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プロローグ

  初めて真剣に自分の将来を考えたのは小学6年生の頃だった。それまでの僕は至って普通の、ただ無理に特別な所を挙げるとすれば少し受験に対して前向きな小学生だった。というのは勉強というものに珍しく、少なくとも周囲の友達の中では珍しく苦痛を感じず、やればやっただけ報われるというその平等さ、自分の努力次第で成長できるということに惹かれていた。とはいえ天才小学生ということはなく、学校のテストでは100点を取れるけど何の機会にか受けた全国模試では可もなく不可もなくという何とも微妙な結果だったのだが。両親も極々普通の、会社員と専業主婦。日本ではザ・核家族みたいな感じ。僕と両親はとにかく普通。ノーマル。スタンダード。ただ姉が少し特殊だった。特異と言っても良いかもしれない。或いは異常とも。ただこの話を始めると何の話をしようとしていたのか忘れてしまいそうなので後回しにさせてもらおう。後があれば、だけど。この話は置いといて、というやつだ。将来について真剣に考えた──悩んだのは中学受験に落ちたときだった。とはいえ塾に通っていた訳ではなく、親はすごく気にした、ということはなかった。しかし、その「落ちる」という感覚は、恐怖は、僕に充分不安を抱かせた。なんだか落ちこぼれの烙印を押された気分になってしまった。不遜にも。どこかで自分は頑張ってきたのだから、人に見られることはなくとも努力はしてきたのだから。だから当然周りより秀でているはずだと思ってしまっていた。きっと僕は根拠の無いプライドを傷つけられた気がして、そしてこれから自分がどうなるのかを考えたのだろう。そして申し訳ないが、何せ小学生の頃の話だ。今とはものの考え方も凄く違うし昔の話だということもあり、何を考えたのかはよく覚えていない。

  けれど重要なのは今、僕がこうして将来、いいや、これからについて真剣に考えているのが初めてではないということ。つまり、今の僕の決定はどんなものになるとしても、そして実行に移しても衝動に流されて思うことでも、行うことでもないということだ。考え方が変わっていようが何だろうが事実さえあれば良い。とにかく形だけ取り繕っておければそれで良い。焦っている?そんなまさか。熟考は出来ているはずさ。

  中学3年生。現在の僕。今は10月。またしても僕は受験生をしている。そしてあらかじめ言っておきたい。僕は何となくの、思春期特有の将来への不案を漠然と、年相応に抱いている訳では無い。そう思いたい。そして思い詰めている。これは僕のもしかしたら最後の思考かもしれない。

  勉強が苦ではないのは今も変わらない。別に受験が嫌で嫌で仕方なくて今こうして悩んでいる──悩んでいる?いや、思い詰めている訳でもない。受験が終わったあと。僕はきっと順当に第1志望校に合格して、高校でもまぁ頑張って、普通に大学に行って、大学を出て就職して、きっとどこかのタイミングでお嫁さんを貰って家族を作っておじいさんになって死んでいく。まぁ言ってみれば順風満帆に生を終えるだろう。ここに疑問を持ってしまった。ただ、自分の黒歴史を作らないためにここで訂正しておきたい。やっぱりさっきのは嘘だ。これは完全に思春期特有の将来への漠然とした不安だ。さぁ、これで僕は恥を認めた。あとは堂々と思考を巡らそう。さて、不安というより疑問だけれど、それはその僕が将来歩むであろう順風満帆な人生に何があるのか、だ。何を生む?何を残す?有り体に言ってしまえば、何のために生きる?何のために生きるのか、この問に即答できる人は少ない。と良く耳にするが僕はそんな人がいるはずがないと思っている。fewでもnotでもなくてnoだ。ゼロだ。人を楽しませるために生きる?楽しませて何になる。創作物を残したい?残してどうなる。世のため人のために生きる?その尽くした対象だっていずれなくなる。改めて問いたい。なぜ生きるのかと。ゴールも、目標も人間が勝手に決めたもの。きっと何かの中間地点にすらならない自己満足。人生に正解はないしゴールはないという人もいた。違う。そんなことを聞きたいんじゃない。ゴールまではどうでもいい。ゴールしたあと、どうなるんだ?それまで必死こいて積み上げてきた100年近くの自分はきっと消え去る。消えて、無になる。何を残そうが人のために生きようが自分自身は消える。死後の世界とかそういう話じゃない。結局生前何をしようが結局なくなる。跡形もなく。ならば、生きる意味なんてどこにもないじゃないかと。色んな人が生きる楽しさ素晴らしさ有意義さを語っている。それこそ僕の想像のつかないような頭脳や素晴らしい言葉を持った人たちが。でも、僕は僕だ。少なくとも今は。ならば、生きる意味がないというのならば、生きる意味が見い出せないというのならば、この人生に本当に、心の底から何も残らないから意味は無い。100年生きようが今無くなろうが変わりはないというのならば。大義名分として僕がいなくなればその分姉の自由が増えるということで。僕は今、この命を投げ出そう。

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