺体をそのままにして進んだ。
「辛いのはわかる。が、速度をあげるぞ」
もし、彼の血の匂いを感知する魚が――
「伏せろ。全員動くな」
ウェストは遠くを見上げ、短く呟いた。彼の視線を辿ると、そこには俺たちよりも大きいサイズの魚が大量に蠢いていた。その数、およそ20。
特徴的な黒と白の模様。大量の水塊とともに移動し、甲高い鳴き声でコミュニケーションを取り、群れで狩りを行う習性。
「奴らに、気付かれたら、死ぬぞ」
噛んで含めるようなウェストの言葉に、俺は内心で頷く。残念ながら彼らへの恐怖が強く、首を動かすことができなかった。
オルカ――鯱、と呼んだ方が馴染みが深いか。成人男性の背丈すら超える背びれ、非常に高度な知能と連携、そして獰猛な肉食として知られている。鯨と同じく水棲哺乳類ではあるが、時に自分たちよりも遙かに大きい鯨すら群れで襲って食い殺すという。
彼らが一直線にアレスの遺体の方向に向かっていくのを見て、新人たちはつばを飲み込んだ。どれほどの力の差があるのかを理解したのだろう。
そして、もしも血の匂いを関知する魚がいることが共通認識でないのなら、異様なほど高い全滅率にも納得がいく。要するに、無傷か全滅かしかないのだ。
軽傷がさらに敵を呼び、重傷はさらに広範囲にわたって敵を呼ぶ。その連鎖反応。次々と押し寄せる敵に押しつぶされ、隊は全滅する。
ちょっとした怪我ですら、リスクとなり得る。
熾烈な海という世界の生存競争に勝ち続けてきた奴らにとって、人間などトロい餌でしかないのだろう。
この世界は、空飛ぶ魚類に支配されている。