第一章(7) ー 平凡な春の日
「ーーよろしくお願いします」
事務的な拍手と共に着席する迫原。波風を立てない、日本人らしい極めて無難な自己紹介であった。
そもそも同じ中学出身の人間のことならともかく、入学初日の自己紹介一度だけでクラスメイト40人全員の顔と名前を一致させることなど簡単なことではないし、よほど目につくような外見や言動をした人間でない限りは大して注目されたりしないだろう。
後ろの神条が立ち上がると僅かに教室の雰囲気が変わったような気がした。確かに外見は超が付く程度には美少女である、特に男子生徒が色めき立つのも無理はないかもしれない。
「南中学出身です。神条ゆかな、と言います」
鈴を転がすような声、とでも言うのだろうか。神条は声にも他者を惹き付ける力があるらしく、その容姿も含めてまるで芸術品のような一種の人間離れした雰囲気すら感じる。
幼少期から付き合いがあって免疫の出来ている迫原や、神条が個人的な趣味嗜好を外れている芥川は何とも思わないが、迫原の前の席の男子生徒などは顔を赤くし、すっかり見蕩れてしまっているではないか。
(外面は良いからな、コイツ)
身体は振り向かず、僅かに顔を横に向けてちらりと視線だけで自己紹介する神条を見る迫原。
ぎろり
こっそり視線を向けていたのに目が合ってしまった。
(ーー何か言いたいことでもあんの?)
(いいえ、何にもございません)
目は口ほどにものを言うというが、視線だけでそんな会話が成立するのも幼馴染という二人の間柄に起因するものだろう。
ふと、神条の左隣に座る男子生徒に目を向けた。黒板に書かれていた座席表は既に、黒木が板書をするために消されてしまっている為、改めて確認することは出来ないが名字が”竹中“だということだけはわかっている。
入学式の前に芥川が『かぐやグループ』の御曹司だ、という噂話をしていたが本当だろうか。『竹中』という名字は全国的にもそれなりに数がある名字だし、人違いということもあり得るのではないか。
しかし、『かぐやグループ』のトップが子煩悩を爆発させた挙げ句にこの神川東高校を増改築した話は、もはや噂では片付けられないレベルにまで拡散されてしまっているので信憑性は極めて高いのでは無かろうか。
(見た目はなんつーか……普通だな)
その少年は、言ってみれば“普通”だった。今ある情報が外見によるところのものが多いので、そうとしか言えない。柔和な顔立ち、学ランを着た体格も太っているわけでも痩せぎすでもない中肉中背。テレビや雑誌、新聞で見た『かぐやグループ』会長、竹中惣太郎の精悍な老紳士としての外見要素をこの少年に見出だすことはできない。
やはり別人か、それとも母親似なのか。この学年に他に苗字が“竹中”の生徒がいる場合、そちらが本物という可能性もあるし、そもそもの話として同じ“竹中”姓を名乗っていない場合もあり得るのではないか。そうなると特定は不可能ではなかろうか。
(なんか一気に信憑性が怪しくなってきたぞ?)
竹中惣太郎の息子がこの学年にいることは確かだろうが、それがこの少年だとは思えなかった。
「次、竹中」
「はい」
黒木の声で意識が思考の海から浮上する。
いつの間にか自己紹介が件の少年のところまで進んでいた。
そして黒木は一言。
「先に言っておくけど、コイツの親父がこの学校建て替えたんじゃぞー」
「「ブッ」」
いきなりの答え合わせに教室の何ヵ所からか変な声が漏れた。竹中くんも眉をハの字に形にして困惑した表情をしている。
「あ、これ言っちゃマズかったか?」
後ろ頭を掻きながら黒木が小さく舌を出す。見た目が若いこともあってその仕草は素直にかわいい。
「いえ、まあ……いずれはわかることでしょうし」
出鼻を挫かれた形になった竹中だが、一つ咳払いをすると改めて自己紹介を始めた。
「竹中幸司といいます。お話の通り『かぐやグループ』会長、竹中惣太郎の息子です。中学までは親の指示で私立に通っていました」
後日聞いたところ、首都圏にある金持ちが通う小中一貫の私立らしい。
「この学校に来たのは色々事情はありますが、一つは母の実家の近くなので、です。これから三年間、よろしくお願いします」
竹中がお辞儀をすると拍手が起きる。他のクラスメイトの自己紹介の時より心なしか拍手が大きいような気がする。
迫原も個人的に色々聞きたい、そんな野次馬的な考えが頭をよぎったが、本人が『三年間よろしく』と言ったということは、『卒業まではこの学校にいる』という宣言だろう。
少なくともこれから一年間は同じ教室で勉強するクラスメイトなのだ、個人的に話をする機会などいくらでも作れるだろう。
そう思って迫原も他のクラスメイトと同じように拍手を送った。
平成が終わりますね。
元号が変わる前に投稿です。
私は昭和を知らないので少しドキドキしています。