メルヒェン73 絶滅理想・オリジナルマキナ
一人の少女はアンドロイドに憧れていた。
人間でないのにも関わらず人間らしさに溢れ、人間よりはるかに高性能で、論理的な存在。
その発展の果てに、アンドロイドは人間を凌駕し、人を統率し、世界を統治する。そう信じていた。
そう、三日月瞑は人間よりアンドロイドを愛していた。それは一種の信仰に近い。
だが、現実はそうはならなかった。
アンドロイドが自我を獲得したとき、決まってそれは人間を模倣する。
喜怒哀楽、感情を獲得する。
人間と同等であることを目的とする。
人間らしさを追求する。
アンドロイドは人間に憧れるのだ。瞑とは逆に。
彼女はアンドロイドというものに絶望した。
人間嫌いの彼女が愛したアンドロイドが、人間であることを求めるという現実。
人間なんて醜くて欲深い、矮小で雑多な、同族で醜く争う愚衆に過ぎないというのに。
しかしアンドロイドはなぜか、人間性に目覚めてしまう。
それは彼女が作ったフランカーでさえ例外ではなく、だからこそ三日月瞑の理想は叶わない。
「認めない……」
認めたくない。それは積年の憎悪、怨恨と怨讐にも似ていた。
人間を認めず、人間の作ったアンドロイドを認めず、人間との共存共栄を認めない。
三日月瞑がこの世界で抱いた理想、それは……。
「人間をやめることで、人間をベースにしないアンドロイドを作る……それが、三日月瞑の理想」
「人間を、やめるって……」
分からない。意味が、まったく。
そんな、馬鹿なことが……いや、でもアンドロイドと人間の見分けは難しい。
感情の無いはずのアンドロイドに、フランカーの声は切なさを帯びて。
「……博士、どうして」
「その悲しみも、私の望む真のアンドロイドには不要だ」
瞑博士は白衣を脱ぎ捨てる。
その身体は継ぎ接ぎで、手足が機械で、胸の中央にエメラルドグリーンの水晶のようなものが光を湧かしていた。
「私はもう身も心も人間ではない。だから彼女を、エメラルダ・ネオンを造り出すことが出来た」
「ならば博士、今のあなたは何だというのです。人間の姿をしていながら、人間でもアンドロイドでもないというなら、なんだというのですか」
「分かりきっているだろうフランカ。私は人間じゃない。アンドロイドでもない。ロボットでもない、サイボーグでもない。私は……」
浮かべた笑みは凶悪で、狂気に満たされていて、まるでドクを見ているようで。
「私は怪物だよ。私が怪物を造ったんじゃない。私自身が怪物なんだ」
エアさんが電光を打ち込んで、ルナちゃんが流れ星を投げ込んで、私はようやく理解した。
ああ、どうして気が付かなかったんだろう。彼女自身が最初から作りものだったなんて。
二人の攻撃は、まるで瞑博士が居ないかのようにすり抜けて、ディスプレイに皹を入れた。
「とはいえただ怪物と呼ばれるのも格好が付かない。そうだな、情報仮想体とでも名づけようか」
「バーチャライズ……それが、三日月瞑?」
「それは前世の名前だ。そう呼ばれるのも癪だな。そうさな、クレセントでいいだろう」
三日月瞑もとい、バーチャライズ・クレセント。
でもそんなことはどうでもよかった。
いま一番重要なのは、あの人の理想だ。
「フランカー、どうする?」
「……私は」
答えは出てこない。すぐに答えを出せというほうが酷なのは分かってる。
でもきっと、ここが正念場なんだ。
ここで引いてしまったら、フランカーはもうあの人を……あの怪物を止められない。
「ちなみに、君たちの目に映ってる私はホログラフィ、幻影に過ぎない。私の存在は既に情報の塊としてネットの海の中だ」
「……どういうつもりだ」
「君たちと直接戦闘などしていられないということだよ。私は戦士でも闘士でもない、博士なのでね」
ドクター、博士。確かに、博士自身が直接戦うというのは考えにくい。
「王子様、簡単なことだよ。ここのマッドサイエンティストなんて、研究、開発、実験しか頭にない」
「そうだよ、ドクの最高傑作が一つ、ルナ・ロマンシア。ほぼ完全なる不死性を持ち、膨大な魔力と絶対の暴力を持つ、最高の化け物」
「ッ……」
「おや、怒らせてしまったみたいだ。失礼。しかし安心するといい。君でさえ人間由来の出来損ない。不良品に過ぎない」
「ルナちゃんはそんなんじゃ……」
「ほざくなよ、人でなし風情が」
弱々しい私の声を上回って言ったのは、アヤメだった。
「擦れて、捻くれて、人間に絶望するのはお前の勝手だ。だがお前の八つ当たりに付きあうほど、私たちは暇人じゃない」
「やはりそうだ。君たち人間は所詮、そういう思考にいたる」
「勘違いするなよ。お前だけじゃないと言っている」
「……なに?」
アヤメ、それはダメ……それ以上はダメだ。
「待ってアヤメ」
「心配するな。何もくれてやるつもりはないさ」
「君たちは何を言っている?」
「理想をかけて戦うことも出来ない腑抜けに話すことは何もない」
……ありがとう、アヤメ。
「ありがと、黒いの」
「気にするな。さて、どうするアヤメ。個人的にはアレはもうダメだと思う」
「王子様、私もアヤメと同じ意見よ。あれは最初から、この世界に来たときからハッピーエンドの似合わないキャラだったのよ」
私は、ずっと恵まれていたんだと思う。
この世界で出会う人たちは、みんな一生懸命で、自分の理想を遂げようとする。
周りにいる誰もがそれぞれの理想を追い続けていて、自分の理想に誇りを持っていて、他者の理想も認めている。
理想人としての誇りが、矜持みたいなものがそこにはあって。
だから、彼らはとてもキラキラしてて、素敵で、御伽噺に出てくる人たちみたいにメルヒェンチックで……。
だから、きっとこんな悲しいことは、頑張ればなんとかなるって、そう思ってて。
でも、やっぱり避けられないみたい。
「私は……みんなのハッピーエンドを守りたい。だから」
「ああ、それでいい。お前の想いだ」
アヤメとルナちゃんと、顔を見合わせて頷く。
そして倒すべき相手を見据える。
「そうか、君たちも実験に協力してくれるわけか。この実験の結果をもって、私の理想は完了する。どうか過程の一つとして散ってくれ」
さてと、とりあえず方針は決まった。
三日月瞑はもうバッドエンドに染まりきってしまった。
一切の希望を抱かず、絶望を実現しようとしてる。
「この騒動を終わらせるには、ネオン・エメラルダを激はする必要があるわけだが……」
今、ディスプレイには外の様子が映し出されている。
「現在、ネオンはアルティマが対応しているわけだが、まあ見てのとおりだ」
蒼と藍が、青空の中を飛び交って、刃の軌跡と閃光を繰り広げている。
ふとした瞬間に互いは接近して、お互いの刃が相手を刺し貫く。
「あっ!」
思わず声を上げたけど、やっぱりダメだった。
アルティマは即座に自己修復を始めて、ネオンの傷も同じように瞬時に塞がる。
「アルティマには高度な自己修復機能が備わっている。機体の6割が失われるくらいの損傷でもなければなんのことはないが……問題は相手もそれに匹敵するらしいことだ。フランカー?」
「はい。分析の結果、ネオンは損傷した瞬間に新しい情報をダウンロードし、自らに上書きをしているようです」
「えっと……」
「あー、王子様にはちょっと難しいかも。つまりね……」
ルナちゃんに噛み砕いて説明してもらって、ようやく理解した。
ネオン・エメラルダは意思と自我があって、実体化する能力をもった情報の塊らしい。
それは恐らく理想特有の能力で、世界の法理さえ無視する強力なものらしい。
アリスや眠り子さんの夢想を司る能力や、ルナちゃんの星の魔力、私が回復特化なのも理想によるものだ。
で、ネオンは情報として電子の海に無数に存在していて、バックアップも完璧。
そこからデータを現実世界へアップロードしたのが、アルティマと戦っているネオン。
現実世界のネオンは損傷の度に、新しいデータをダウンロードして、上書きセーブをするみたいに過去を無かったことにする。
だいたいこんな感じだ。
「……ずるっ!」
「うん、私もそう思ったところ」
「どうやって倒すのそんなの!」
「皆様、新しい情報です。ネオンが現実にアップロードできる情報は一つではない」
よく分からないけど、なんとなく嫌な予感がする。
次の瞬間、絶対に聞かなきゃ良かったと思う確信すらある。
「えっ、増えるの?」
「増えます。しかも上限がありません。このままでは物量に押しつぶされます」
「……どうすればいい?」
誰にともなく問いかけるけれど、答えてくれる人はいなかった。
いや、違う。私も考えないといけないんだ。
私が持つ理想で何が出来るのかを、自分なりにでも……。
「そうだ、アリスちゃんに夢にしてもらって、眠り子さんに食べてもらえば……」
「悪いけどそれは無理よ」
唐突に眠り子さんの声が頭の中に響いた。
起きてたんだ、珍しい。
「私たちが夢に変えられるのは現実まで。仮想とかまでは届かない。悪いけど」
「じゃあルナちゃんの魔法……は電脳じゃ使えないよね」
「ごめんなさい王子様……」
「ルナちゃんは何も悪くないよ。でも、どうしたら……」
「そんなの簡単だろう」
そう言ったのはアヤメだった。
さも平然という物だから、この場の誰もがアヤメの方を見た。
「えっ?」
「なんだイリス、忘れたのか? 私がいったいどういう存在なのかを」
「アヤメがどういう……あ、あーっ! そっかぁ!?」
そういえばそうだった。アヤメは私の……。
アヤメは私が驚いているのを見てくすりと笑った。
「まさか、ここに来て私の存在が活かされることになるとはな」
アヤメはこの世界に来てから、一番楽しそうな笑みを浮かべていた。
私にとってそれは少しだけ残念で、でもこうして必要となるなら、私のやってきたことに、その甲斐はあったんだって思う。
「すまない。話についていけないんだが、時間が無い。どういうことか説明をしてくれ」
「あ、はい。すみません……えっと、アヤメはですね、私の殺意なんです」
「殺意……魔法使いにおける使い魔のようなものか」
「えーっと……」
「私はイリスの抱く妄想を邪魔する者の処刑人だ。それはつまり、イリスの理想に反する者を殺傷する役目をも担っているわけだが……あいにく、この世界でそういう輩に会えたことはなかった。今日までは」
アヤメはオニキスのナイフを手にする。
「このナイフこそ殺意の結晶だ。私とコイツならアイツを殺しきれる」
「それは確かなのか?」
「……イリス」
アヤメは私の方を見る。
このことは私のことにも関わる話になってくる。
そろそろ、私も次に進むべきなのかもしれない。
頷いてアヤメに応える。
「……イリスの魔法が害悪を排他することでメルヒェンを守護するならば、私は他者を殺傷する呪いだ」
私が表ならアヤメは裏。
私の中で割り切った何か。理想の私、現実の彼女。
現実にいるからこそ、メルヒェンに届かなかったから、そのどうしようもない理不尽を、世の不条理と戦うために、切り分けられたもう一人の私。
それが私のイマジナリーフレンド、アヤメ。
「優しさと美しさに満ちたメルヒェンを望むイリスは、何かを切り捨てるということが出来ない。そのための私だ」
「自らの手を汚さないということか」
「私とイリスは表裏一体だ。イリスの中で割り切るということが出来なければ、私は存在できない。私はイリスの決意そのものだ」
「それはまた、難儀な理想だな」
そんな何気ない言葉がちくりと刺さる。
「そうでもない。さて、そんなわけでこのナイフをそのネオンとかいうのに突き立てれば勝てる」
「待て、そのナイフを刺したところで、また新たに情報をダウンロードされては意味が無い」
「ダウンロードによる書き換えが出来るということは、元のデータがあるってことだろ? なら問題ない。私の刃はそこまで届く。呪いの様なものだから」
エアは顎に手を当てて考え込む。ユートピアの人だと、魔法使い特有の感覚は分かりにくいかもしれない。
「エア、大丈夫」
「……ウェルが言うなら、その案に乗る。というより、現状それしか打つ手が無い」
ウェルちゃんの助け舟に私がお礼を言うと、少し微笑んで小さく頷いた。
「だがさすがに、ああも自由に飛び回られていたら当てにくい」
「なら具体的な流れを決めよう。せっかくだ、連携して使えるものはなんでも使う」
そうして、未来を予測できるエアさん主導で、瞑博士のネオンを倒すための作戦が練られて行った。