おいでませ異世界
思いついたので。
ある日、輸送トラックに引かれた俺は宙高く打ち上げられ、地面に叩きつけられた。しかし、死ぬことはなかった。俺の死因は別にある。
トラックは対向車であるトラックと衝突、衝撃で外れた荷台からあふれ出る大量の冷凍カジキマグロ、カチコチに凍った口吻が俺の脇腹を貫いた。
確か死ぬ直前は、
「うわーっ大量のカジキマグロが!!! 刺さった! 熱い……いや冷たい! 冷たい! ああっ、血が! カジキマグロ! 熱い!」
みたいなことを叫びながら死んだ。
このことについて長く喋ると魂が闇堕ちするのでこの話は終わりだ。いいな?
俺を迎えに来た自称最高神とやらはしわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして難しい顔をしていた。
「最近は転生トラックにひかれた者は各異世界に飛ばすことにしているんだが……」
あっやっぱりそうなんだ。
「微妙じゃよな、おぬし。死因は失血死、トラックにはひかれておるが、一応ひかれた直後は生きておったし、別に救助も間に合った。カジキマグロさえ刺さらなければ」
俺は猛然とまくしたてた。何を喋ったかはいまいち覚えていないが、トラックにひかれなければカジキマグロは俺に刺さらなかったし、俺をひかなければあのトラックも対向車のトラックと事故を起こすことはなかっただろうから俺はトラックにひかれて死んだも同然だと。ここまで来て転生なしなんて認められるか。是が非でも異世界に行かせてもらう!
みたいな、そんな話だ。
「うむ。おぬしの主張にも一理ある。しかし、神の運営は例外を作ってはならん、ので、少し変質的なルートを使う」
変質的?
と聞いた俺の前に、なんか、金色の神をして背後に仰々しい白い輪っかを浮かべた女神っぽいのが現れた。めちゃくちゃ美人だったが、俺は一目見て理解した。
半開きになった口。無意味に煌びやかな衣装。露出はするがしすぎる勇気はない中途半端な足や肩。周囲をきょろきょろと見回す態度。
こいつ、ポンコツだ。
自称最高神とやらは、見た目は普通のジジイだが、全身から隠しきれない覇気みたいなものがある。自信家のオーラというか。『できるやつ』の態度というか。
この女神っぽいのはダメだ。
半開きになった口からは疑問の声しか出てこず、現状を推理しようとする脳みそもないらしい。煌びやかな衣装もたぶん中身のなさを誤魔化すためのものだろう。露出も「人気は欲しいけど性欲に晒されるのはちょっと」みたいな覚悟のなさを感じる。胸元の見え方も中途半端だし、実際さして大きくない。
「こ、この無礼な人間は何者ですか!?」
顔を真っ赤にして怒鳴る女神。心くらいは読めるらしい。
「女神アビリオール。おぬし、第74659376世界の管理に失敗しておったな?」
怒鳴った女神は肩を跳ねさせ、恐る恐るジジイの方を向いた。
「な、なぜ、それを……?」
「おぬしがあまりにも馬鹿なので、見かねた運命神から報告があがっておる。いい加減この馬鹿女神をもう一度管理校に放り込め、とな」
「そ! それだけはご勘弁を! ようやく! ようやく10000000000時間もの勉強を終わらせてあの牢獄のような場所から脱出したというのに!!」
ジジイの足下にすがりつき、泣き崩れるポンコツ女神。ジジイはため息をつき、ポンコツを振り払った。
「では、第74659376世界には彼に行ってもらう。細々とした対応はワシがやろう。おぬしにやらせると致命的なミスをやらかしそうなのでな。許可だけよこせ」
「そんな! 転生者への基礎スキルと知識の伝達くらいはできます!」
「運命神からは、適応酸素濃度の設定をミスって転生者を即死させたと聞いているが?」
「もう5年も前の話です!」
こいつだけスケールが小せぇな。
「仮にも神格を持ちながら、5年も前とはよくぞ言えたものだな。いいから許可だけよこせ」
ジジイが呆れた口調で告げ、俺は内心で万歳三唱しながら喜んだ。このポンコツ女神の管理世界に行くのはちょっと嫌だが、それでもジジイが細やかなサポートをしてくれるのはきっと特例中の特例だ。このポンコツ女神、絶対なんかミスるし。
「特例ではないが、少しだけ型破りではあるな。もちろん例外というわけでもない。ワシとて、他の神に手を貸すこともあるわ」
かっかっか、と笑いながら、ジジイは手慣れた様子でいつの間にか手元に出現した水色のコンソールのようなものを弄っている。
「ん? おお、グラフィックとはよくぞ思いついたものよの。神はなんでもできるがゆえ、現状を便利にしようとはあまり思わぬ。これの発想で、だいぶ業務が効率化されたぞ」
なんでもできるなら業務を効率化する必要はないのでは、と思ったが、神様の仕事事情に首を突っ込みたいわけでもない。
「管理に失敗した世界と言っても色々あるが、今回は特定の種類の生物が異様な進化を遂げ、いずれ生態系のバランスを崩して崩壊することが約束された世界のことだ。おぬしの元の世界はギリギリじゃな。倫理観や道徳を発達させた先祖に感謝せい」
ん? あー……ああ、なるほどね。
「というわけで、設定もろもろ完了じゃ。第二の人生を楽しんでこい」
てな感じで、自称最高神に祝福されながら、ポンコツ女神に半泣きで睨まれながら、俺は新たな大地に降り立った。
「おい! そこのお前! ぼんやりと突っ立ってるんじゃねぇ!」
見渡す限りの荒野を眺めていると、突然地面から伸びてきた腕に引きずり倒された。
「死にてぇのか!?」
土で黒く汚れた顔。皮を各所にあしらった防具。もう何日も風呂に入っていないのだろう、ツンとした臭気が鼻をついた。
「ああ、すまない。少しぼんやりしていた」
そう。この世界、俺の元いた世界とは違い――世界の支配者、最強の種族は人間ではない。
では、何が支配しているのか?
ファンタジーの王、竜か? 否。
エルフ? ドワーフ? 魔獣? 魔族? 否否否、だ。
「構えろ! 来るぞ!」
どこか物悲しく感じる、甲高い音が周囲に響き渡る。人間の地下都市、ガレフィアに襲いかかってきたのは、最悪の厄災だ。
大食らい故に数は少ないが、大食らい故に巨大な体を誇る、群青の体を持つ生物。
その名前は。
「【鯨】だ!」
空に横たわる暗雲を引き裂き、膨大な音の暴力が大地を襲った。巨大な体躯の周囲に無数の眷属を引き連れて、鯨は謳う。
魔力を与えたことで水魔法を習得し、自身を水中から解き放った海洋生物たち。
水中、空中、そして地上。ありとあらゆる場所に彼らは現れた。人は徐々に内地へと追いやられ、今や地下のみが生きる場所。
今日も鯨は謳う。音の衝撃は、水中を抜けて大気に降り注ぎ、次々と地面が爆発する。さらに周囲を泳ぐ無数の魚たちがこちらに向けて降下してきた。
厳密に言えば、鯨は魚類ではなく哺乳類だが。
「なんでこの世界、魚が空を飛んでるんだよ!!!」
俺はこの場にいない、ポンコツ女神アビリオールへと恨み節を叫んだ。
端的に原因を言うと、面倒になったらしい。世界の管理が、ではない。遅々として発展しない世界を、である。
「なんかこう、ブレイクスルーが欲しいなと思ったのよ。だから、世界に『魔力』を与えてみたわけ」
アビリオールの言に寄れば、世界へのエネルギーの供給は、もっともわかりやすい世界を発展させる手段らしい。言われてみれば、俺の元いた世界も蒸気力や火力、石油といったエネルギー源の発見で勢いよく発展してきた。アレも、管理している神が生み出したエネルギーで、人類は発見したと思っているだけらしいが、真偽のほどは定かではない。
そして、『魔力』の提供は、神達的には珍しいわけではないようだ。むしろ、ポピュラーな発展手段だと聞いた。
だが、ここからがポンコツのポンコツたる所以だ。
「環境の変化に適応するのを待つのも面倒で、魔力の濃度をかなり濃い設定で散布したの」
適応できない種は死ね、とそういう急速な開発をしたわけだ。詳しくはカウントできていないが、およそ6割ほどの生物が死滅したとのこと。こいつ邪神かなんかだろ。
海とは生命の坩堝である。俺の元の世界では、生物全てを重量換算したとき、海の生物の重さが90パーセントを占めると言われていた。水は生物に密接に関わる要素であり、人間だって水なしでは生きてはいけない。
つまるところ、どういうことか。
よーいドン! で生存競争をしかけると、人間よりも遙かに早く、海の生物たちが発展を遂げるのである。
魔力は世界に偏在的に存在するエネルギーであり、空気のように密度の濃いところから薄いところへと流れる。つまり、海だろうが地上だろうが空中だろうが存在し、異常に気付いたときには、すでに海の生物たちが魔力に適応した『魔法』を発明していたとのことである。
「馬鹿がよぉ!」
とりあえず罵った。魔力を散布するにあたり、発生源を設定しなければいけないのだが、こいつはあろうことか発生源を『世界樹』といったものではなく『月』にしやがったのだ。どうしろってんだよ。なのでこの惑星上から『魔力』を無くすという手段は無理。不可能。
魔力に適応し、反応する鉱石類はかなりの経過年数の後に生まれるか、魔力濃度の濃いところで発生するらしい。この世界の魔力は流れる。濃いところは月だけ。経過年数も足りない。魔力流を遮断するアイテム系の開発も不可能。
じゃあ元凶たるアビリオールになんとかしてもらおう、となるわけだが、神は一度世界に干渉すると、そのあと1000年は干渉できないのだとか。だいたい1000年未満で世界を滅ぼすほどの無能神はあまりいないらしく(多少いるという事実に戦慄するが)、過度な干渉を防ぐためのルールらしい。ちなみに、アビリオールが干渉できるようになるまであと562年。
無能すぎる。
「死ねこのクソアビリオールが!!!!!」
「おいおい、シュウ。あんまり大声でそんなこと言うもんじゃないぜ」
俺の肩をたしなめるように叩く男。身元不明の俺のことを親身になって世話してくれる良い奴だ。外の荒野を歩いていて、降り注ぐタチウオに首ちょんぱされそうになった時に助けてもらった。名前をウェストという。
「女神教の奴らが聞いてるかもしれないからな」
浅黒い肌をしている彼は、にっかりと笑顔を見せる。歳は40代くらいだろうか。
「なぁにが女神教だよ。アビリオールがちゃんとしてればこんなことには――」
「まあ、そう言うなって。俺は信者じゃなかったからよ、女神さまのせいとは思えないんだよなぁ」
頭の後ろで手を組むウェスト。この世界の多くの人々は本気で女神の存在を信じているわけではないのでのんきなものだが、ガチであいつのせいだということを知っている俺には耐えきれない。
「おい! 4番の通気口に行け! 【擬態悪魔】がハンドルを開けて侵入したらしい!」
突如として鳴り響く緊急サイレン。【擬態悪魔】は8本腕を器用に使ってあらゆる鍵を開ける奴だ。まあ、タコ。色も操って擬態しやがるから、定期的にこういうことが起きる。
「……クソアビリオールが」
ようやく【鯨】を撃退したと思ったらこれである。ウェストの呟きを聞かなかったことにしながら、俺は背中に下げた斧を掴んで走り出した。