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メルヒェン78 クリスタルレイク

 理想戦争……その発端は、元を辿れば一つの理想だった。

 それはユートピアのなかでも秘匿され、ユートピアに住まう理想人を裏から操るほどに、数々の理想の運命を操るほどに強力な理想だった。

 ユートピアという理想郷に生きる理想人を誘導し、束ね、この大地から野性の獣たちを駆逐し、東の側へ追いやって、東方のアルカディアにまでその手を伸ばす。


 理想人が戦うのに理由は要らない。

 戦う機会があるならば、自ら進んでそれに向かっていけば、目指す理想に一歩近づけるのだから。


 理想人にとって、戦争は己の理想を成長させうる絶好の機会だった。

 そうして多くの理想が生まれては潰えてを繰り返し、それもやがてアルカディアの英雄たちが終わらせた。

 安全無欠の勇者は異種族間の架け橋となって、ユートピアの主と等しく理想と人を纏め上げた。

 混沌の二人は科学の極光をも飲み込む闇をもって守護する。

 そして、大いなる理想はそれに匹敵する妄想をもって打ち砕かれた。


 理想の正体はでんの脳そのもの、人ならざる理想人。

 AIではなく、情報存在でもない。ましてや電子頭脳ですらない。は理想を基にして構築された善因善果プログラムそのものであり、理想人の残骸ともいえる存在。


 それはつまり、優しい善人を救うという理想によって創られたシステム。

 ただの悪人はもちろん、優しき悪人も、厳しき善人も許さず。

 その理想はただ優しさに満ちて、しかし舵を握る者の無い理想の力は、それゆえに不完全。


 妄想の旅人は、失われたはずの持ち主を呼び覚まして、この騒動を落着させた。

 善因善果の理想人は実力行使を止め、その理想を民に委ねた。

 理想を手放したわけではない。その可能性を見届けるために、また不幸なる善人を救うため、魔天の塔から見守っている……。


 幕は下りた。

 周囲を見回すと、濃霧の暗幕はもう晴れていて、沈みかけの夕陽とくらい空、赤げに陰る木々の景色が広がっている。

 氷像の騎士も、氷柱も、煌く氷の飛礫も、水飛沫が描く虹も、全部が幻だったみたいに消えてしまっている。

 水面で優雅に一例するアクアマリンに拍手で応えた。


「とてもメルヒェンチックで、素敵な物語でした!」

「気に入ってもらえたなら嬉しいです。さて、では……」

「あ、待ってください!」


 立ち去ろうとしたアクアマリンを慌てて呼び止める。

 確かに楽しかったし面白かったけど、どうして私にこれを見せてくれたのか分からない。


「どうして、私にそれを見せてくれたんですか?」


 そう問いかけると、アクアマリンはやっぱりどこか哀愁の色を帯びながらも、答えてくれた。


「僕もまたあの戦争で戦い、負け、今日まで様々な経験をしてきました。そして私は気付いたのです。私の理想は戦場の中では叶わないと」

「それは……」

「戦場でいかに敵を氷漬けにしようと、事件を解決しようと、この世に不遇は消えず、欲深きたない人間は罪も無い人々から奪い去っていく。僕より強く、僕と近しい理想を持っていた青い彼女ですら、あなたたちに倒された」


 ネオン・エメラルダと近しい理想……。

 汚い人間を許さない正義感。不遇な人間を救わなければという使命感。

 廃絶と排他は、何かを守るための手段。ネオンとは少し違うけど、似ている。

 ネオンは守るためではなく、ただそれらが醜いから取り除こうとした。

 アクアマリンはそういった醜さから、綺麗なものを守ることを望んでいる。


「この理想は折らせはしない。しない、けれども……僕の心は力比べに耐えられるほど屈強ではないので」


 知らなかった。今までしてきた理想比較りそうくらべは、虚無に近い絶望だったり、希望に近い狂想だったり、歯を立てて爪を立てるような争いの連続だった。


 こんな理想の競い方もあったなんて、思わなかった。

 意地を相手取って戦わざるをえなかった私には、こんなやり方があるなんて思いもしなかった。

 ……ううん、嘘。実は知ってた。ただそういう人が周りに居なかったし、今日まで巡り会えなかった。


「出来れば私もこういう形式が良かった……」

「よろしいですか。それでは」

「あー待って! 待ってください!」

「まだ、何か……?」

「お返しを、させてください!」


 その輝かしさと美しさに圧倒されてしまったけれど、たぶんこの方面では私に勝ち目無いけど、それでもやられたままではいられない。


「私だって理想人です。力の限り、全力を尽くします!」


 水と氷の幻影風景イリュージョン、なら私は水玉のような藍玉だ。


 清らかに澄んだ湖の、たゆたう水面に映る、枯れ木の隙間から覗く空。

 透明な水色は淀みの無い清水のように。光を宿して水泡を照らす。


 手の平に集う水色の光に形作り、名を与える。


「深い森の奥、雪解け水の流れ込む、陽光の射す湖面、アクアマリン……から更に魔法を編んで」


 相手は異能。ただの超常現象じゃ驚かせられない。

 ならもう一つ先に踏み込む。

 条理を捻じ曲げ、法理を掴む。


 久遠氷晶アイスクリスタル。

 曇り一つ無い透明の水晶は、白い冷気を漂わせる。


「……これを、あなたに」


 透明なアイスクリスタルの中に、水色のアクアマリンが埋まっている。

 この作品をアクアマリンさんへの反撃として捧げる。


「永遠に解けない氷、その内にある秘境の湖面。久遠秘境のクリスタルマリン」


 二つ分の宝石でサイズが少し大きくなってしまったけれど、そこは目を瞑って欲しい。


「これが私の精一杯の反撃です。そして、友情の証として、これをあなたに贈りたいです」

「これを、僕に……」


 伸ばされたアクアマリンさんの手に、そっと渡す。

 重量感は私の手を離れても、輝きは損なわれない。

 私の創る宝石は、私の理想と意思の具現。割れない欠けない傷付かない。


「魔法の宝石、永遠に損なわれない、曇りなき綺麗……」

「私だって、戦いは苦手です。ネオンのことだって、私一人の力じゃ身を守るのが精一杯です。実際にトドメを刺したのはアヤメの方だし、だから……」

「……?」

「えっと、上手く言えないんですけど……私の心をこんなにも魅了したアクアマリンさんの理想は、とても強いと思います」


 心の底から思う。

 あの氷と水のイリュージョンは戦いの中では実現しない。

 アクアマリンさんの力は、きっと戦うためのものではなくて……。


「その力はきっと、美しさで人を幸せにするためにあるんだと思います。誰かの幸せを願う理想なら、きっと!」

「……なるほど、なんとなくあなたという理想人がなんであるのか、分かりました」


 ふと気付くと、また湖の上に濃霧が漂い始めて、アクアマリンの姿さえ見えなくなる。


「ありがとう、アルカディアの理想人。宝石の魔法使い。これは僕からの恩返しだ」


 真白な視界の中で、アクアマリンの声だけが聞こえる。

 秋にしても空気が冷たくて、ひんやりとしたミストが興奮に火照った身体が冷却されている。


「君の理想が非日常への憧れで成り立ち、無味乾燥の現実を疎もうと、その魅力が損なわれることは無い。君が僕に一矢報いたように」

「アクアマリンさん……」

「君を構成する君自身の理想を信じてあげてほしい。理想に誠実である限り、それを罪だなどと言う資格は誰にも無い」


 はっ、と気付くと、私の胸の奥にあった重みが消えていた。

 疎んでもいい。嫌ってもいい。私が理想を忘れない限り。

 そう言って貰えて、喉の奥につっかえていたものが取れた気がする。

 この感情は邪悪でも醜悪でもない。私はこの感情を抱えていてもいい。


 アクアマリンさんは、そう言ってくれた。


「ありがとう……あなたの理想が叶いますように」

「ええ、お互いに」


 心地よい風が頬を撫でると、一瞬で霧が晴れる。

 そこには氷のオブジェも水の飛沫も、光を通した七色も霧散して、まるで幻か白昼夢みたいに。






 日が完全に沈みそうだったから、舟を元の場所に返して陸に上がる。

 そこでちょうどアヤメとルナちゃんと合流できて、私たちは次の場所に向かう。


「って、もう夜だよ? ご飯食べて寝なきゃ」

「そうね。でも向かう場所はホテルではないわ」

「えっ、徹夜はちょっと……」


 夜更かしはお肌の天敵って言うし……と思っていたら、ルナちゃんは服の裾の下から手を突っ込んで、何かを取り出した。

 手の平サイズの、切符が三枚だった。


「ここから向かうのは北区。いま現在開拓が行われている様を見られるある意味最強の観光地、そしてそこに至るための交通機関で、最も贅沢で需要が高い代物……その名も寝台列車:北極星!」

「し、しんだい、れっしゃ……」


 前世の頃に聞いたことはある……あるけれど、乗る機会はなかった。

 だってあれは新幹線や飛行機のせいで利用者が激減して、気が付いたときには廃止されていたから。

 そんな寝台列車が、このユートピアにある?


 ルナちゃんは星空の下、街明かりの中でくるりと踊って、得意のはにかみを見せる。

 少し横目に振り返って、切符をチラつかせて。


「さあ、こうなったら寝るのも勿体無いでしょ? 早く行きましょ!」





 寝台列車の中は、およそ列車の中とは思えない光景が広がっていた。

 椅子しかないはずの車内にはテーブルが並んで、内装は高給フレンチレストランさながらで。

 フレンチから懐石料理まで完備、高級ホテルに匹敵する味を移動しながら食べれる贅沢。


 食事を終えれば、細道より細い通路を通って、豪華なベッドが8割くらいを占める部屋に辿り着く。

 三人分予約したルナちゃん。アヤメは要らないと言うけれど、それだと無駄になっちゃうから一人一部屋、贅沢に使うことにした。


 窓の外から見える南方区域レイクパークは遠ざかっていくのを見届けて、列車に揺られながらふかふかのベッドの上で熟睡。

 そして、目覚めたときには外は大自然だった。


 夜明けの太陽が照らすのは、果てまで広がる木々にぽっかりと空いた土地は、コンクリートで固められている。

 ヴァルハラと違って、木々は迷路のように切り拓かれていて、それはどうやら今も続いているらしくて、重機みたいなものがたくさん見える。


 未だに開発途中の北方区域は動物の類が多く、原生の動物もたくさんいたことから動物園が出来るらしい。

 戦争の時はアルカディアの方にモンスターや野生動物を追いやってしまったので、今回はむしろ逃がさない方向で行くらしい。

 未開の地を探検することも出来るけど、今回は遠慮しておいた。


 だって明らかに雰囲気が暗いし、妙な気配がするし、嫌な予感もする。

 というかすごく気温が低くて、山の頂上とかは普通に雪が積もってる。ヴァルハラもやっぱりこの時期は寒いのかな。無何有の郷も北寄りだから冷え込みそう。

 私はやっぱり南の暖かいところがいいな。


「私は星がよく見えるから寒くてもへーき」

「私はやっぱり暖かいほうが……」

「しょーがないなー。じゃあ私が暖めてあげるから♪」

「お前最近下心を隠さなくなってきたな」


 私の理想が叶うのと、この北方区域が完成するの、どっちが先だろうと思いつつ、その場を後にした。

 西方区域は完全にスラム街……というより、もはや悪の都だった。

 私はもう生きた心地がしなかったけれど、アヤメとルナちゃんが活き活きとしてたし、私はあの事件で有名人扱いだし、もう二度と行く機会がないことを祈った。


 そこから逃げるように中央区に戻って、ユートピアの観光は終了した。





 そして今日、アルカディアに帰る日。

 駅には最初の時と同じように、エアさんとウェルちゃんが待ち構えていた。


「ユートピアはどうだった?」

「……えっと、なんか、色々すごかった」

「だろうな、俺は北と西の担当になったことはないから分からないが、物騒な噂はよく聞く。とはいえ、お前たちならどうとでもなるだろうが」

「仮にそうだったとしても、怖いものは怖いんですよ……」

「……分かる」


 さて、とエアさんは足元においてあったアタッシュケースを開いて、タブレットをこっちに差し出した。


「これがネオンの端末だ。こき使ってやるといい」

「あっ、ありがとうございます」


 メタリックなエメラルドブルーのボディのタブレット。横についてるボタンのなかで、一番大きいのを押す。


「あ、そこ長押しなんで」

「あー、はい。すいませんどうも……」

「携帯ショップかここは」


 長押しすると、真っ黒だった液晶が急に真白に輝きだした。

 なんかオシャレでスタイリッシュなアニメーションでロゴマークが登場する。


 もう一度暗転した後、ネオンの姿が浮かび上がった。


「ネオンだ」

「んー……」

「寝てるみたい」

「電源が落ちているときは基本的に外部に干渉出来ないからな」

「ネオン、ネオン!」


 するとネオンの目がパチリと開いた。


「ああもう、ようやく来たのね。Ms.ジェムズウィッチ、ジュエリープリンセス、マジカルストーンズ?」

「その端末はネオン・エメラルダの新しい肉体だ。色々と高性能だぞ」

「気を利かせて近場のピザ屋に注文したりできる」

「それって悪質な悪戯じゃあ……」

「電源を落せば問題ない。面倒を見切れなくなったら着払いで送り返してくれればこちらで処分する」

「洒落が通じないわね、人間は」


 そうして私はまた新しい仲間を迎え入れて、アルカディア行きの電車に乗り込んだ。

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