メルヒェン69 未だ見えざる理想
フランカーから聞いた瞑博士の理想……私は理解できなかった。
頭がこんがらがって呆けてしまった私の代わりに、質問したのはアヤメだ。
「どういうことだ。理想が<無い>だと?」
「その通りです。あの人には理想がありません。より正確に言えば、自分の理想が分からない」
「分から、ない……?」
「自分にとって目標だったことが、既に通過点となってしまったこの世界で、次に目指すべきものを認識できないのです」
でも、それじゃあ瞑博士は、この世界から……。
「このままでは、瞑博士は理想を持たない者としてこの世界からはじき出されてしまいます。それはつまり今度こその死を意味しています。私はそれを避けたいのです」
「それで、理想とは別の世界を用意したわけか」
「はい。この仮想電脳を一つの理想郷として独立させることで、ネクストワールドの理から博士を守りたい。それが私の理想です」
アンドロイドが暴走しているのも、仮想電脳が隔離されているのも、すべては瞑博士のためだった……?
それが本当なら、応援したい。というか本当だから応援したい。
だけど関連性が分からない。
だって瞑博士は今この仮想電脳にはいない。現実にいる。今からでも現実に戻って瞑博士を連れて来ればいいのに。
アンドロイドの反乱なんて必要なかったんじゃ?
「理想人は基本的にこのようなイレギュラーを認めません。夢想の世界や幻想の境界も、本来は受け容れられないはずのものなのです」
「えっ、あーっ」
そういえば思い当たる節がある。妖幻の時も、ハイジャックから始まったんだった。
夢想の世界も謎が多くて手が出せないみたいな話も聞いたことがある。無明眠り子さんも現実を夢にして食べようとしてたし。
「それ、私も聞いたことある。理想は理想でなければならないって」
「そうなの?」
「幻想や夢想があれば理想が無くても消えないけど、理想比べをする時に不公平だったりするからって。それに対抗するための理想人もいるって噂」
「なるほど……確かに」
眠り子さんは夢想の世界から一方的だったし、妖幻も理想の力もあまり利かなかった。
なるほど、確かに不公平だ。考えてみれば私もさんざん苦労させられてきていた。
「なので理想が無くとも存在できる仮想世界も、例外なく排除対象なのです」
「でも、じゃあどうすれば……?」
妖幻のときは、無何有の郷というあやふやな場所で、幻想の境界を引くことで外の世界と隔絶した。
夢想の世界は最初から隔絶されている。
じゃあ、仮想はどうすればいいんだろう。こういうところなら電気は必須だろうし……。
「データとして、メモリーに保存するのです。そうすれば電源を落とされても一時的に維持することが可能です」
「データの保存……? それって、あの」
「本来なら磨耗やバグ、エラーは怖ろしいところですが、理想の理さえあれば」
「そっか! 本人に理想がなくても、フランカーの理想があるから……」
この世界は理想がすべて。
理想がなければこの世界にはいられないけれど、眠り子さんも花見月さんも、ルナちゃんだって死の底から引き上げることが出来た。
アヤメはサバイバルナイフを磨きながら……。
「なるほど、まだ次の手があるというわけか。で、私たちのことはどうする?」
「それは……理想比べで敗北したのはこちらです。私に選択権は私にはありません」
「らしい回答だが……イリス、どうする?」
「決まってる。二人が二度と離れ離れにならないようにする」
今回の物語もまた、ハッピーエンドへの道のりが険しそうだなぁ。
なんて思いながら、私はどんな筋道にしようかを考えていた。
理想を持たない者は理想人ではない。
ここに住んでいるのが理想人なのではない。理想人だからこそこの場所に誘われるのだ。
安全無欠も、異能者も、ルナ・ロマンシアも、アルカ王も、イリスも。
そしてこのボクや、AIやアンドロイドでさえも。
であるならば、この世界に居るということは何らかの理想を秘めているという証左でもある。
なら瞑博士の理想とは?
アンドロイドの自立試行、人工知能の自立思考、機械仕掛けの者たちの人類からの独立……。
この世界ではほぼほぼ実現されている。ボクやボク以外の理想人が既に到達し、通過した場所だ。
であるならば、瞑博士は何のためにこの世界に足を踏み入れたのか?
理想が育つには、相対するモノが無ければならない。
それは反発でも競争でもよく、とかく比較対象が必要なのだ。
だからこそ、次を開くためには必要なのだ。こういうことが。
犠牲を厭わない騒乱が必要なのだ。理想を育む争乱のために。海をかき混ぜる台風のような。
「そして、私の理想のために……さあ、行っておいで、私の最高傑作」
ディスプレイに映るエメラルドグリーンの彼女は、真っ赤な紅茶を静かに口にしていた。
私たちはバーチャル喫茶店でバーチャル紅茶とバーチャル茶菓子を味わいながら、これからのことを話し合うことにした。
店の雰囲気も、紅茶も茶菓子も、現実で味わうのと変わらないクオリティだった。
これがデータだというなら、本当に現実なんて要らないと思えるくらいに。
「それで、具体的にこの先どうするつもりだ?」
「今起こっているアンドロイドの反乱は陽動です。この仮想世界、電脳京を保存し、ユートピアから離脱するための準備を進めています。その後、瞑博士を電脳化してこちらの世界に連れ去ります」
「なるほど。だが上手く行くかな」
アヤメがそう思うのも無理は無い。ユートピアには……現実にはアレがいる。
「ラプラスの魔女の未来予知はどうする?」
「異能による未来予知は彼女が居る現実世界のみが観測対象なので、異界であるここが絡むと予想までしか出来ません」
「なるほど……それでか」
何もかもを予知できるなら、この世界が鎖国される前にダメになっているはずだから。
「となれば、私とイリスがすべきなのは……陽動でも霍乱でもない」
「瞑博士にこの話を、フランカーの想いを伝えること」
「待ってください、それは」
「大丈夫、きっと分かってくれると想います」
もし本当に理想がないと言うなら、断る理由も無い。
もし何かあったとしたら……そこからは土壇場になっちゃうけれど。
「じゃあ、私たちはこれで」
「ありがとうございます」
私は一旦現実に戻ることにした。
私たち三人はファイヤーウォールをすり抜けられる特別なコードを付与されたから、もう力技で強引に侵入する必要も無い。
フランカーに教えてもらったように、瞼を閉じる。
電子の海の波の音、波長を聞き取り、体に響きを覚えさせる。
深海の底から浮き上がるようなイメージ。まるで魔法を使う時のような感覚で、浮上していく。
「……っ!」
気が付くと、鮮やかな青の光に満ちた、カプセルの中。画面に触れると、自動的にカプセルが開いた。
私たちは急いで瞑博士を探す。
瞑博士は、モニタールームでてんやわんやだった。
「なんで通信が繋がらないんだ……一度穴が開いたらそのまま侵入できるはずなのに……」
「あの」
「やはり人間の手では機械の処理速度と対応速度に追いつけないのか。われながら傑作すぎる……!」
「瞑博士?」
「なんですか、僕は彼女達との通信の復旧作業で忙し……あれ?」
「もう終わりましたよ」
「えっ」
私はここまでの展開をかいつまんで話した。
フランカーは仮想電脳……電脳京を独立させるつもりだということ。
それは瞑博士のためで、ネクストワールドやユートピアを陥れるためではないこと。
「……なるほど、それでフランカーの確保は」
「理想比べでとりあえず勝ちました。私たちなら行き来は自由です」
「ふむ……」
「あの、瞑博士には理想がないって、本当なんですか?」
瞑博士は、答えなかった。
「瞑博士?」
「私の理想は、以前に話したとおりです」
「お前がファイヤウォールを突破できなかったのもそのせいなんじゃないか?」
「っ……」
アヤメが容赦なく見解を突き刺して、瞑博士の動きが止まった。
そうか、通信が途切れたのは瞑博士に理想の力が宿っていなかったから。
ファイヤウォールの穴を押し広げることは出来ずに、即座に修復されちゃったんだ。
「瞑博士、フランカーの理想にはきっと瞑博士の協力も必要だと思います。だから……」
「フランカーのことを、一人の理想人として扱ってくれたことには感謝します。でも、だからといってこんなことをしていい理由にはならない」
「どうして、ダメなんですか」
フランカーはしてはいけないことなんてしていない。自分の理想のために、全力で戦っている。
それを、どうしてダメだというんだろう。
「私はフランカーの理想を応援したいです」
「……それは、このユートピアを敵に回すということだ」
「それは違う。ユートピア……ドクはいざとなればあの世界を切り離せると言っていた。敵に回るのはユートピアではなく、お前の抱く願いじゃないのか?」
驚いたような、でも葛藤に満ちたような表情だった。
フランカーの理想は本物だった。じゃあ瞑博士の理想は……?
「瞑博士……三日月瞑さん、教えてください。あなたの理想を。そうすれば私たちも……!」
「わ、たしの、理想、は……っ!?」
「きゃっ!?」
「ッ!」
「また盛大ね……」
塔が大きな音と共に揺れた。
アヤメに支えられながら、周囲を見回した。ここは大丈夫みたい。
でも、揺れや地響きは続いている。
「なっ、なな、なに!? なんですかぁ!?」
「このタイミングだと恐らく……あの二人じゃないか」
「二人……そうだ、エアとラプラス!」
もしかして、探り当てられた。フランカーの居場所が?
よく分からないけど、よくないことになっているのは確かだ。
「アヤメ、行こう!」
「分かった。三日月瞑、あいつらは今どこにいる」
「それは……」
言わない瞑博士に、ルナちゃんが痺れを切らす。
「あの人……フランカーは諦めない。いいの? このままじゃ壊されちゃうよ!?」
「っ……」
「理想をかけて戦って、敗北したらもう戻れない。あなたの理想だったフランカーはもう戻ってこない! それで本当にいいの!?」
必死に訴えかけるルナちゃんに、苦しそうな表情のまま、答えを口にする。
「最下層……地下情報管理施設アガルタとの境界にあたるフロア……」